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第4話 デート回!?

「ダンジョンの守護者が一人、劫火の代行者アルデーレ・エピストゥラと申します。以後お見知りおきを」

 

 その声は、広間の空気を一瞬で凍てつかせるような覇気に満ちていた。背後の炎が彼女の影を長く引き延ばし、その威厳を何倍にも膨らませる。

 

「貴方たちには二つの選択肢があります。このまま引き返すか、私の試練を受けるか……」

 

 僕はその圧倒的な力の奔流に、肺が押し潰されるような錯覚を覚えた。心臓の音が耳元でうるさく打ち鳴らされ、生唾を飲み込む音さえ響き渡る。


 戦闘の予感を感じた僕は咄嗟にセイヴィアを庇うように彼女の前に出てしまう。


 後になって考えればこれは悪手だ。僕が出たところできっと足を引っ張るだけ、しかし考えるよりも先に身体が動いてしまった。


「……あ、そういう形式的なのは大丈夫だよー」

 

 不意に、緊張感をナイフで切り裂くような場違いな声が背後から響く。

 

 その声を聞いた瞬間、守護者の肩からふっと力が抜ける。


「……一応、こうするのがルールなのよ。私だって、しなくていいならこんな堅苦しい挨拶しないわよ」

 

 さっきまでの世界の終わりを告げるような威圧感はどこへやら。彼女は呆れたように溜め息をつき、しなやかな指先で前髪を払った。その仕草は、放課後に愚痴をこぼす女子学生のそれと何ら変わりない。


「あの……セイヴィアさん?」


「セイヴィアでいいよ、アラタ」


「……セイヴィアは、この人と知り合いなの?」


「知り合いも何も普通に友達だよ。たまに街で一緒に買い物したり、スイーツ食べに行ったりするし」

 

 街でショッピング。守護者と王女が、テラス席でパンケーキを突っついている光景を想像して眩暈がした。守護者とは、ダンジョンの最奥で孤独に侵入者を屠る存在ではなかったのか。

 

 情報量の過多で思考が停止している僕に、アルデーレが冷たく燃える青い瞳を向けてきた。


 少し驚いたような表情を一瞬作ったが、すぐに元の凛とした表情に戻る。そしてしばらくの沈黙の後、守護者が問い掛けてきた。


「貴方、名前は?」


「加が……新・加上アラタ・カガミですけど……」


「そう……それじゃあアラタ。貴方にはやっぱり、私の試練を受けてもらうわ」


「なんで!?」

 

 あまりにも唐突で理不尽な宣告に思わず声を裏返すと、彼女は妖艶に微笑み、一歩、また一歩と距離を詰めてきた。


「もし試練が嫌なら、代わりの条件を出してあげる。……私の『恋人探し』を手伝ってちょうだい」

 

――恋人探し。

 

 神聖な第一層の守護者の口から出たとは思えない単語に、僕は開いた口が塞がらなかった。



◻️◻️◻️◻️◻️



「あはは!すごく面白いことになったね、アラタ!」

 ダンジョンからの帰り道、夕闇が迫る森の道を歩きながら、セイヴィアが鈴を転がすように笑う。


「他人事だと思って……。第一、僕はこっちに来たばかりなんだ。紹介できる知り合いなんて一人もいないし、そもそも守護者の恋人探しなんて、難易度が高すぎるだろ」

 

 もし失敗したら燃やす、と笑顔で脅された熱さがまだ背中に残っている気がする。


「ボクも紹介できるような人、心当たりないなぁ。……あっ!そうだ、シュピーゲル連れて行く? 結構マメだし」

 

「……これ以上、彼の胃に穴を開けるのはやめてあげて」


 不憫すぎる従者の顔を思い浮かべ、僕は深いため息をついた。

 

 やがて、僕が拠点にしている宿屋が見えてくる。


「それじゃあ、ボクは帰るね!また予定が空いたら遊びに来るから、その時に進捗を聞かせてよ。じゃあね!」

 

 嵐のように現れ、嵐のように去っていく。彼女の後ろ姿を見送りながら、僕はどっと押し寄せた疲労感に肩を落とした。

 

 今日こそは、泥のように眠れるはずだ。そう思っていた。


◻️◻️◻️◻️◻️



『カガミ・カエデ様のご家族の方でしょうか?』

 

 暗闇の中、冷たい病院の廊下の匂いが蘇る。

 

 考えるな、と思い詰めるほど、あの日の雨の音や、真っ白なシーツの光景が脳裏を埋め尽くしていく。

 

 すがりつくように握った妹の手は、恐ろしいほどに冷たくて、二度と握り返してくれることはなかった。

 

 守れなかった。僕が、奪ったようなものだ。

 

 考えるな、考えるな、考えるな……。


「ずいぶんと酷い顔。……うなされていたわよ?」

 

 不意に、凛とした、けれど柔らかな声が届いた。

 弾かれたように目を開けると、月明かりが差し込む枕元に、アルデーレが座っていた。


「アルデーレ……さん? どうやって……ここは二階ですよ?」


「そこの蝋燭の火から出てきたのよ。私は『火』のある場所ならどこへでも行けるから。明日の打ち合わせをしようと思って様子を覗いたら、あなたが今にも消えてしまいそうな顔をして寝ていたから……ついね」


 彼女の指先が、僕の額に浮いた汗をそっと拭った。その手は驚くほど温かかった。


「何があったの?」

 

 慈しむような問いかけ。けれど、心の傷口はまだ生々しく、言葉にしようとするだけで喉が拒絶する。

「……言いたくないです」


「そう……。だったら」

 彼女は自分の膝を軽く叩き、そこへ頭を預けるよう促した。


「僕たち、今日会ったばかりですよ? それも守護者と攻略者で……」


「いいから。……今は、ただの女の子の膝だと思って休みなさい」

 

 抗いがたい安らぎの予感。張り詰めていた糸が切れるように、守れなかった罪悪感で自分を縛り付けていた僕の心は、その無条件の優しさにすがりついてしまった。僕は吸い寄せられるように、彼女の膝に頭を預ける。

 

「昔……好きな人にも、こうして膝枕をしてあげたことがあったわ。……たった一回きりの、大切な思い出」

 

 僕の髪を梳く彼女の手つきはどこまでも優しく、その声は夜の静寂に溶けるように切ない。


「その人の顔も、声も、もう思い出せなくなってしまったけれど……」

 彼女は遠い空を見るような目で、ポツリと零した。


「あなたに恋人探しを頼んだのはね、あなたが私の好きな人に似ている気がしたからなの。顔が、声が、仕草が……。そして、何よりその『お人好し』そうなところがね」

 

 彼女はいたずらっぽく舌を出し、少女のように笑った。


「明日は街に出てデートをしましょう。買い物をしたり、美味しいものを食べたり、少しダンジョンで汗を流したり。……だから今は、全部忘れておやすみなさい」

 

 カエデを失ったあの日から、暗闇の中で僕を縛り付けていた不眠の呪縛が、凍った心が彼女の温もりに少しずつ溶かされていく。

 

 深い、深い、穏やかな眠りの淵へと、僕は沈んでいった。



◻️◻️◻️◻️◻️

 


――恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい。

 

 二十歳にもなって、初対面の女性の膝枕でヨダレを垂らさんばかりに熟睡してしまった。

 

 宿の窓から差し込む朝日を浴びながら悶絶していた僕は、今、アルデーレとの待ち合わせ場所に立っていた。


「あら、随分と早いわね。そんなに楽しみだったかしら?」

 

 不意に鼓膜を震わせたのは、昨日までの威厳ある声ではなく、少し弾んだような軽やかな響き。

 

 振り返ると、雑踏の中に一条の光が差したかのような錯覚を覚えた。

 

 いつもの着物姿ではなく、清楚な白いワンピースを身に纏ったアルデーレが立っていた。金糸を編み上げたような髪が風に踊り、白い肌をより際立たせている。


「……見惚れすぎよ。そんなに私の私服が珍しいかしら?」


 彼女は少しだけ頬を染め、いたずらっぽく覗き込んできた。


「いえ。……今日のアルデーレさんは、いつも以上にその、特別に見えて」


「……お世辞はいいわ。さあ、行きましょう。時間は有限なんだから」


 そう言って歩き出す彼女の背中を追う。彼女の歩幅は、僕の歩調を測るように、わずかに調整されていた。

 

 活気に満ちた大通り。

 

 露店には見たこともない極彩色の果実や、鈍く光る武具が並び、鼻を突く不思議な香辛料の香りが異世界の情緒を掻き立てる。

 

 彼女が足を止めたのは、小さな、けれどセンスの良さを感じさせる装身具の店だった。


「おう!アルデーレさんじゃないか、男連れとは珍しいねえ!」


「相変わらず下世話ね。そんなんだから品揃えは良いのに繁盛しないのよ」

 

 店主との気安いやり取りは、彼女がこの街に愛されている証拠だろう。

 

 彼女は細長い指先で、銀色の細いチェーンがついた耳飾りを拾い上げた。


「アルデーレさん、それは?」


「貴方のよ。……いえ、貴方に似合うと思って選んであげただけ。勘違いしないで」


 彼女は素っ気なく言い捨てると、僕の耳元にその耳飾りを寄せた。

 

 不意に近づく、彼女の温もり。


 石鹸のような清潔な香りが、周囲の喧騒を一瞬だけ遠ざけた。至近距離で見る彼女の瞳は、燃える火のように熱く、けれどどこか寂しげに僕を映している。


「……次は貴方の番よ。私の隣を歩くのに相応しいものを、何か選んでみて」

 

 彼女はわざと挑戦的な視線を向け、僕を試すように微笑んだ。

 

 クールな彼女が、一瞬でも立ち止まってしまうようなもの。

 

 数多の品が並ぶ中、ふと一つの輝きに目が留まった。


 銀細工の台座に、深い湖の底を切り取ったかのような、透明度の高い瑠璃色の魔石が嵌め込まれたブローチ。


「……それがいいの?」


「はい。この石の色、アルデーレさんの瞳と、よく似ていると思って」


 そう言って僕がブローチを手に取ると、彼女は一瞬、言葉を失ったように目を丸くした。


「……馬鹿ね。自分の瞳の色と同じものを身につけるなんて、少し、気恥ずかしいじゃない」


 口では反論しながらも、彼女の視線はブローチに釘付けになっていた。僕はそのまま代金を支払い、彼女の胸元へと手を伸ばす。


「つけてもいいですか?」


「……ええ。好きになさい」


 カチリ、と小さな金属音が響く。


 至近距離で伝わってくる、彼女の微かな鼓動と吐息。生きている人間の、確かなリズム。それがひどく愛おしく、同時に痛々しいほど眩しかった。


「……どうかしら。似合ってないなら、すぐに外すけれど」


 彼女は顔を伏せ、わざと冷淡な口調を装った。けれど、真っ赤に染まった耳たぶまでは隠せていない。

 

「いえ、とても。……アルデーレさんに、一番似合ってます」


 僕の言葉に、彼女は観念したように小さく笑みをこぼした。それは、守護者の威厳を脱ぎ捨てた、一人の少女としての柔らかな微笑みだった。


「……全く。貴方といると、調子が狂うわ。……ありがとう、大切にするわね」


 彼女は胸元のブローチにそっと触れ、再び前を向いて歩き出す。

 けれど、今度はその手が、僕の袖を少しだけ掴んでいた。

 

 ――昔、人混みではぐれないようにと、妹がよく僕の袖をこうして掴んでいた。

 重なる記憶に胸の奥がチクリと痛んだが、不思議と、嫌な痛みではなかった。


「まだまだ付き合ってもらうわよ。遅れないようにね」


◻️◻️◻️◻️◻️

 

 

 その後、僕たちは街を練り歩き、今はテラス席で紅茶の香りに包まれながら一息ついていた。

 

 アルデーレは行く先々で住民から挨拶されていた。ダンジョンの守護者がここまで街に馴染んでいるのは、奇跡に近いことに思える。


「アルデーレさんって、本当に街の人たちと仲が良いんですね。正直、最初はもっと恐れられているのかと思ってました」

 

 紅茶のカップを置きながらそうこぼすと、彼女はくすりと笑って目を細めた。


「守護者なんて肩書きは、今ではただの飾りよ。それに、私とこの街の付き合いはもうずっと長いの。ダンジョンから魔物が溢れ出さないように間引いたり、冬至のお祭りでは私の炎で街の大炉に火を灯したり……。彼らにとって私は、ちょっと力持ちで、火あつかいの得意なご近所さんみたいなものなのよ」

 

 彼女の視線の先では、先ほどの装身具店の店主が、客相手に身振り手振りで商売をしている。


「それに……あそこの口の減らない店主だって、昔は迷子になって泣いていたところを、私が手を引いて送り届けてあげたんだから。幼い頃の鼻垂れ小僧の顔を知ってる相手に、今さら威厳なんて通じないわ」

 

 どこか懐かしむような、慈愛に満ちたその横顔を見て、僕はストンと腑に落ちた。彼女の強大な力は、決して侵入者を屠るためだけのものではない。この温かな日常を守り、寄り添うためのものでもあるのだと。


「あの……一つ質問してもいいですか?」


「何かしら?」

 

「答えにくかったらいいんですけど、アルデーレさんはどうして、恋人探しをしているんですか?」

 

 昨日聞いた「僕を選んだ理由」ではなく、彼女をそこまで突き動かす動機。それを知りたかった。

 

「そうね……協力してもらう以上、話しておくべきね。簡単に言うなら――『過去』を取り戻したいから、かしら」

 

 彼女はカップを見つめ、静かに語り出した。

「私たち『代行者』が使う力は、世界を歪めるほどの強大なもの。けれど、それを行使するには相応の『代償』を支払わなければならないの。私の場合は『思い出』」

 

 彼女の声が、わずかに震える。


「何度も何度も力を使うたびに、私の記憶は削り取られていった。何を食べたか、誰と笑ったか……。今では、ほとんどの思い出が霧の向こう側。けれどね、たった一つだけ、魂に刻み込まれたように残っている感覚があるの」

 

「それが、『誰かを、身を焦がすほど好きだった』という事実」

 

 彼女は自分自身の胸元に手を当てた。


「その人の顔も声も、もうどこにもない。でも、その想いだけが消えない。……もし、もう一度誰かに恋をすることができれば、凍りついた私の時間が動き出し、失った『彼』のことも思い出せるんじゃないかって。……愚かな賭けよね。自分でも分かっているわ」

 

 どれほどの年月、彼女は一人でこの欠落を抱えてきたのだろう。


 世界を歪める程の力と引き換えに、自分自身を構成する記憶を差し出してきた少女。


 形は違えど、僕もまた、絶対に手放してはいけなかったものを失い、心に巨大な空洞を抱えて生きている。残された想いだけが自分を縛り続ける苦しみが、僕には痛いほどによく分かった。

 

 目の前にいるのは、圧倒的な守護者などではない。ただ、救いと温もりを求める一人の女の子だ。

 

 なら、僕の答えは決まっている。

 

「絶対に見つけましょう。僕にできることなら、何だってします」


 アルデーレさんが、弾かれたように顔を上げる。その瞳には、小さな、けれど確かな希望の光が灯っていた。


「本当に……心強いわ」

 

 今度は、僕の方から彼女の手を取った。


「善は急げです! さあ、デートを再開しましょう!」

 

 夕暮れの街角。石畳を蹴る音と、少しだけ照れたような彼女の笑い声が、オレンジ色の空へと溶けていった。


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