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第6話 動き出した物語

 屋台での語らいから数日後、僕とセイヴィアは再びダンジョン攻略を進めていた。


「アラタもだいぶ魔術の発動や戦闘中の動きが洗練されてきたね。」

 

 彼女が、剣の血を振り払いながら感心したように声をかける。

 

 現在、僕たちはダンジョンの二層の最終盤。

 

 以前の僕なら、一歩進むごとに心臓が跳ねるような緊張を覚えていたはずだが今は違う。彼女の背中を追い、実戦を重ねる中で、魔術を操る感覚は呼吸をするように自然なものへと変わりつつあった。

 

 だが、潜れば潜るほど、この場所の「異質さ」が鼻につく。

 

 まずモンスターの形態が妙なのだ。多くのモンスターに、違う種族同士を無理矢理組み合わせたような気味の悪さがある。

 

 次にこのダンジョンには、侵入者を殺そうという殺意が希薄だ。通路を塞ぐ狡猾な落とし穴も、天井から降り注ぐ毒矢のトラップもない。ただ、静謐な静寂と、規則正しく巡回するモンスターたちがいるだけ

 

 その配置はまるで、誰かがチェス盤の上に駒を並べたような、不自然なまでの「秩序」を感じさせる。

 

 まるで、侵入者を拒絶するためではなく、モンスターを出すことそのものに意味があるみたいに、この生態系が何者かによって維持されているかのように……。


「着いたよ。ここが二層の守護者の間だ」

 

 思考を遮るように、セイヴィアが立ち止まった。

 

 そこは、アルデーレさんのいた部屋と酷似した神殿造りの広間だった。しかし、燃えるような紅に彩られていたあちらに対し、この階層は深い「紫」と「漆黒」に支配されている。


 壁に灯る魔道具は不気味な紫色に揺らめき、大理石の床には星ひとつない夜空のような、底冷えする闇が沈殿していた。


「来るよ」


 セイヴィアが顎で示す先。広間の中央で、床からドロリとした黒い液体が噴き出した。

 

 それは粘り気を持った泥のようにのたうち回り、やがて一定の質量を持って形を成していく。


「ワタシが呼ばれたってことは……初めてこの階層に来た人がいるのかな?」

 

 地響きのように重く、それでいて不思議と知性を感じさせる声が響く。


「ワタシがこのダンジョンの守護者が一人、暗影の代行者ウィータだ。」

 

 闇の中から現れたのは、漆黒の宇宙をそのまま切り取ってきたような、滑らかな光沢を持つ


 ………スライムだった。

 

 少し楕円形の丸い体。動くたびに「ポチャッ、プルン」という気の抜けた音が聞こえてきそうな、どこか愛嬌のある姿。

 

 だが、その中身から発せられるのは、劇場の最前列で聴く名優のような、重厚で深みのあるバリトンボイスだ。このギャップは、正直言って脳がバグりそうになる。

 

 隣のセイヴィアも、口を半開きにして困惑していた。


「……あれ? 第二層の守護者って、もっとこう、禍々しいやつを思ってたんだけど」

 

 困惑する僕たちをよそに、黒いスライムはお決まりの口上を述べる。


「お前たちには二つの選択肢がある。このまま引き返すか、ワタシの試練を受けるか……」


「……あ、そういうのいいから。このまま通して貰ってもいい?」

 

 セイヴィアがいつもの調子で手を振る。


「ああ、それならそれで別に構わんぞ」

 

 軽い。あまりにも拍子抜けな回答だ。やはり守護者たちは基本、やる気がないらしい。


「そこの男も、さっさと通って……」

 

 黒いスライムが、僕を促そうとした瞬間、その動きがピタリと止まった。

 

 眼球などないはずの滑らかな体表が、波紋を描いて僕を「凝視」する。


「いや……気が変わった。やっぱりそこの男には、試練を受けて貰おう」


「はあ!?」

 

 瞬間、空気が凍りついた。

 

 愛嬌のあったスライムの雰囲気が一変し、アルデーレの時をも凌ぐ、超越者特有の「圧」が広間を埋め尽くす。物理的な重圧に、膝が震え、呼吸が浅くなる。


「アルデーレもそうだけど、どうしてみんなアラタに突っ掛かるのさ!」

 

 セイヴィアが鋭く剣を引き抜き、僕の前に立ちはだかる。


「アルデーレの理由は知らないが、ワタシは『主』に頼まれていてな」

 

 ウィータの体が波打ち、人のシルエットへと形を変えていく。顔も服もない、闇を固めただけの不気味な影。

 

 影は自らの胸の中に腕を沈めると、そこから一本の、光さえ吸い込む「黒い剣」を引き抜いた。


「アラタ、ボクがあいつと戦って時間を稼ぐ。だから隙を見てここから逃げて!」

 

 セイヴィアの声に、かつてない悲壮感が混じる。


 「キミには別に興味ないんだがな。……だが、ワタシの邪魔をするなら容赦なく殺す。」

 

 影が剣を構える。その所作一つひとつが、洗練された剣士のそれだった。


「ああ……それから、逃げられたら面倒だ」

 

 守護者が、静かに言葉を紡ぐ。


『世界よ……喪え(うしなえ)』

 

 言葉が放たれた瞬間、視界から色が消えた。


 闇が晴れたとき、僕たちが通ってきたはずの入り口も、先へ続く出口も、壁の一部となって消失していた。逃げ場のない、完璧な密室。


「この場所から出口を無くした。君たちの道は二つに一つだ。ここで死ぬか、ワタシを殺すか」


「さあ、試練を始めよう。」

 

 守護者が、愉悦を含んだ声で笑った。



◻️◻️◻️◻️◻️

 

 

 空気が爆ぜる。

 

 先手を打ったのはセイヴィアだった。


「――ハッ!」

 

 鋭い呼気と共に、彼女の周囲の空間が歪む。そこから数振りの白銀の剣が突き出し、弾丸のような速度でウィータへと射出された。

 

「フム、悪くない。」

 

 守護者は動かない。黒い剣を無造作に一閃させただけで、迫りくる剣をすべて正確に叩き落とした。金属同士がぶつかる激しい火花が、紫色の闇を明滅させる。

 

 その火花を隠れ蓑にするように、セイヴィアが地を這うような低空ステップで肉薄した。


「こっちが本命だよ!」

 

 下段からの鋭い斬り上げ。ウィータの胴体を真っ二つにするかに見えたその一撃は、しかし、手応えなく空を切った。

 

 守護者の体が、一瞬だけ「液体」に戻ったのだ。

 

 斬り上げた剣をすり抜け、頭上で再構築されたウィータが、重力に従って黒い剣を振り下ろす。


「しまっ……!」

 

 セイヴィアは反射的に剣を横たえ、ガードの姿勢をとった。

 

 ガギィィィィィン!!

 

 神殿全体が震えるような衝撃音。


 セイヴィアの足元の大理石が、円状にひび割れる。ただの真っ向切り。しかしウィータの剣には、この階層の闇すべてを乗せたような、物理法則を無視したかのような重圧が宿っていた。

 

「ぐ……っ、あああぁ!!」

 

 セイヴィアが咆哮し、力任せに黒い剣を跳ね除ける。そのまま流れるような連続攻撃へと転じた。

 

 突き、凪ぎ、逆風。

 

 神速の剣技がスライムの体を幾度となく切り裂くが、その傷口からは血の代わりにどろりとした闇が溢れ、瞬時に塞がっていく。

 

 二人は至近距離で剣を交え、鍔迫り合いのまま睨み合った。ギリギリと軋む金属音。


「素晴らしい太刀筋だ。ワタシとまともに斬り合える存在なんて久しいぞ。それに……懐かしい戦い方だ」


「はあ、はあ……それは……どうも……っ!」

 守護者は余裕を崩さない。流麗な動作でセイヴィアの猛攻をいなし、時折放たれるカウンターが確実に彼女の体力を削っていく。

 

 セイヴィアの額に、大粒の汗が浮かぶ。

 明らかに消耗しているのは彼女の方だった。守護者は息一つ乱さず、まるで子供をあやすように彼女の攻撃を捌いている。援護したいが、今の僕が割って入れば一瞬で細切れにされるだろう。己の無力さに歯噛みする。


「だが、守るものがある戦いは不慣れなようだな。」

 

 ウィータの視線が、一瞬だけ背後にいる僕に向けられる。

 

「よそ見……しないでよ!」

 

 セイヴィアが焦燥を滲ませ、大振りの一撃を繰り出す。しかしそれは、ウィータが誘った明白な「隙」だった。


「ハハッ、隙だらけだぞ!」


 スライムの体が独楽のように回転し、遠心力を乗せた影の脚が、最短距離でセイヴィアの腹部を捉えた。


「がはっ……!」


 猛烈な衝撃と共に、彼女の体が弾かれたように吹き飛ぶ。大理石の壁に激突し、彼女は崩れ落ちた。手にしていた剣が、カランと虚しい音を立てて床を転がる。


「セイヴィア!!!」

 

 僕はなりふり構わず、彼女の元へ駆け寄る。


「ごめん……アラタ……。ボク、君を守るって……言ったのに……」

 

 口の端から血を流しながら、彼女は僕の顔を見て、今にも消え入りそうな声で謝った。こんな時まで、彼女は自分の痛みより、僕を優先しようとしている。


「その子ではワタシには勝てんぞ。いい加減キミも戦ったらどうだ? それとも、このまま彼女を見殺しにするかい?」


 死神のような足取りで、ウィータが近づいてくる。

 震える足に力を込め、僕は立ち上がった。


「……大丈夫だ。ここからは、僕がやる」

 

 勝算なんてない。でも、彼女を傷つけさせて終わるわけにはいかない。


「ダメだよ……絶対に死ぬ。」

 

 セイヴィアが、僕の袖を弱々しく掴んだ。


「じゃあ、どうすればいいんだ! このまま二人で死ぬのを待てって言うのか!?」


「だから……今からボクの全てを、君に委ねる……」

 

 彼女の瞳が、燃えるような紅い輝きを帯びる。


「ボクの手を握って……」

 

 差し出された、震える小さな手。僕は迷わず、それを両手で包み込んだ。

 

 瞬間、視界が白銀の光に染まった。

 

 熱い。身体の奥底から、自分のものではない膨大なエネルギーと「記憶」が流れ込んでくる。彼女が見てきた景色、積んできた鍛練、そして心の奥底に秘めた孤独……。

 

 魂が混ざり合い、境界が消えていく。


(さあ、唱えて! ボクとキミの『魔法』を!!)

 

 脳裏に響く彼女の声。導かれるように、僕の唇が未知の言霊を紡いだ。


『世界よ……刮目しろ!!!』

 

 広間の闇をすべて焼き払うほどの光が集束し、僕の右手に一振りの黄金の長剣が形作られる。それは実体を持った光の塊であり、セイヴィアそのものだった。


《君にボクの全てを委ねる! 今からキミが、ボクを救う王子様だ!!》

 

 セイヴィアの叫びと重なるように、黄金の剣が咆哮を上げる。

 

 物語の幕が上がった。

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