第四話
「ね、昨日さ……実は、もう一個、ルール破ってみたんだよね」
その言葉に、一瞬、体が固まる。
破ってはいけないって言っていたはずの、二つ目。手を返してやるのは禁止――。
机の上に置いた手に、わずかに力が入る。
……でも、怖いより先に、胸の奥で別の感情が動くのが分かってしまう。
「……で、どうなったの」
自分でも驚くほど、自然に言葉が出た。
凛はそれを待っていたみたいに、ぱっと顔を明るくする。
「それがさ、すごいこと起こったんだよ」
身を乗り出し、目を輝かせる。でも、そこで言葉を切る。
「……けど、教えない」
「え?」と声を上げると、友人はにやっと笑った。
「自分で試したほうがいいって。絶対」
試す、という言葉が、昨日の夜の静けさと重なって、胸の奥でひんやりと広がる。
問い詰めたい気持ちと、聞きたくない気持ちが入り混じる中で、凛は楽しそうに続ける。
「大丈夫だよ、ちゃんとやれば。ね」
ちゃんと、って何だろう。
そう思った瞬間、左腕の奥に、あの冷たい感覚が、思い出したように小さく疼いた。
しばらく黙っていると、凛はすぐに気づいたみたいで、口の端をつり上げる。
「あれあれー、ひょっとしてびびってる?」
その一言に、胸の奥がちくっとする。
昨日の夜の静けさや、左腕の冷たい感覚が一瞬よみがえるけれど、ここで弱いところを見せるのは悔しい。
「別に」
自分でも少し不自然だと分かるくらい、早口になる。
「あれぐらい、たいしたことないよ」
言った瞬間、しまった、と思う。
凛は間髪入れずに反応した。
「あ、言ったねー」
楽しそうに声を上げて、ぐっとこちらに身を乗り出す。
「じゃあさ、今夜やってみてよ」
心臓が、どくん、と鳴る。
言っちゃった、という後悔が遅れて押し寄せる。
でも、凛は今ここにいて、何事もなかったみたいに笑っている。
……凛も、無事なんだから。
昨日の夜も、怖かったけど、何か決定的なことが起きたわけじゃない。
そう思うと、不安の中に、確かめたい気持ちがまた混じってくる。
やってみようかな、という考えが、頭のどこかで形を持ち始めてしまう。
凛は、その迷いを見透かしたみたいににやりと笑い、「約束ね」と軽く言った。
教室の朝のざわめきの中で、その一言だけが、妙にはっきりと残った。
授業前の教室は、いつもより少しだけざわついていた。
前のほうの席から、後ろのほうから、どこかは分からないけれど――
ぱしん。
ぱしん。
乾いた音が、何度か聞こえてくる。
続いて、くすくすと笑い声。
振り向くと、誰かが腕を叩いて、友だち同士で顔を見合わせているのが目に入る。
……あ、あれ。
かえるちょっぷだ。
指の形も、あの動きも、昨日まで知らなかったはずなのに、もう見慣れてしまっている。
また、ぱしん。
「なにそれ」「いたっ」なんて声が重なって、笑いに変わる。
胸の奥で、少しだけ力が抜ける。
みんな、やってる。
自分だけじゃない。
危なそうに見える様子もないし、先生に注意されるほど派手でもない。
――ただの遊び。
そう思い込むように、机の中でそっと左腕をさする。
ぱしん、という音が、今度は遠くで響く。
そのたびに、昨日の夜の静けさが一瞬よぎるけれど、すぐに周りの騒がしさにかき消される。
「大丈夫だよね……」
小さく心の中でつぶやきながら、ノートを開く。
教室には、いつもの音が戻っている。
笑い声も、話し声も、机を叩く音もちゃんとある。
だからきっと、今夜も――
それくらいで済むはずだと、自分に言い聞かせた。




