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第51話 バスタード

 薄暗い闘技場の通路を、ただ一歩ずつ前へと進む。


 戦いの熱狂が引き、極限状態の集中が途切れた瞬間、麻痺させていたはずの痛覚が波のように押し寄せてきた。失った右腕の付け根が焼け付くように痛み、全身の筋肉が悲鳴を上げている。視界はとうにぼやけ、自分がまっすぐ歩けているのかすら定かではなかった。


 それでも、倒れるわけにはいかなかった。待っている人がいるからだ。


「おかえり……アラタ」


 通路を抜けた先、差し込む光の中で待っていたのは、セイヴィアだった。


 彼女は血まみれの僕を一切躊躇することなく抱きとめ、その華奢な肩で崩れ落ちそうになる僕の身体を必死に支えてくれた。


「……ただいま。約束通り、死ななかったよ」


「バカ……君は本当に、大バカ野郎だ。」


 震える声でそう言いながら、彼女の瞳からは涙が溢れ落ちていた。僕が死んだら自分も死ぬと、あんなにも平然と言い放っていた彼女の、それが本当の気持ちだった。


「すぐに治癒します。」


 隣にいたアカリが、悲痛な顔で僕の失われた右肩に両手をかざす。眩く温かい光が全身を包み込み、千切れた血管と肉を繋ぎ合わせようと魔力が展開されていく。

 

 その規格外の治癒魔法によって、僕の失われたはずの右腕は、指先から肩の付け根に至るまで、あっという間に全快した。

 

「冷静になって考えるとヤバイな」

 

 何事もなかったかのように動く新しい右腕を見つめ、僕は思わず独り言をこぼした。あの欠損を瞬きする間に無かったことにしてしまうアカリの力は、やはり底知れない。

 

「本当に……勝ったんですね」

 

 治癒の光を収めながら、アカリが少しだけ震える声で言った。

 

「うん、実力で勝ったかと言われると、ちょっと怪しいけどね」

 

 借り物の力、盤外の心理戦、相手の油断やこだわり。全てを繋ぎ合わせて、ギリギリで掴み取った勝利だ。決して胸を張って『勝利した』とは言えない。

 

 しばらくの沈黙が落ちた。僕は、ずっと気になっていたことをアカリに問いかける。

 

「アカリ……少しでも、気持ちは晴れた?」

 

 かつて彼女の人生を終わらせた、復讐の相手。その男の最期を見届けた彼女の心境は、いかばかりだろうか。

 

「……ごめんなさい。正直、分からないです」

 

 アカリは、力なく目を伏せながらそう答えた。

 

「人を憎み続けるというのは、難しいですね。何気ない場面で、揺らいでしまう」

 

 コナトスとアレスの死闘。そして、僕とアレスの消滅前の最期の会話。ただの血も涙もない悪鬼だと思っていた剣聖の、ひどく人間臭い一面に触れ、彼女の中で彼に対する印象が少し変わったのだろう。

 

「アカリは……やっぱり、優しいね」

 

 僕は自然と手を伸ばし、再生したばかりの右腕でアカリの頭を優しく撫でた。

 

「……何ですか? これは」

 

 アカリが、少しだけ頬を膨らませてジト目でこちらを見つめてくる。

 

「あ、ごめん。つい」

 

 僕は慌てて手を引っ込めた。

 

「……駄目とは、言ってないのですが」

 

 アカリはツンと顔を反らしながら、消え入りそうな声で小さく呟いた。その耳元が僅かに赤く染まっているのが見える。

 

 ふと、視線を上げる。

 

 数歩離れた場所で、腕を組み、こちらを静かに見つめる男の姿があった。シュピーゲルさんだ。


『シュピーゲル殿に気を付けろ。あやつとお主は、決して相容れない』


 消え去る間際、アレスが遺した最期の言葉が、嫌なノイズとなって脳裏に蘇る。


「……見事な勝利だったな」


 シュピーゲルさんは、いつもと変わらない、感情の読めない平坦な声でそう告げた。


「……ありがとうございます」

 

 僕は彼から目を逸らさずに、静かに返した。

 

 最大の死線を越えたというのに。僕たちの前にはまだ、見えない巨大な暗雲が立ち込めているような気がしてならなかった。


「あの茶髪の剣士なら、すでに目を覚ましている。医務室でゴレムと一緒にいる筈だ、行って来るといい。」

 

 シュピーゲルさんはそれだけを言い残すと、背を向けて歩き出した。



⬜⬜⬜⬜⬜

 

 

 無機質な扉を開けると、ベッドの上に上体を起こしているコナトスと、その傍らに立つゴレムさんの姿があった。

 

 コナトスの身体の傷はアカリの治癒によって完全に塞がっていたが、その右腕だけは、やはり肩の付け根から不自然なほど滑らかに喪われたままだった。

 

「アラタ……」

 

 コナトスが僕を見て、少しだけ目を見開く。

 

 僕が何も言えずに立ち尽くしていると、背後にいたセイヴィアとアカリ、そして室内にいたゴレムさんが無言で目を合わせ、僕たちに気を遣って静かに医務室から出て行ってしまった。

 

 パタン、と扉が閉まり、二人きりになる。

 

 僕はベッドに歩み寄り、残された左手に握りしめていた鋼の刀と、淡く輝く魔石を、コナトスの膝の上へとそっと置いた。

 

「これを……アレスから預かった」

 

 僕の言葉に、コナトスは目を見張り、残された左手で自らの膝に置かれた愛刀の鞘にそっと触れた。

 

「……本当に、勝ったんだな」

 

 刀と魔石をじっと見つめながら、コナトスが信じられないというように呟く。

 

「ゴレムさんから聞いたぜ。最後は俺の技で締めたんだろ? いやー、もう少し早く目覚めてれば見れたんだけどなぁ」

 

 コナトスは顔を上げると、まるでお気に入りの試合を見逃した観客のような、いつも通りの明るい口調でそう言った。

 

 だが、僕はどうしても笑い返すことができなかった。

 

 彼の失われた右腕。剣士にとって命よりも重いものを失った彼に対して、どんな言葉を掛ければいいのか分からず、気まずい沈黙が流れる。

 

「ねぇ、コナトス。これから……どう、するの?」

 

 絞り出すように、僕は問いかけた。

 

「さぁ……どうしようか。この腕じゃ、攻略者は無理だしな。思い切って、自分探しの旅でもしようかな」

 

 コナトスは天井を仰ぎ見て、少しだけおどけたように笑った。

 

「そんな顔すんなよ。一番の目的は果たせたんだ。これで心おきなくセカンドライフだ」

 

 僕の沈痛な表情に気づき、彼は優しく諭すように言う。その飄々とした態度は、強がりなのか、それとも本心なのか。

 

「コナトスは……後悔してない?」

 

「後悔は……してないと言ったら嘘になるかもな」

 

 コナトスは膝の上の刀から視線を外し、窓の外の景色へと目を向けた。

 

「でもよ……後悔って、そんな悪いことか?」

 

「え……?」

 

 思いがけない言葉に、僕は思わず間の抜けた声を漏らした。

 

「俺は、死ぬときは後悔なく死にたいと思ってるが、後悔なく生きたいとは思わない。だって……後悔できるくらい何かを全力でするのって、最高だろ?」

 

 コナトスのその言葉には、一切の迷いも淀みもなかった。

 

 腕を失い、剣士としての未来を絶たれ、それでもなお、己が命を燃やし尽くしたその戦いを「最高だ」と言い切れる強さ。

 

 彼がどれほど真剣にアレスという男に向き合い、どれほど全力で己の人生を懸けたのか。その答えが、そこにあった。

 

「……間違いない」

 

 僕は深く頷いた。胸の奥に閊えていた重い塊が、彼のその言葉でスッと溶けていくのを感じた。

 

「アラタ……お前に会えて、本当に良かった。」

 

 コナトスは破顔し、残された左の拳を真っ直ぐに僕へと突き出した。

 

「それは……こっちの台詞だよ」

 

 僕は、アカリに治してもらったばかりの右の拳を突き出し、コナトスの左拳に力強くコツンと当てた。

 

 互いの拳から伝わる確かな熱が、僕たちの友情の何よりの証だった。



⬜⬜⬜⬜⬜



 通路へと出ると、セイヴィアとアカリとゴレムさん、そしてシュピーゲルさんが一斉にこちらを振り返った。


「話は終わりましたか?」

 

 ゴレムさんが気遣うように声をかけてくれる。

 

 僕はコクリと頷き、彼らに向かって歩き出した。

 

 その後、コナトスは少し休んだ後、「屋敷の整理をする」と、僕たちと一度別れて別行動をとることになった。


「寂しくなりますね。何せ、コナトスさんは私のギルドを使ってくれていた数少ない攻略者ですから」

 

 コナトスの背中を見送りながら、ゴレムさんが少し大げさに肩をすくめて言う。


「まあ……ちょくちょく顔を出しに行くとは言ってましたし。……ん? 数少ない攻略者?」

 

 僕は彼の言葉に引っ掛かりを覚えた。


「ええ、そうですよ。普通に考えて、ダンジョンの守護者が運営する攻略者ギルドなんて誰も使わないでしょ?」

 

 ゴレムさんが事も無げにそう言う。


(確かに……それじゃあ何でこの人はギルドの運営なんてしてるんだ?)

 

 心の中で思わずツッコミを入れた、その時だった。

 

 先頭を歩いていたシュピーゲルさんが、急に足を止めて振り返った。


「どうしたんですか?」


「俺も、ここら辺で別れようと思ってな」

 

 シュピーゲルさんはそう言いながら、懐からずっしりと重そうな皮袋を取り出し、僕に向かって差し出してきた。


「そんな……それに、これは?」


「当面の生活費だ。仕事を探すまでの間、ほぼ無一文では困るだろう」


「ええっ……受け取れないですよ、こんな大金!」


「良いから受け取れ、餞別だ。……それとも何か仕事のあてがあるのか?」

 

 シュピーゲルさんが少し強引に袋を押し付けながら問う。


「あてというか……攻略者を続けていこうかと」


「……何故だ?」

 

 その瞬間、シュピーゲルさんの声が一段と低くなった。


「攻略者なんぞ止めておけ、危険なだけで大して実入りも良くない。仕事が見つけられるか不安なら、見つかるまでは定期的に俺が生活費を持って行こう。それなら文句ないだろう?」


「ありますよ!! どんだけ過保護なんですか!!? ……それに」


「それに……何だ?」

 

 鉄兜の奥から見える瞳が、射抜くように僕を捉える。


「ダンジョンの最下層を、目指したいんです」


「最下層? 何故だ。お前達はもう、予言からは解放されたんだぞ?」


「最下層……というより、全ての代行者に会いたいんです」

 

 僕は真っ直ぐに彼を見つめ返し、はっきりと告げた。


「余計に意味が分からん。何故お前がそんなことをする必要がある?」


「頼まれたんです。アルデーレさんに……『全ての代行者を救って欲しい』って」


「……頼まれた、だと?」

 

 ピリッ。

 

 通路の空気が、まるで凍りついたかのように重く、冷たく変貌した。シュピーゲルさんから発せられるピリピリとしたプレッシャーが、肌を刺す。


「不可能だ。その道の先には、破滅しか待っていない。」


「そんなの……分からないじゃないですか。それに、例えそうだったとしても、諦める理由にはならない!」

 

 しばらくの間、重苦しい沈黙が場を支配した。

 

 シュピーゲルさんは深く、長い溜め息を吐き出し、ぽつりと問いかける。


「その決意は……揺るがないのか?」


「はい」

 

 迷いなく答えた僕を見て、彼は再び黙り込んだ。

 

 そして。


「……そうか、お前は『カガミ・アラタ』でしかないんだな」

 

 彼がそう呟いた直後だった。


『闇よ……覆え』

 

 シュピーゲルさんの詠唱と共に、周囲の視界が完全な漆黒の闇に包まれた。


「なっ……!?」

 

 突然の事態に驚愕するが、僕はアレスとの死闘で研ぎ澄まされた反射神経で、咄嗟に『停止』の魔力を全身に展開し、防御の構えをとった。

 

 数秒後、フッと闇が晴れる。

 

 しかし、僕の目の前にシュピーゲルさんの姿はなかった。

 

 嫌な予感がして、慌てて背後を振り返る。

 

 そこには、信じられない光景が広がっていた。


「あ……」

 

 シュピーゲルさんの手に握られた剣が、アカリの胸部を深々と刺し貫いていたのだ。


「アカリッ!!?」

 

 僕が悲鳴のような声を上げた瞬間、アカリの隣に立っていたゴレムさんが、シュピーゲルさんに向かって凄まじい速度で拳を叩き込んだ。

 

 シュピーゲルさんはそれを引き抜いた剣でガードするが、ゴレムさんの剛腕によって剣の方が砕け散り、その勢いで数歩後退する。

 

 ゴレムさんは間髪入れずに距離を詰め、重い回し蹴りを放ってシュピーゲルさんを壁際まで吹き飛ばした。


「アカリ!!!」

 

 崩れ落ち、気を失ったアカリの元へ駆け寄る。

 

 胸を貫通する酷い傷だ。僕は慌てて右手に『停止』の魔力を集中させ、止血のために傷口へ手を当てようとした。

 

 だが、ゴレムさんが力強い手でそれを制止した。


「アカリさんは大丈夫です!! その程度では彼女は死なない!! 既に『復元』の魔力によって治癒が始まっている筈です!!」

 

 ゴレムさんが叫ぶ。確かに、アカリの傷口から淡い光が漏れ出し、自律的に肉体を修復し始めていた。


「それよりも、今は彼です」

 

 ゴレムさんの視線の先、舞い上がった土煙の中から、シュピーゲルさんがゆっくりと姿を現した。


「何のつもり? 秘密主義はいつもだけど、今回ばかりは見過ごせない」

 

 セイヴィアが、冷たい怒りを孕んだ声で剣を生成し、シュピーゲルさんに切っ先を突き付ける。


「三対一か……仕方がない」

 

 服についた埃を払いながら、シュピーゲルさんが静かに呟く。

 

 そして、彼は右手をスッと前に翳し、信じられない言葉を口にした。


『世界よ……刮目しろ』


「な!?」

 

 セイヴィアが目を見開き、驚きの声を上げる。

 

 直後、セイヴィアの身体が眩い光に包まれ、その光の粒子がシュピーゲルさんの右手へと急速に集約されていく。

 

 そして、彼の右手に握られていたのは――神々しい光を放つ一振りの『黄金の剣』だった。


「何故、貴方がその詠唱を……ッ」

 

 間違いない。間違える筈がない。

 

 あの詠唱は、セイヴィアの、そして僕たちの『固有魔法』の筈だ。


「当然だろう? これは、俺とお前の為に造られた物なのだから」

 

 シュピーゲルさんが、黄金の剣を構えながら淡々と言う。


「ッ……セイヴィアを……返せ!!!」

 

 激しい怒りで右手に氷の剣を生成し、僕はシュピーゲルさんに向かって踏み出そうとした。


「待って下さい、アラタさん!!」

 

 ゴレムさんが、大きな両腕を広げて僕の前に立ち塞がる。


「無理です……恐らく勝てない。何より、今はセイヴィアさんが人質になっている。」


「でも……! ッ……クソッ!!!」

 

 僕はギリッと歯を食いしばり、やり場のない怒りと共に、右手の氷の剣を自ら握り潰した。


「賢明な判断だな」

 

 シュピーゲルさんが、黄金の剣の切っ先を真っ直ぐに僕へと向ける。


「お前が『カガミ・アラタ』でしかないと言うのなら、俺は……お前をカガミ・アラタ足らしめているものを全て壊す」

 

 鉄兜の中に宿る、底冷えするような絶対の意志。


「手始めに、全ての代行者を殺そう。今一度、この手で」

 

 ズガンッ!!

 

 シュピーゲルさんが黄金の剣を闘技場の床に深く突き刺した。

 

 すると、剣が眩い光と共に砕け散り、元のセイヴィアの姿となってその場に崩れ落ちた。


「セイヴィア!!」

 

 僕は慌てて彼女の元へと駆け寄る。

 

 咳き込みながら目を覚ましたセイヴィアは、顔を引き攣らせながら、シュピーゲルさんを指差した。


「お前か……お前が、第9層の守護者なのか。」

 

 セイヴィアの呟きが、通路に響く。


「もう二度と……会わないことを願っているよ」

 

 シュピーゲルさんは、振り返ることなく歩き出し、背中越しに冷たく言い放った。


「ハルト……」

 

 気持ち悪い程に安心感を覚える名前と絶望だけを置き去りにして、鉄兜の男は薄暗い通路の奥へと完全に姿を消した。






【バスタード】

・偽物、規格外、ろくでなし


・法律上の婚姻関係にない男女の間に産まれた子供



第二章 喪失編 完


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