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第8話 覚悟

「さあ、これを聞いてお前はどうする?」

 シュピーゲルさんの問いは、まるで冷たい刃のように僕の胸に突き立てられた。


「休眠していた……? 魔石を捧げる……? それは、一体どういうことなんですか……っ!」

 

 あまりに現実離れした言葉の羅列に、視界がぐらりと揺れる。昨日まで隣で笑い、焼き鳥を頬張っていた少女が、そんな運命に縛られているなんて信じたくなかった。


「聖女様は大昔に、二代目女王ヘデラ・ノースフィールドによって製造された、いわば『生体兵器』だ。彼女の胸に宿る命の核――魔石。それを『英雄』……つまりお前に捧げることで、世界を救う力が完成する。」

 

 シュピーゲルさんは重苦しいため息を吐き、鉄兜の奥から僕を射抜くように告げた。


「端的に言えば、この予言はお前にこう命じているんだ。――聖女を犠牲に捧げ、世界を平和に導け、とな」


「そんな……」


「……まあ、すぐに答えを出す必要はない。幸い、儀式の日まではまだ猶予がある。俺は明日、またこの時間にここへ来る。それまでに『答え』を決めておけ」

 

 彼は踵を返し、重い足音を響かせて部屋を去ろうとしたが、ドアノブに手をかけたところで動きを止めた。


「……ああ、それと。答えを出す前に、聖女様と一度話をすべきだろう。明日の朝、聖女様がこの宿を訪ねるよう、上手く伝えておく」

 

 冷徹な従者の声に、微かな、本当に微かな迷いのような響きが混じった気がした。



◻️◻️◻️◻️◻️



「アラタってば珍しいね! そっちからダンジョン攻略に誘うなんて! 今日はどこまで攻め落としちゃおうか!?」

 

 翌朝、宿の前に現れたセイヴィアは、春の陽だまりのような笑顔を浮かべていた。その無邪気な様子を見れば見るほど、僕の胸には鋭い棘が刺さる。


「ごめん……セイヴィア。ダンジョンに行くっていうのは、嘘なんだ。どうしても、君と話がしたくて……」

 

 僕が沈痛な面持ちで切り出すと、彼女の顔から、パッと灯火が消えるように笑顔が失われた。彼女は悟ったように、どこか遠くを見つめる寂しげな瞳で僕に問いかける。


「……そっか。そんな気はしてた。用件は……『予言』のこと、だよね? シュピーゲルが協力してるってことは、もう全部、聞いちゃった?」


「……うん。全部聞いた」

 

 暖かい風が通り抜ける。けれど、僕たちの間には凍てつくような沈黙が流れた。


「そうだよ。ボクは大昔に作られた『モノ』。存在としては、ダンジョンの守護者たちに近いのかもしれないね。ボクの役割は、英雄に力を譲り渡すこと。そしてその日まで、力を守り抜くこと。」

 

 彼女は自分自身の存在を否定するように、淡々と、いつもの明るい口調で語る。それが余計に僕の心を締め付けた。


「本当は、最後まで黙っているつもりだったんだけどね。君は絶対に止めるだろうし」


「当たり前だろ! 魔石は君の命そのものだって聞いた! それを捧げるってことは、つまり……!」


「うん。ボクは死ぬよ。――でも、それでいい。」

 

 彼女は、まるでそれが長年待ち望んだ救いであるかのように、慈愛に満ちた表情で微笑んだ。


「いいわけない! そんなの間違ってる!」


「良いんだよ!!!」

 

 セイヴィアの鋭い叫びが、路地裏に木霊した。

 

 ハッと我に返った彼女は、震える肩を抱きしめるようにして、ポツリポツリと本音を漏らし始める。


「ボクはずっと孤独だった。いくら人の形を真似ても、所詮ボクはただの兵器だからね。」

 

 彼女の琥珀色の瞳が、涙を堪えるように潤む。


「そんな中、アラタが現れた。初めて会ったときから分かってたよ、キミが予言の人だって。……ウィータとの戦いでキミと繋がったとき、ボクは生まれて初めて、世界と繋がれた気がしたんだ。独りじゃないって、思えた。」

 

 彼女は心からの感謝を伝えるように、僕の手をそっと握った。


「アラタも、このままボクと一緒にいたら、いつか気づいてしまう。埋めようのない『違い』に。そして他の人と同じように、ボクを異物として見る日が来る。」


「そんなことあるわけないだろ!!」  


「何よりも……」 


 子供に言い聞かせるような優しい声色で彼女は話す


「キミとボクでは生きられる時間が違いすぎる。いつか別れが来るくらいなら、いっそ、その前にボクはキミと一つになりたい。もう二度と、独りにならないように」


「……」


「気に病まないで。ボクはもう、十分に救われたんだから」

 

 満足げに、そして儚く。彼女は一筋の涙を流して笑った。


「ありがとう、ボクの王子様」

 

 そう言い残すと、彼女は風のように走り去ってしまった。手を伸ばそうとしたけれど、僕の指先は空を切り、黄金色の髪が遠ざかるのをただ見守ることしかできなかった。



◻️◻️◻️◻️◻️



 あの子の背中を見送った後、僕はどうやって歩いていたのか、よく覚えていない。

 

 賑わう街の喧騒も、暖かな春の陽射しも、今の僕にはひどく遠く感じられた。頭の中をぐるぐると回るのは、彼女の諦めきったような、それでいて慈愛に満ちた悲しい笑顔ばかり。

 

 無力感に苛まれながら、気づけば僕は、宛てもなく街外れの森へと足を踏み入れていた。


「……随分と酷い顔をしているじゃない。」

 

 虚ろな足取りで彷徨っていた僕を見かねて、呆れ半分、優しさ半分で拾い上げてくれたのはアルデーレさんだった。

 

 彼女は半ば強引に僕を自身の隠れ家へと連れ込むと、手早く色鮮やかな料理を振る舞ってくれた。


「……女性が腕によりをかけた手料理を前にして上の空だなんて、万死に値すると思わないかしら?」


「……ごめん、アルデーレさん。ちょっと考え事をしてて」

 

 僕は目の前の色鮮やかな料理を口に運ぶ。ここは街外れの森にある、彼女の隠れ家のような家だ。

 

 彼女の手料理は……美味しい。けれど、僕の脳裏には午前中のセイヴィアの泣き顔が焼き付いて離れず、味がほとんどしなかった。


「ハァ……セイヴィアのことでしょう? だいたいの内容は、昨日の夜、宿の蝋燭の火から聞いていたわ。それで……貴方はどうしたいの?」

 

 ……プライバシー無視な能力に戦慄したが、今はそれに突っ込む余裕もない。僕は握りしめた拳に力を込め、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。


「セイヴィアを、死なせたくありません」


「そう。なら、答えはもう決まっているじゃない」


「……でも、彼女はいずれ独りになるくらいなら今死にたいと言っている。人間の僕には、彼女に寄り添える時間は……長くてあと80年もない。いつか彼女を独りにしてしまう。」


「それでも、貴方はあの子に生きていて欲しいのでしょう? なら――その我が儘を通せばいいじゃない。」

 

 アルデーレさんはグラスを揺らしながら、諭すように告げた。


「そこまではっきり自分の願いを自覚しているのなら、それを最優先に考えなさい。その結果、あの子に恨まれることになっても、ね。その時は、また考えればいい。考えて、考えて、のたうち回りながら答えを探し続ける。――人生なんて、そんなものよ」


「……それで、いいんでしょうか」


「良いか悪いかで言えば、悪いのかもしれないわね。……でも、叶えたい願いがあるなら、泥を啜ってでも貫くべきよ。……だって、願いが叶わずに失うのは、死ぬよりも辛いものだから」

 

 彼女の言葉には、数えきれないほどの「喪失」を繰り返してきた者だけが持つ、説得力が宿っていた。


「そんなに心配しなくても、貴方なら大丈夫。……もし失敗して落ち込んだら、またあの時みたいに膝枕で慰めてあげるわよ?」

 

 彼女は悪戯っぽく、花の蕾が綻ぶような笑みを浮かべた。その優しさに、僕の凝り固まっていた心がふっと軽くなる。


「……なら、その時はお願いします。」


「ええ」

 

 僕は立ち上がり感謝を伝えて走り出した。


「……本当に、悪い人。」



⬜⬜⬜⬜⬜


 

 隠れ家のような森を抜け、石畳の敷かれた街の通りへと飛び出す。肺が焼けるように熱く、息が荒れても、走る足をとめる気にはなれなかった。

 

 アルデーレさんの言葉が、僕の胸の中で何度も木霊している。


『我が儘を通せばいいじゃない』

 

 そうだ。兵器だとか、寿命が違うとか、そんなのどうだっていい


 『僕が』彼女に死んで欲しくない!!!

 

 夕暮れ時、橙色に染まり始めた街並みが視界を飛ぶように過ぎ去っていく。すれ違う人々の驚いたような視線を肌に感じながらも、僕はただひたすらに地を蹴った。

 

 あと80年で僕が死んでしまうから彼女が独りになるというのなら、そうならない方法をこれから死ぬ気で探してやる。答えが見つからなくても、足掻き続けてやる。

 

 それがただの僕の「我が儘」だとしても、もう迷わない。

 

 額に滲んだ汗を袖で乱暴に拭い、僕は顔を上げる。吹き抜ける風は冷たいはずなのに、不思議と胸の奥には、熱く、決して消えない確かな炎が宿っていた。



◻️◻️◻️◻️◻️


 

 宿に戻ると、約束の時間はすぐに訪れた。昨日と寸分違わぬタイミングで、シュピーゲルさんが姿を現す。


「答えは決まったか? ……いや、聞くまでもないな。」

 

 すべてを見透かす鏡のような男は、僕の目に宿った光を見てそう言った。


「はい。僕はセイヴィアを死なせない。」

 

 僕は目の前の鏡に覚悟を示す。


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