第49話 最後の博打
強固な土の防壁越しに放たれた、絶死の一閃。
――来る。
僕は最後の足掻きとして、『停止』の魔力を全身に全力で展開した。
せめて、致命傷だけは防ぐ。
しかし。
――ザシュッ。
「ガァァァァァッ……!!」
その抵抗も虚しく、僕の右腕が肩の付け根から滑らかに両断された。
千切れた右腕が石畳にボトリと落ち、断面から間欠泉のように鮮血が噴き出す。神経を直接焼かれたような激痛に、僕は無様に地を転がり、喉が裂けるほどの苦悶の声を上げた。
(……今回は、普通に斬ってきた)
薄れゆく意識の中で、僕は激しい痛みと流れ出る血の熱さを感じ取りそう判断した。
物理的な切断。痛みと出血によるショック死か気絶狙いってところだろう。
「勝負ありじゃな、英雄殿」
アレスが自ら作り出した土の防壁を粉々に切り刻んで、悠然と姿を現した。
「なかなか楽しめた。出血で死なないうちに、アカリ殿に治して貰うがいい」
彼は血だまりの中で喘ぐ僕を一瞥すると、刀を鞘に納め、興味を失ったように踵を返して闘技場の出口へと歩き出そうとした。
「……待て、よ」
僕は、石畳を赤く染めながら、掠れた声で呼び止めた。
「……まだ何かあるのか? それ以上は本当に死ぬぞ?」
アレスが面倒くさそうに立ち止まり、肩越しに振り返る。
「装填・バスタードは……飽くまで、発動を途中で止めただけだ。……あの技は、まだ生きてる」
「何?…… お主、持っていた氷の剣をどこに……まさか!?」
僕の言葉に、アレスがハッと目を見開き、先程僕が牽制として放ち、彼の土の防壁に突き刺さったままになっていた『氷の斬撃』の破片へと視線を向けた。
「首を……切り落とさなかったな。舐めすぎだ」
僕は、血に塗れた左手の掌を、その氷の破片へと向けた。
『解除』
僕が短く呟いた、その瞬間。
――カッ!!!!
破片が、内包していた莫大なエネルギーを解放し、太陽が落ちてきたかのような目も眩む閃光を放って大爆発を起こした。
ズゴォォォォォォォンッ!!!!
指向性を持たせていない、純粋で無慈悲な破壊の奔流。
闘技場の中央で発生した超新星爆発のような劫火が、防壁を失って無防備に立っていたアレスの身体を、一切の容赦なく飲み込んでいく。
「即席の……爆弾だ」
吹き荒れる熱風の中で、僕は千切れた右肩の傷口に左手を当てた。
そして、『停止』の魔力で傷口の出血を無理やり止め、脳髄を焼くような痛覚そのものを麻痺させる。
土煙と業火が渦巻く闘技場を見据えながら、僕はゆっくりと、再び立ち上がった。
あれだけの爆発を至近距離、しかも無防備な状態で浴びたのだ。
いくらあの化け物でも、無事では済まないはずだ。
だが。
ザッ、ザッ……。
もうもうと立ち込める土煙の向こうから、重く、引きずるような足音が聞こえてきた。
「おいおい……冗談、だろ?」
僕は思わず毒づいた。
晴れていく土煙の中から、アレスがゆっくりと姿を現す。
衣服は焦げ、あちこちから血を流し、決して無傷ではない。だが、その足取りは確実に僕へと向かっていた。
「……流石に、堪えた。咄嗟に無属性魔術を発動してなければ死んでおったな」
アレスが、息を荒げながら言う。
あの瞬間に肉体強化を発動していたというのか。相変わらず常軌を逸した反応速度だ。
「これが『停止』の力か、なるほど……身体の自由が効かん」
アレスは、刀を握っていない左手の掌をじっと見つめながらそう言った。
ただの爆発ではない。あの攻撃には、僕の『停止』の魔力が込められていた。爆発と共に彼を包み込んだ魔力が、体内の無属性魔術を凍らせ、その動きを強烈に縛り付けているのだ。
しかし。
「ククッ……アッハハハハハハハハッ!!」
不自由な身体を悟りながら、アレスは天を仰いで狂ったような笑い声を上げた。
その目は、苦痛や焦りではなく、純粋な歓喜でギラギラと血走っている。
「ここまでヒリつくのはいつぶりだ!? 楽しいなぁ!! 楽しいだろう!? 英雄殿!!!」
闘技場を震わせるほどの絶叫。
死の淵に立たされてなお、いや、死の淵だからこそ最高に昂ぶっている。本物の戦闘狂の姿がそこにあった。
「とてもじゃないが理解出来ないな」
僕は冷たい息を吐き、残された左手にもう一度『氷の剣』を生成しながらそう答える。
「それならそれで構わん。どうせやることは変わらんのだから」
笑みを収め、アレスは深く、凄絶な殺気を纏って刀を構え直した。
僕も氷の剣を下げたまま、アレスの剣術の構えを取る。
お互いに、ゆっくりと歩を進める。
一歩、また一歩。
どちらも満身創痍。ほんの少しのミスが、そのまま死に直結する。
そして、互いの剣が届く距離――絶対の『間合い』へと同時に入り、ピタリと足が止まった。
「右腕を失ったお主と、身体の自由が効かないワシ」
アレスが、歪な笑みを浮かべて言う。
「互いにベストコンディションってところか?」
僕は不敵に笑い返し、剣の切っ先を突き付けた。
「分かっておるではないか。さあ……存分に殺し合おう!!!」
剣聖のその言葉が、最後の号砲だった。
――ダンッ!!!!
限界を超えた二つの肉体が、同時に石畳を蹴り砕き、残された命の全てを懸けた最後の死闘が幕を開ける。
ガァァァァァァンッ!!!!
氷の剣と鋼の白刃が真正面から激突し、闘技場に重苦しい音が響き渡る。
速さはない。先程までの、神速で繰り広げられていた次元の違う応酬に比べれば、まるで泥水の中でもがいているかのように遅く、鈍い剣戟だった。
右腕を失い、左手一本で剣を振るう僕。
全身に致命的な火傷を負い、体内を凍結させられ、動作の自由を奪われたアレス。
互いに肉体は限界をとっくに超え、ただ『倒す』という純粋な殺意と執念だけで動いている。
一振りごとに、口から血の塊が零れ落ちる。
足裏が石畳を滑り、踏み込みが甘くなる。それでも、互いの刃は決して致命の軌道を外さない。
「ハァァァァァッ!!」
「オォォォォォォォッ!!」
魂を削るような咆哮が交差する。
アレスが、痙攣する腕を強引に捻り、僕の首元へ刃を滑らせた。
僕はそれを氷の剣の側面でギリギリ弾き落とし、そのまま反転してアレスの胸元へと刃を突き出す。
――ザシュッ!
――ドスッ!
アレスの刃が僕の左脇腹を浅く切り裂き、僕の氷の刃がアレスの肩口を抉る。
血飛沫が舞い、互いの顔を赤く染め上げる。回避などしない。防御も捨てる。互いに肉を斬らせて骨を断つ、純粋な命の削り合いだ。
(重い……ッ!)
左腕の筋肉が断裂するような悲鳴を上げている。
アレスの剣撃は、その身体が崩壊寸前であるにも関わらず、一撃一撃がまるで巨大な岩盤を叩きつけられているかのように重かった。
「どうした!?その程度か!!」
血に塗れた顔で、アレスが嗤う。
「そんな訳……ないだろう!!!」
一閃、二閃、三閃。
鈍く重い、そして決して致命の軌道を外さない剣が何度も交錯する。
『再現』の力で読み切っているからこそ、僕はその重撃を紙一重で捌き続けることができた。そして、凍結したアレスの肉体が、ほんの僅かに彼の動きを遅れさせる。
ガキンッ!! と、斜めから打ち上げた僕の氷の剣が、ついにアレスの態勢を僅かに崩させることに成功した。
彼の胸元が完全にがら空きになる。
(もらった……!)
僕は残された左腕に全体重を乗せ、アレスへトドメの一撃を入れようと踏み込んだ。
だが、その刹那。
アレスの双眸が鋭く光り、彼の全身から闘技場の空気を瞬時に凍らせるほどの強烈な殺気が放たれる。
死のヴィジョンによる強制的なスタン。
その殺気を浴びた瞬間、僕は見えない刃がすでに自分の首筋に深々と突き立てられているような、圧倒的でリアルな錯覚に脳を支配された。
「……っ!?」
本能が死を幻視し、僕の動きが一瞬だけ完全に硬直する。
「グッ」
思わず苦悶の声が漏れる。
アレスがその致命的な隙を見逃すはずがなかった。彼は崩れた態勢のまま、刀を持つ手とは逆の手で腰の鞘を逆手に握り、無防備な僕の横腹に向かって凄まじい速度で叩きつけてきた。
僕は咄嗟に横腹へ『停止』の魔力を集中させ、迫り来る鞘の攻撃を強引に受け止める。
――ドゴォォォォンッ!!!!
だが、凄まじい威力で振るわれたその打撃は、僕の『停止』の許容量を物理的に凌駕していた。
「ガハッ……!?」
内臓が破裂するかのような衝撃が全身を突き抜け、僕の体はボールのように宙を舞い、闘技場の後方へと無惨に吹き飛ばされた。
石畳を転がり、血を吐きながら顔を上げる。
土煙の向こうで、アレスが静かに刀を鞘へと納めるのが見えた。
両足を広げ、腰を低く落とす、あの絶望の抜刀術の構え。
(ここで固有魔法かッ……)
右腕はない。体力も『停止』の魔力も底を突いている。
この状況では、あの事象改変の刃からは決して逃れられない。
種は蒔いた、後は賭けに出るしかない。
僕は残された左腕で氷の剣を握り直し、死にゆく肉体を無理やり叩き起こして、アレスに向かって全速力で駆け出した。
絶対の死地へと向かって、一直線に。
『世界よ……逆巻け』
剣聖の口から、冷酷な絶望の詠唱が響き渡る。
――スッ。
空間がズレる。
距離も、防御も、時間すらも無視した攻略不能の一撃。
アレスの固有魔法によって、僕の首は胴体から滑らかに切り落とされた。




