第3話 代行者
「そうだよ?そういえば言って無かったね。ボクこそが鏡の聖女にして、ノースフィールド王国の第三王女セイヴィア・ノースフィールドだよ!」
その宣言が放たれた瞬間、攻略者ギルドの喧騒は一度死に、直後に爆発した。
どうしてこんな辺境のギルドに聖女様が!?という驚愕の声。あるいは、先ほどまで彼女を鼻で笑っていた冒険者たちが「不敬罪で処刑されないよな!?」と顔を真っ青にして震え上がる声。
現場はさながら、火薬庫に火を投げ込んだような大騒ぎとなった。
結局、収拾がつかなくなった事態を重く見たあの怪しい鉄兜の男――シュピーゲルさんが、半ば強引に聖女様……いや、セイヴィアさんをどこかへ連れ去ることでその場は幕を閉じた。
「明日、朝にダンジョンの入口前に集合ねー」
引きずられながらも軽やかに手を振る彼女の後ろ姿を見送りながら、僕は思った。……彼女は「懲りる」という言葉を母親の腹の中に置いてきてしまったのだろうか。
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「おはよう!アラタ!」
翌朝。薄い朝靄が漂うダンジョン入口。約束の場所へ向かうと、そこには既に陽光を浴びてキラキラと輝く金髪があった。
屈託のないその声に、不意に『お兄ちゃん!』と僕を呼ぶカエデの声が重なって聞こえた気がして、一瞬だけ足が止まる。
幻聴だ。もう彼女はどこにもいないのだと、チクリと痛む胸の奥に言い聞かせる。
僕も相当早く来たつもりだったのだが、彼女は一体いつからここにいたのか。あどけない笑顔で手を振る姿は、昨日の「王女様」という肩書きが嘘のように馴染んでいる。
「ずいぶん早いね。シュピーゲルさんの許可は取れたの?」
「いや?取ってないよ」
彼女は春のそよ風のような軽さで言い放った。
「シュピーゲルはボクの従者だけど、他にも色んな仕事してるからね。目を盗んで街に出てくるくらい朝飯前だよ」
……従者側の苦労を思うと、勝手に涙がこぼれそうになる。御愁傷様である。
「まあ細かいことは気にせずに、早速ダンジョン攻略に行こうよ!依頼は受けてないけど、まずはアラタの魔術練習ってことでさ!」
その提案は正直、渡りに船だった。しかし、その前に解決すべき問題がある。
「その前に昨日くれたあのお金は何!?」
「え?足りなかった?」
彼女は不思議そうに小首を傾げる。
「逆だよ!相場が分からなかったから宿の人に貰ったお金を全部見せて、『これで何日くらい泊まれますか?』って聞いたんだ。そうしたら主人が顔を引き攣らせて、『……この宿を買い取りたいというご用件で宜しかったでしょうか?』って震えながら言われたんだぞ!」
僕が捲し立てると、彼女は「あはは!」と愉快そうに笑った。
「ごめんごめん、ボク相場とかあんまり知らないからさ。でも、少ないよりはいいじゃん!」
「それはそうだけど……とにかく、余った分は返すから」
僕は最低限の生活費だけを握りしめ、残りの「金塊に近い何か」を彼女に押し付けるように返した。
「別にいいのに……」
彼女は頬を少し膨らませて不満げに金貨袋を受け取る。
「何で……ここまで良くしてくれるんだ?」
「ん?王女だからね。国民に良くするのは当たり前だよ。それに……君はボクと同じだからね。」
似ているのではなくて、同じ
「それって、どういう……」
意味を聞き返そうとしたところで、彼女は僕の言葉を遮る。
「まあそんなことどうでもいいじゃん!!気を取り直して、ダンジョン攻略に出発!!!」
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~第一層~
結論から言うと、僕の「初めての魔術」は散々なものだった。
だが、彼女が教えてくれた魔術の真理は興味深いものだった。
驚くべきことに魔術は、遥か昔に異世界から来た「来訪者」がもたらした技術だという。
彼女の説明によれば、魔術とは「世界との契約」の総称らしい。
まず、起こしたい現象を『何々よ…何々しろ』という風に言葉にする。
そして、その現象に見合うだけの『魔素』を代償として身体に引き受ける。
この「言葉」と「代償」の二つが揃った時、世界というシステムが現象を具現化してくれるのだ。
理論はわかった。理論はわかったのだが、現実は非情である。
水弾を飛ばそうとすれば、蛇口から漏れた水のように3m先でポタリと落ちる。水の刃を飛ばそうとすれば、制御を離れた凶器が真横にいた岩を真っ二つにするなど、命中精度が絶望的だった。
「あれだけ魔術を連発しても魔素中毒になる気配がないし、素質はすごくあるんだけどね」
彼女の励ましが、失敗続きの心に染みる。……というか、今さらりと聞き捨てならない言葉が混ざらなかったか?
「魔素中毒って……何それ、初耳なんだけど」
「あれ?言って無かったっけ?魔素は生物にとっても世界にとっても毒だからね。取り込み過ぎれば危ないよ。だからこそ『取引』が成立するんだし」
彼女は、今日の夕飯の献立を話すような気軽さで続ける。
「寝てればだいたい治るけど、酷い場合は最悪死ぬから、本当に気をつけてねー」
……この子、聖女のくせに説明の順番が致命的に抜けている。
「……とりあえず、制御に慣れるまでは実戦投入は無理だな。威力だけあっても、味方に当たったら目も当てられない」
僕が肩を落としていると、彼女が楽しそうに指をさした。
「あっ!そうだ!最後に派生の『氷魔術』も試してみない?ちょうどいい練習相手も湧いてきたしさ!」
彼女の指の先、空間が歪み、そこから一匹の怪物が這い出してきた。「ヘルハウンド」。
姿は巨大な狼だが、僕の知る動物とは細部が異なっている。体躯は軍馬ほどもあり、全身を覆う剛毛は周囲の光を吸い込むようにどす黒い。
そして何よりも大きな違いは前腕だ。その構造は猿に近いと言える。僕の知る狼よりも遥かに発達した前腕。
元の世界なら軍隊が出動するレベルの脅威だ。だが、この世界の基準では「雑魚」の部類だという。どんな修羅の国だ。
「……やるしかないか」
いきなりの実戦、しかも未経験の属性派生。スパルタが過ぎるが、目の前の怪物は待ってくれない。
僕は両手を突き出し、魔素を喉の奥に溜め込むような感覚で詠唱を紡ぐ。
『水よ……凍れ!』
瞬間、ヘルハウンドの足元から這い出した氷の結晶が、一瞬でその四肢を地面へと縫い止めた。
「アラタ!そのままトドメ!」
僕は意識を研ぎ澄ます。今度は「弾」ではなく「刃」だ。
『氷よ……切り裂け!』
空気を切り裂く高音と共に、透明な氷の刃が射出された。それは見事な放物線を描き、ヘルハウンドの首を鮮やかに断ち割る。
断末魔の叫びすら上げず、怪物の体は黒い霧となって霧散し、後には小さな魔石が一つ残された。
「できた……のか?」
呆然と立ち尽くす僕の背中に、柔らかな衝撃が走る。
「アラタ!やったじゃん!一発で派生魔術を成功させるなんて!」
セイヴィアが弾けるような笑顔で抱きついてきた。
けれど密着した彼女から伝わる、トクン、トクンという力強い心音と、確かな体温。その「生きた温もり」を感じた瞬間、安置所で触れたカエデの氷のような冷たさを思い出し、息が詰まりそうになる。
僕は悲しみと動揺がバレないよう、努めて冷静を装いながら彼女をそっと引き剥がした。
「これならこの先の階層も余裕だよ!さあ、どんどん行こう!」
彼女の言葉通り、進むにつれて僕の魔術も(当たればという条件付きだが)それなりに形になっていった。
『氷よ……貫け!』
「おしいっ!」
「くっ……」
薄暗い通路。僕の放った氷の槍は、標的の頭を掠め、背後の石壁に深々と突き刺さって破裂した。飛び散った氷片に驚き、ゴブリンが怯んだ隙を突いて、セイヴィアが軽やかなステップで距離を詰める。
「でも、牽制としては完璧!」
彼女が剣を軽く振り抜くと、斬撃がゴブリンの胴体を両断した。
「……やっぱり、一人で十分なんじゃないか?」
僕がため息をつきながら言うと、彼女は不満げに頬を膨らませた。
「何言ってるの!一人じゃつまらないじゃん!!」
屈託のない笑顔。その真っ直ぐさに、僕は照れ隠しのように視線を逸らすしかなかった。
進むごとに、ダンジョン内の空気は湿り気を帯び、カビと鉄錆の混じったような血の臭いが濃くなっていく。現れるモンスターも、徐々にその数を増やしていった。
そして、広けた石室へ足を踏み入れた時のことだ。
僕たちを待ち受けていたのは、ゴリラを思わせる巨体に、粗悪だが分厚い鉄甲冑を纏った豚頭の戦士たち。近いのは「オーク」だろうか?それが約20匹程待ち構えていた。
今の僕が放つ魔術程度では、この数を捌くのは難しいかもしれない。
「さすがに数が……一旦通路に引く?」
僕が後退を提案しようとした、その時だった。
「アラタはそこで見ててよ。ちょっと掃除するからさ」
セイヴィアが一歩前に出る。その瞬間、彼女を包む空気が一変した。
陽だまりのような温かさは消え失せ、代わりに肌を刺すような、研ぎ澄まされた刃のような「気」が膨れ上がる。
次の瞬間、セイヴィアの背後の空間が波打ち、無数の波紋が浮かび上がる。そして、そこから夥しい数の「剣」が姿を現した。
「えぇ……」
僕が呆然と呟く間にも、空を埋め尽くした剣の群れは、号砲とともにオークの群れへと射出された。
それはまさに、蹂躙だった。
分厚い鉄甲冑など紙切れのように貫かれ、石室にはオークたちの断末魔と、無数の剣が石畳を穿つ轟音が響き渡る。ほんの数秒。ただそれだけで、先ほどまでの脅威はすべて黒い霧となって消え去り、後には夥しい数の魔石と、地面に突き刺さった光の剣だけが残された。
剣が役目を終えたかのように、パラパラと光の粒子になって空間に溶けていく。
「こんなもんかな!」
振り返ったセイヴィアは、何事もなかったかのようにいつもの無邪気な笑顔に戻っていた。
これが「鏡の聖女」その力の一端を僕は嫌と言うほど理解させられた。
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どれだけの距離を歩いたのか、彼女のペースに流されるまま突き進み僕たちは「守護者」が鎮座するという部屋の重厚な扉の前に立っていた。
「……さすがに引き返さないか?」
扉から漏れ出る、これまでとは異質の「圧」に僕は足をすくませる。
恐怖はない。
一度死を受け入れた影響なのか、生物が本来持つべき死に対する恐怖心が薄らいでいるのを感じる。
ただ、隣の彼女が傷つくことを想像すると足取りが鈍ってしまう。
「大丈夫だって。言ったでしょ?守護者は基本やる気ないから。もしもの時はボクがアラタを抱えて逃げてあげるし!」
屈託なく笑う彼女の横顔は、時に騎士よりも男前で、少し見惚れてしまう。
実際、ここまでの道中でのセイヴィアの戦いぶりは圧巻だった。特に、空間から無数の剣を出現させて雨のように降らせるあの技。あれも契約による魔術なのだろうか。
そんな思考を遮るように、巨大な扉が音もなく左右へと開いた。
~守護者の間~
そこは、これまで見てきた岩肌剥き出しの洞窟とは完全に切り離された空間だった。広さは小学校のグラウンドほどだが、天井は見上げるほど高く、床や壁は白亜の大理石で整えられている。
どこからともなく漂うのは、乾燥した沈香のような神聖な香り。ここはダンジョンというより、打ち捨てられた「神殿」だ。
「来るよ」
セイヴィアが鋭い声で告げた瞬間。
広場の中央で、床を突き破るようにして紅蓮の炎が噴き上がった。
「私が呼ばれたってことは……初めてこの階層に来た人がいるのかしら?」
炎の柱がゆっくりと渦を巻き、やがて一人の女性の姿へと収束していく。
そこにいたのは、僕と同い年くらいに見える絶世の美女だった。
金砂のように流れるサラサラの髪を肩口で切り揃え、身に纏っているのは、この世界では珍しい「着物」のような装束。
柔らかな布地越しにもわかる、しなやかで肉感的な身体つき。そして、左右非対称に微笑むその顔立ちは、この世の理を狂わせるような妖艶な美しさに満ちていた。
そして何よりも目を引くのは、頭上にぴんと立つ狐の耳と、背後でゆらりと揺れる巨大な尻尾。
――九尾。
前の世界で、人を惑わし国を滅ぼすと謳われた伝説の妖怪。そんな存在が放つ神々しいまでのプレッシャーが、空間全体を支配していた。
「ダンジョンの守護者が一人、劫火の代行者アルデーレ・エピストゥラと申します。以後お見知りおきを」
彼女は唇に指を当て、挑戦者を値踏みするように妖艶に笑った。




