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第50話 焼き憑いた一振

『世界よ……逆巻け』

 

 ワシは、己の人生の全てである絶望の詠唱を口にする。

 

 思えば、全てをないがしろにして、ただ剣を振り続けた人生だった。

 

 戦う理由を失ってなお、取り憑かれたように剣を振り続けた。

 

 そして到達したのが、この力。

 

 全てを置き去りにして、ただ『斬る』という結果にのみ特化した固有魔法。

 

 それは、過ぎ去った過去に想いを馳せる、どうしようもないほどに未練がましい『俺』の業の形であった。

 

 ――スッ。

 

 空間がズレ、事象が改変される。

 

 ワシの固有魔法が発動し、一直線に向かってきていた英雄殿の首が、胴体から滑らかに切り離され、地面にゴロリと転がり落ちた。

 

(満足だ。後は……抜刀すれば全て終わる。)

 

 事象の改変は完了した。あとは、この鞘に納まった刃を物理的に引き抜き、残心を決めるだけ。最高の死合いが、今度こそ終わる。

 

 しかし。

 

 ワシが剣を鞘から引き抜こうとした、その瞬間だった。

 

 明らかな違和感が、指先から伝わってくる。

 

(刀が……抜けない?)

 

 渾身の力を込めても、白刃は鞘から一ミリたりとも動かない。

 

 驚愕し、ワシは自らの手元――鞘へと目をやった。

 

 凍っている。

 

 鞘の鯉口から柄にかけて、絶対零度の氷がびっしりと張り付き、刀を完全に縫い留めていたのだ。

 

(いつだ? いつ凍らされた? ……まさか、あの時か!?)

 

 ワシの脳裏に、数秒前の光景がフラッシュバックする。

 

 英雄殿の動きを殺気で止め、逆手に持った鞘でその横腹を強かに叩きつけた、あの瞬間。

 

 あの時、奴は腹部に『停止』の魔力を集中させて防御したのではない。

 

 ワシの打撃をその身に受けながら、防御のフリをして、ワシの鞘そのものに『停止』の魔力を直接流し込み、凍結の種を仕込んでいたのだ。


 この最後の賭けのために。

 

「あんたのそれは……飽くまで剣術なんだろ?」

 

 ふいに、静まり返った闘技場に声が響いた。

 

 声の主を探し、ワシは息を呑む。

 

 信じられないことに、その声は――床に転がった英雄殿の首から発せられていた。

 

 石畳を赤く染めていた鮮血が、まるで映像の逆再生のように宙へ浮かび上がり、首を失ってなおこちらに向かって走り続ける英雄殿の首へと吸い込まれていく。

 

 それに呼応するように、地面に転がっていたはずの英雄殿の首がふわりと重力を無視して浮き上がり、胴体の切断面へと吸い寄せられていった。

 

 ピタリ、と。

 

 肉と骨が完璧に噛み合い、傷跡一つ残さずに首が元の位置へと収まる。


 歪められた事象が……元に戻る。



⬜⬜⬜⬜⬜



(予想……通りだ)

 

 視界が正常な位置に戻り、切り落とされたはずの自分の頭が元通りに首と引っ付いたことを確認して、僕は心の中で短く呟いた。

 

 アレスは魔力ではなく、己の『剣術』によって世界を歪めていると言っていた。

 

 そして、その理不尽な固有魔法を発動する際、彼は必ず一度納刀し、事象が改変された後に抜刀して残心を決めている。

 

 つまり……。

 

「剣術である以上、納刀して『抜刀する』というプロセスが必要なんだろう!!?」

 

 僕は残された左手で氷の剣を握り直し、死に体のままアレスに向かって走りながら叫んだ。

 

「ククッ……アッハハハハハハハハッ!!」

 

 絶対の必殺技を破られたというのに、アレスは腹の底から愉快そうに笑い声を上げた。

 

「魅せてくれたなぁ……英雄殿!!!」

 

 歓喜に絶叫するアレスは、鯉口が完全に凍りつき、抜くことの叶わなくなった刀を――なんと、鞘ごと腰の帯から引き抜いた。

 

 刃ではなく、分厚い鞘そのものを鈍器として振るう構えだ。

 

 互いに最後の一歩を踏み込み、絶対の『間合い』へと入る。

 

 そして、同時に刀を振るう。

 

 大技である固有魔法の発動に失敗し、莫大な隙と反動を晒しているアレス。

 

 対して、まだほんの少しだけ動く余力を残している僕。

 

 状況はどう見ても僕が有利だ。

 

 勝利を確信した、まさにその瞬間だった。

 

(なっ!?)

 

 僕の眼前に、到底満身創痍の老人が放ったとは思えない、恐るべき速度の影が迫っていた。

 

 崩壊しゆく肉体の制限すらも意志の力でねじ伏せ、文字通り己の命の残滓『全て』を懸けた、神速の一撃。

 

 速い。圧倒的に速すぎる。

 

 このままでは、僕の氷の剣が届くよりも先に、アレスの振り下ろす鋼の鞘が僕の頭蓋を粉砕する。

 

 防御に回す『停止』の魔力も、躱すための体力も、もう……切れる手札は一枚も残されていない。

 

 完全な敗北と、死。

 

 それを予感した瞬間、極限まで圧縮された時間の中で、僕の脳裏に走馬灯が駆け巡った。

 

 次々と現れては消える記憶の欠片。

 

 その走馬灯の中で、セイヴィアの凛とした声が、僕の頭の中に強く、はっきりと響き渡った。

 

『――心に強く残っているものなら、目の前になくとも再現できるよ』

 

 そうだ。

 ある。あるじゃないか。

 

 たった数十分前、この場所で。僕の心を今もなお熱く焼き続けている、あの男の背中が。

 

 僕は、ボロボロになりながらも決して立ち止まることのなかった、コナトスが最後に振るった『極限の一撃』を頭に強く思い浮かべ、最後の『再現』の魔力を発動させる。

 

憑依ロード・コナトス!!!!!」

 

 魂の底から絞り出した言霊と共に。

 僕の限界を超えた肉体から、眩いほどの青い稲妻が激しく迸る。

 

「雷切!!!!!!」

 

 ただひたすらに、何千、何万、何億と素振りを繰り返してきただけの『基本の動き』。

 

 しかし、己の人生の全てを薪にくべたその凡人の一閃が、青い稲光となって剣神の神速を完全に置き去りにした。

 

 ――閃光が、闘技場を駆け抜ける。

 

 鞘が僕に届くよりもコンマ数秒早く、青い雷を纏った氷の刃が、アレスの胸を深々と斬り裂いていた。

 

「……天晴れじゃ」

 

 剣聖アレス・シュバートが、満足げな笑みと共に、静かにそう呟いた。



⬜⬜⬜⬜⬜



 「ハァ……ッ、ハァ……ッ、ハァ……ッ!!」

 

 氷の剣が砕け散り、僕は息を大きく乱してその場に立ち尽くした。

 

 体中から噴き出す血と汗。心臓は早鐘のように打ち鳴らされ、立っているのが不思議なほど肉体は限界を超えきっている。


 僕の目の前で、胸を深々と斬り裂かれたアレスが仰向けに倒れ込んだ。


「ワシは……負けたのか」

 

 冷たい石畳に横たわりながら、空を仰ぐようにして老人が呟く。

 

 その声に先程までのすさまじい覇気はもうない。命の炎が今にも消え去ろうとしている、ただの弱々しい老人の声だった。


「ああ……俺の勝ちだ」

 

 僕は荒い息を整えながら、彼を見下ろして短く答えた。


「楽しかったなぁ……英雄殿も、そう思うじゃろう?」

 

 死を目前にしてなお、アレスの顔には心底満ち足りたような、穏やかな笑みが浮かんでいた。


「そんな訳ないだろう。二度と御免だ」


「ハハッ、それは残念じゃ」

 

 僕の吐き捨てるような返答に、アレスは喉の奥で小さく笑った。

 

 しばらくの沈黙が訪れる。

 

 闘技場には、風が吹き抜ける音と、僕の荒い呼吸音だけが響いていた。

 

 やがて、沈黙を破るようにアレスが再び話し始めた。


「この刀……コナトスに渡してくれんか? なにせ、剣しか振ってこなかった故、こんなものしか残せんのでな」

 

 言うが早いか、彼は自身の腰に差していた鞘から己の魂とも言える愛刀を震える手で外し、こちらへと差し出してきた。

 

 凍りついていた鞘の氷はすでに溶け落ち、静かな黒光りを放っている。

 

 僕はその刀をじっと見つめ、そして、冷たく言い放った。


「……断る。俺はあんたの『敵』だぞ? そんな要求を聞く道理がどこにある」

 

 僕の言葉を聞いた瞬間、アレスは呆に取られたように目を瞬かせ――。


「ククッ……アッハハハハハッ!!」

 

 最後の力を振り絞るように、愉快そうに笑い声を上げた。


「これは一本取られた。全く……英雄殿には敵わんなぁ」

 

 彼は差し出していた刀をゆっくりと地面に下ろし、穏やかな瞳で僕を見つめ直した。


「英雄殿……敵からの忠告じゃ」


「なんだ?」


「シュピーゲル殿に気を付けろ。あやつとお主は、決して相容れない」

 

 唐突なその言葉に、僕は思わず眉をひそめた。


「……どういう意味だ」


「教えんよ……ワシはお主の敵なのだから」

 

 アレスはニヤリと、子供のように悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「チッ……最後まで食えない爺さんだ」

 

 僕は忌々しげに舌打ちをする。

 

 どこまでも身勝手で、最後の最後までこちらを翻弄してくる。

 

 彼から、光の粒子が立ち昇り始めた。

 消滅の時が来たのだ。


「ああ……悪くない。いや、最高の人生じゃった」

 

 光に包まれながら、剣聖は目を閉じ、深く息を吐き出した。

 

 その顔に未練はなく、ただ一つの道を極め尽くした者だけが持つ、完全な安らぎがあった。

 

 やがて光が弾け、アレス・シュバートという存在はこの世界から消滅した。

 

 あとに残されたのは、血に染まった石畳と、彼が遺した一振りの名刀。そして、淡く輝く一つの魔石だけ。

 

 僕は無言のまましゃがみ込み、残された左手でその刀と魔石を拾い上げた。

 

 ズシリと重い鋼の感触が、確かに一つの命が終わったことを告げていた。

 

 僕はそれらをしっかりと握り締め、静まり返った闘技場を後にした。


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