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第48話 詰み

 闘技場の中央で繰り広げられる、神速の斬撃の応酬。

 

 ボクは観客席の手すりに身を乗り出し、息を呑んでその光景を見つめていた。

 

「何をしている?」

 

 不意に、背後から底冷えするような低い声が聞こえる。

 

 振り返ると、いつの間にか戻ってきていたシュピーゲルが、腕を組み、鋭い眼光でこちらを睨みつけていた。

 

「何って……観戦だけど?」

 

 ボクはいつも通り、あっけらかんと答える。

 

「何故、一緒に戦っていないんだと聞いている」

 

 シュピーゲルが、かつてないほど冷たい声で、ボクを糾弾するようにそう言った。彼の背後には、コナトスの治療を終えたアカリとゴレムの姿もある。

 

「アラタがそうしたいって言ったからだよ」

 

「……正気か?」

 

 シュピーゲルの声に、明らかな怒りと呆れが混ざる。

 

「正気ではないね。」

 

 ボクはあっさりと認めた。

 

「アラタが一人で戦うメリットなんて一つも無いからね。止めてあげるのがボクの役割だし、それが正解だよ。」

 

「なら、何故……」

 

 シュピーゲルが、ギリッと奥歯を噛み締めて問い掛ける。

 

「信じてるからだよ」

 

 ボクは真っ直ぐに闘技場を見つめ返し、はっきりとそう言った。

 

「理屈じゃない。ボクは文字通り心からアラタを信頼してる。」

 

「チッ……」

 

 シュピーゲルは苛立たしげに舌打ちをすると、ボクの隣の観客席にドカッと乱暴に腰を下ろした。

 

「心配いらないよ。実際、いい勝負だしね」

 

 ボクは少しでも彼を安心させようと、闘技場を指差して笑ってみせた。

 

 アラタの放った氷の刃が、アレスの頬を切り裂いた瞬間だった。

 

「いい勝負……か」

 

 シュピーゲルは鼻で笑うと、目の前で繰り広げられる死闘を食い入るように見つめ始めた。

 

「何か、引っ掛かるところがあるみたいだね」

 

 彼の反応の違いに気づき、ボクは尋ねる。

 

「気づかないのか?」

 

 シュピーゲルは、闘技場から視線を外さないまま、低く唸るような声で言った。

 

「アレスの動きだ……遅すぎる。」



⬜⬜⬜⬜⬜



「グッ………ガァ……ッ」

 

 放った氷の刃が頬を切り裂いた直後、アレスは顔を覆い、身体を大きく震わせながら苦悶の声を上げた。

 

 作戦通りだ。

 

 体内に直接流し込まれた『停止』の魔力が、彼の中に張り巡らされていた無属性魔術の回路を完全に凍結させ、機能不全に陥らせたのだ。


 恐らくやつの体内は網目状に凍結しているはず。


「勝負ありだな。おとなしく降参しろ」

 

 僕は氷の剣の切っ先をアレスに向けたまま静かに宣告した。

 

 僕も限界が近い。これ以上、お互いに無駄な消耗を続ける必要はない。

 

 しかし。


「くくっ……ひひっ……」

 

 俯いていたアレスが、小刻みに肩を震わせ始めた。

 

 それは苦痛に耐えかねてのことではない。どう見ても、込み上げてくる感情を堪えきれないといった風な――不気味な笑いだった。


「アッハハハハハ! ……なんてな」

 

 顔を上げた剣聖の顔には、苦悶の表情など微塵もなかった。ただ純粋に、悪戯を成功させた子供のような満面の笑みが浮かんでいる。


「な!?」

 

 想定外の反応に、僕は思わず目を見開いた。魔力が効いていない? いや、確実に流し込んだはずだ。


「お主の能力についてはある程度知っておるよ。魔術及び魔力殺しの凍結能力。お世辞抜きに厄介な能力じゃ」

 

 アレスは頬から流れる血を親指で無造作に拭い取りながら、まるで世間話でもするかのように朗らかに言った。


「対策せねば折角の死合いがラッキーパンチ一発で終わってしまう。ならばどうするか、答えは簡単じゃろ?」

 

 その言葉の真意に気づき、僕はゾッと背筋が凍るのを感じた。


「最初から使わない……か」


「正解じゃ」

 

 アレスがパチンと指を鳴らす。

 

 つまり、この怪物は――純粋な『素の肉体』だけで、あの常軌を逸した超人的なパワーとスピードを発揮していたということになる。

 

 僕が『再現』の魔力と無属性魔術を使ってようやく届いた領域。そこに、彼はただ呼吸をするように自然体で立っていたのだ。

 

「さあ、策が一つ潰れた訳じゃが、まさかこれで終わりでは無いだろうな?」

 

 アレスが刀を構え直し、先程までとは比較にならない殺気と闘気を立ち昇らせた。


「当然だ。むしろ安心したよ、この程度で終わらなくて」

 

 僕は不敵に笑い返し、『停止』の魔力をさらに練り上げる。


 僕は石畳を蹴り砕き、本物の化け物へと向かって一直線に駆け出した。


 その直後だった。

 

「鈍いな。バテたか?」

 

 気付いた時には、アレスはすでに僕の目の前に立っていた。

 

(上段から来る……!)

 

 僕の脳はアレスの次の動きを完全に先読みしていた。

 

 しかし。

 

 ――ガァァァァァンッ!!!!

 

「グッ……ァァァッ!?」

 

 思考は追いついているのに、肉体が反応しきれない。

 

 辛うじて上段に構えた氷の剣に、アレスの刀が直撃する。その瞬間、まるで巨大な鉄塊で殴られたかのような衝撃が両腕を襲った。

 

 腕の骨がミシミシと悲鳴を上げ、足裏が石畳を削りながら十メートル以上も後方へと弾き飛ばされる。

 

「どうした英雄殿。威勢が良いのは口だけか?」


 アレスは追撃の歩を緩めることなく、笑みを浮かべたまま一歩、また一歩と距離を詰めてくる。

 

 一閃。二閃。三閃。

 

 放たれる斬撃はどれもが致命傷になり得る重さと速さを持っていた。僕は必死に氷の剣と『停止』の魔力で食い下がるが防戦一方だ。

 

 純粋なスペックの差。

 

 無属性魔術で無理やり限界突破させている僕の肉体は、すでにボロボロになり始めている。筋肉の繊維が千切れ、視界が赤く染まっていく。

 

 対するアレスは、ただの『素』。底なしの体力と筋力で、涼しい顔をして剣を振るい続けている。


「ハァ……ッ、ハァ……ッ!」

 

 息が上がり、膝が笑う。

 

(このままじゃ、押し負ける。)

 

 『再現』によって彼と同じ技量に到達しても、器の強度が違いすぎるのだ。

 

「ここが付け焼き刃の限界か」

 

 剣が上に弾かれ胴体ががら空きになる。

 

「しまっ……!」

 

 そして完全に体勢が崩れた僕の腹部に、アレスの容赦ない前蹴りが突き刺さった。

 

「ガハッ……!?」

 

 内臓が破裂するかのような激痛と共に、僕は闘技場の壁際まで吹き飛ばされ、石畳の上をボロ雑巾のように転がった。

 

 ゴホッ、と口から大量の血を吐き出す。

 

 視界が明滅し、意識が遠のきそうになる。全身が「もうやめろ」とサイレンを鳴らしていた。


「詰みじゃ」

 

 砂埃の向こうから、アレスの冷酷な声が響く。

 

 同時に、彼の口から思いもよらない詠唱が紡がれた。


『土よ……護れ』

 

 地鳴りのような音と共に闘技場の石畳が隆起し、アレスの前方に分厚く強固な土の防壁が展開された。彼の姿が、その壁の向こう側へと完全に隠れる。


「……冗談だろ」

 

 僕は絶句した。

 

 まさか、そこから撃てるのか。

 

 あろうことか視界が遮られたあの状態から、間合い無視の即死攻撃を放つというのか。

 

 僕は這いつくばった状態から強引に腕を振り抜き、氷の斬撃を飛ばした。

 

 高速で放たれた氷刃は、分厚い土の防壁に突き刺さる。壁にはわずかな亀裂が入っただけで、その向こう側のアレスには届かない。


 詠唱の隙、そして特有の溜め……理不尽極まりない固有魔法に存在した弱点。

 

 この怪物は、あろうことか魔術による防壁を展開することで、その致命的な隙を完全にカバーして見せたのだ。


「それは、反則だろ……」

 

 口から血を滴らせながら、僕は恨み言のように呟く。

 

 防壁の向こう側から、絶望の詠唱が響き渡った。


『世界よ……逆巻け』

 

 攻略不能の絶死の一閃が、音もなく放たれる。


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