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第34話 弱者

 斬って、斬って、斬り捨ててやる

 

 俺の頭の中は、行き場のない怒りと、底なしの焦燥から湧き上がるどす黒い衝動で埋め尽くされていた。朝特有の冷たく澄んだ空気を切り裂き、銀閃が何度も宙を舞う。

 

 無属性魔術で極限まで肉体を加速させた俺の剣撃を、魔術すらまともに扱えないアラタが視認できるはずなどない。事実、俺の放つ刃は確実にアイツの肉体を捉えていた。腕を、肩を、脚を、無防備な胴を。

 

 しかし、いくら渾身の力で斬りつけようと、刃が肉を断つ滑らかな感触はない。まるで分厚い鋼鉄の塊に無理矢理刃を叩き込んでいるかのような、不気味で異常な手応えが手首をビリビリと痺れさせるだけだ。筋肉の奥、骨の髄に届くような決定打には一向になり得ない。

 

 だが、それでも着実にダメージは蓄積している。アラタは俺の連撃に全くついてこられず、防御すら放棄した無惨な状態だ。

 

 すでにアイツの全身には数え切れないほどのおびただしい切り傷が刻まれ、流れる鮮血が朝の冷気にあてられて白い湯気を立てている。元々何色の服を着ていたのかも分からないほど、その姿は自身の血でどす黒い赤に染まりきっていた。

 

 出血量はとうに致死量に達していてもおかしくない。立っていることすら、常識を覆す奇跡だ。

 

 だというのに、アイツの心は欠片も揺るがない。

 

 血と泥に塗れた凄惨な顔の奥、その双眸だけが、燃え盛るような意志の光を宿して変わらず俺を真っ直ぐに射貫いている。


「バケモノが……」

 

 俺の口から、無意識のうちにそんな恐れを含んだ言葉が漏れ出ていた。

 

 このまま肉を削り続ければ、俺が勝つ。理屈の上では絶対に間違いない。アイツの命の灯火は風前の灯で、俺の体力にはまだ十分な余力がある。

 

 けれど、何故だ。何故、俺の頭の中に勝利のビジョンが少しも結像しない?

 

 ぞわり、と背骨を這い上がるような悪寒が走る

 

 ああ、そうだ。あの爺さんとこいつは、同種なんだ。

 

 魔術の優劣だとか、剣技の練度だとか、そういうこの世界の当たり前のルール――『法則』の外側に立っている。こちらがどれだけ論理と鍛錬を積み上げようと、根底から覆してくる異端の存在。

 

 状況的には圧倒的に優位に立っているはずの俺のほうが、本能でその絶対的な『格の違い』を感じ取り、思わずジリッと土を擦って後ずさりしてしまう。


「もう……終わりかよ」

 

 血の海から這い出たようなアラタが、こっちに向かってゆっくりと歩を進めてきた。

 

 その足取りは糸の切れた傀儡のようにふらついていて、ひどくおぼつかない。今すぐその場に崩れ落ちそうなほど危ういというのに、一歩、また一歩と砂利を踏みしめるその足音だけが、心臓を直接叩くようにやけに重く、俺の鼓膜に響き渡る。


「何で……お前は折れない」

 

 気がつけば、俺の声は怯える子供のように惨めなほどに震えていた。

 

 アラタは逃げ場を失った俺の目の前まで歩み寄ると、生温かい血に塗れた手で乱暴に俺の胸ぐらを掴み上げた。


「迷い続けてるからだ」

 

 血を吐くような掠れた声で、けれど魂の底から絞り出すように、アイツは強い切実さを込めて言い放った。


「もっといい方法があったんじゃないか。そんなことを、ずっと考え続けてる」

 

 その不器用な言葉の刃は、強さを求めて強がっていた俺の胸の奥、最も柔らかく脆い部分を無遠慮に抉ってきた。


「答えは出ない。きっとこれからも。……だからせめて、俺は、迷い続けることを止めない!!!」

 

 直後、俺の頬に鉄塊で殴られたかのような強烈な衝撃が走った。

 

 渾身の力を込めて振り抜かれたアラタの拳が、俺の顔面を真っ向から打ち据えたのだ。


「がっ……!」

 

 防御すら間に合わず、俺の身体は無様に宙を舞い、背中から固い地面に激しく叩きつけられた。肺から空気が押し出され、むせ返るような土の味と鉄の匂いが口の中に広がる。視界がぐらりと激しく揺れた。

 

 仰向けのまま白み始めた朝の空を見上げ、俺の口から思わず乾いた笑い声がこぼれ落ちた。


「ハハッ……何だよ……それ」

 

 アラタの言葉は、あまりに情けない。

 

 それは明確な正解を出せない弱者の、どうしようもない敗者の言い訳だ。本当の強者は迷わない。あの爺さんのように、圧倒的な力で世界の全てをねじ伏せ、振り返ることなく前だけを向いて進んでいくものだ。


……でも、何故だろうか。

 

 不器用で、泥臭くて、みっともない。その血を吐くような魂の叫びが、冷え切っていた俺の胸の奥で、確かな熱を伴って何度も何度も反響し続けている。

 

 今の俺じゃ、きっと爺さんには勝てない。どれだけ抗おうとも、あの途方もない力の壁を越えられる気は微塵もしない。

 

 だったら、せめて。

 

 俺も、目の前で血に塗れて立つこの『誇り高い弱者』のように、迷い続けることにしよう。例え正解などわからなくても、最後まで足掻き続けようじゃないか。

 

 俺は軋むように痛む体を起こし、手放しかけた剣の柄を固く握り直して、ゆっくりと立ち上がる。

 

 纏わりついていた暗い焦燥の憑き物が落ちたように、不思議と心は朝の空気のように澄み渡っていた。


「悪いが……もう一振りだけ付き合ってくれ。」

 

 俺は迷いのない眼差しで、真っ直ぐにアラタを見据えてそう宣言した。


「奇遇だな。俺も……一振りだ。」

 

 アラタもまた、満身創痍の血まみれの顔に、戦友に向けるような不敵な笑みを浮かべて応じた。


『雷よ……纏え』

 

 俺の静かな呟きに呼応し、周囲の大気が爆ぜた。青白い雷が、鼓膜を劈くようなバチバチという激しい音を立てて、俺の全身を駆け巡り、細胞の一つ一つを強制的に活性化させる。


 過剰な負荷に筋肉が悲鳴を上げる。今の俺では、この雷魔術による極限の身体強化を5秒と持たせられない。

 

 だったら、一振りだけでいい。

 

 俺の全てを賭けた一振り、一振りだけでいいから、あの理不尽な高みへ。いや……あの高みを超えてみせろ!!!


「雷切り!!!」

 

 対するアラタは、血まみれの指先で赤い魔石を取り出し、静かに呟く。


装填(リロード)・バスタード」


 脈打つように魔石が赤く発光し、その強烈な熱量がアラタの手に握られた氷の剣へと一気に注ぎ込まれていく。氷と炎が反発し合い、白煙が周囲の視界を白く染め上げる。

 

 互いの全霊を懸けた一撃が、朝の冷たい空気の中で臨界点に達し、今まさに激突の時を待っている。

 

 勝負の行方は、迷いながらも歩み続ける、二人の弱者の一振りに委ねられた。


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