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第35話 アイデンティティ

 視界を完全に奪うほどの濃密な白煙。その中を、俺は青い軌跡を描く一本の雷光となって駆け抜けた。

 

「おおおおおおおっ!!」


「あああああああっ!!」

 

 互いの血を吐くような咆哮が重なり合う。

 

 極限まで加速した俺の刃と、相反するエネルギーを限界まで圧縮したアラタの氷剣が、空中で正面から激突した。

 

 その瞬間、世界から音が消えた。

 

 ほんの僅かな空白の直後、空間そのものが割れたかのような轟音が鼓膜を蹂躙し、莫大な衝撃波が周囲の空気を丸ごと吹き飛ばす。


 雷の青と、熱量の赤。二つの極端な光が交じり合い、白み始めた朝焼けの空を完全に塗り替えるほどの閃光となって弾け飛んだ。

 

「ガ、ァァッ……!」

 

 手に伝わったのは、何かを決定的に断ち切った感触。そして同時に、自身の腕の骨が砕け散るような反動だった。

 

 アラタの持つ氷の剣が、限界を超えた熱量と俺の雷撃の負荷に耐えきれず、粉々に砕け散ったのだ。しかし、そこに圧縮されていたエネルギーは行き場を失い、ゼロ距離の大爆発となって俺たち二人を容赦なく呑み込んだ。

 

 雷魔術による身体能力強化が切れ、俺の体はもはやコントロールを失ったただの肉の塊となって宙を舞う。

 

 全身の筋繊維が断裂し、肺からは酸素が根こそぎ奪われた。背中から地面に激しく叩きつけられる衝撃すら、麻痺した脳には酷く遠い出来事のように感じられた。

 

 パラパラと、砕けた氷の破片が朝の光を反射しながら、まるで季節外れの雪のように俺たちの顔へと降り注ぐ。

 

 仰向けに倒れた俺の視界に映ったのは、すっかり白みきった、どこまでも高く澄んだ朝の空だった。

 

「……は、はは……」

 

 血と泥に塗れた喉から、ひゅーひゅーと空気を漏らすような乾いた笑いがこぼれる。指一本動かすことすらできない。身体中の全ての細胞が機能停止を訴え、意識は今にも暗い水底へと引きずり込まれそうだった。

 

 霞む視線を少しだけ動かすと、数メートル先でアラタが大の字になって倒れ伏しているのが見えた。

 

 満身創痍。ピクリとも動かない。だが、微かに上下する血まみれの胸ぐらが、アイツがまだこの世界にしぶとく執着し、息をしていることを示していた。

 

 俺の刀も、とうの昔に手から離れ、少し離れた地面に突き刺さっている。

 

 魔素中毒寸前、体もボロボロだ。『爺さん』がこの光景を見たら、なんて無様で醜い戦いだと鼻で笑うだろう。それは洗練された技術も絶対的な力もなく、ただ泥水をすするような、弱者同士の意地と意地のぶつかり合いでしかなかった。

 

 ――だが、悪くない。

 

 正解なんて分からない。迷いを抱え込んだまま、それでも足を止めずに這いつくばる。その不格好で泥臭い生き様が、今の俺にはひどく眩しく、誇らしく思えた。

 

「流石にやり過ぎですよ」

 

 どこからともなく、呆れを含んだ涼やかな声が降ってきた。

 

 直後、意識を手放しかけていた俺の体を、温かく柔らかな白い光が包み込む。

 

 それは先程までの暴力的な閃光とはまるで違う、慈愛に満ちた光だった。千切れた筋繊維が繋がり、砕けた骨が元の形を取り戻していく。空っぽだった肺に新しい空気が満ち、泥のように重かった体が、嘘みたいに軽快さを取り戻していった。

 

 みるみるうちに傷が癒えていく感覚を味わいながら、ゆっくりと上体を起こす。

 

 そこには、呆れ顔でこちらを見下ろすアカリの姿があった。

 

「あなたも『自分らしさ』を見つけられましたか?」

 

 彼女の静かな問いかけに、俺は少しだけ言葉を詰まらせた。

 

 自分らしさ。そんな高尚なものを手に入れられたのかは分からない。ただ、この不格好な生き方を、今は悪くないと思えている。

 

「さあ……どうだかな」

 

 俺は誤魔化すように短く返し、ゆっくりと立ち上がった。

 

 視線を向けると、数メートル先でアラタも同じように白い光に包まれていた。あれだけの致命傷を負っていたというのに、彼の傷もすっかり元通りに癒えきっている。

 

 アラタは地面に座り込んだまま、ひどくバツが悪そうに視線を彷徨わせ、チラチラとこちらを見つめていた。

 

 俺は足元に散らばる氷の破片を踏み砕きながら、真っ直ぐに彼の方へと歩いていく。

 

 俺が目の前に立つと、アラタは気まずそうに目を伏せた。

 

「コナトスさん、その……」

 

 言いよどむアラタの言葉を遮り、俺はスッと右手を差し出した。

 

「コナトスでいい。俺のためにしてくれたことだろ?気にしちゃいない」

 

 差し出された手を、アラタは少し驚いたような顔で見つめた。やがて、その表情に小さな安堵が広がり、彼は俺の手をしっかりと力強く握り返してきた。

 

「分かりました。コナトス」

 

 アラタが俺の手に引かれるようにして立ち上がる。

 

 互いの顔が正面から向き合った。剣のぶつかり合いも、殺意もない。ただの対等な男同士の距離感だった。

 

 ――だからこそ、だ。

 

「いや……気にしてないってのは嘘だな」

 

「え?」

 

 困惑の声を漏らし、無防備に目を瞬かせたアラタの鳩尾みぞおちに、俺は躊躇なく右の拳を叩き込んだ。

 

 魔術による強化も何もない、ただの重たい物理打撃。

 

「ぐぇっ」

 

 すっとんきょうなカエルのような声が漏れ、アラタは両手で腹を抱えながらその場にうずくまった。せっかく全快したというのに、涙目になって地面を這いつくばっている。

 

 その情けない姿を見下ろしながら、俺は今日一番の、自分でも驚くほど晴れやかな最高の笑顔を作ってみせた。

 

「これでチャラにしてやる。」

 

 痛みに悶えながら、アラタはすがるような目で背後のアカリを見上げた。

 

「ア……アカリン、これも治して……」

 

 だが、冷ややかな目で見下ろす彼女の口から紡がれたのは、無慈悲な宣告だった。

 

「……嫌です。」

 

 そのピシャリと跳ね除けるような拒絶の声を最後に、アラタはガクリと首を垂れ、静かに意識を手放した。

 

 すっかり白みきった朝焼けの空の下、俺たちの不格好な戦いは、そんな間の抜けた幕切れを迎えたのだった。



⬜⬜⬜⬜⬜



 見慣れた天井だった。

微かに漂う古びた木の香りと、窓から差し込む穏やかな陽の光。ここは間違いなく、ギルドにある僕の自室だ。


 ゆっくりと瞬きをしながら、最後に見た光景を思い出す。コナトスの一撃を腹に食らい、無慈悲にもアカリに治療を拒絶されて、そのまま……。


「……気を失った僕を、アカリかコナトスが運んでくれたのか」


 呆れた顔の二人、あるいは文句を言いながら僕を引きずるコナトスの姿が目に浮かぶ。あれだけ大見得を切って格好付けたというのに、最後が気絶だなんて。


「ダサいにも程があるな……」


 思わず口をついて出た自嘲の呟きは、静かな部屋にむなしく吸い込まれていった。


 結局、剣聖とコナトスの間に何があったのか詳しいことも聞けていないし、踏んだり蹴ったりもいいところだ。


 僕はのっそりと体を起こし、ベッドの端に座り直す。確認してみたところコナトスに殴られた腹部に痛みはない。どうやら僕が気絶したあとで、結局アカリが治してくれたらしい。彼女には本当に頭が上がらないな。


 僕は自分の両手を見つめ、そっと手のひらに『魔力』を集中させた。


 冷たい空気が掌の上で渦を巻き、何もない空間からパキパキと音を立てて美しい氷の結晶が生み出される。それを少しだけ眺めた後、僕は手を握り込み、結晶を粉々に砕いた。


 サラサラと、冷たい粒子が指の間から滑り落ちて消えていく。


 力を使えば使うほど、それが僕の体へ深く馴染んでいくのが分かる。


 以前のような、無理矢理に魔力を引き出しているような引っ掛かりや、血管が凍りつくような負荷はない。まるで手足を動かすのと同じくらい自然に、魔力操作が行えるようになっている。


 アカリの『固有魔法』によって、失われていた記憶が戻ってからというもの、僕の体はどうにも調子がいい。魔力の出力も、力の制御も、以前とは比べ物にならないほど安定していた。


 ……けれど、同時に妙な気持ち悪さがずっと胸の奥にへばりついている。


 脳内に蘇った記憶たちは、確かに僕の過去を語っている。僕がどう生きてきて、なぜここにいるのか。


 僕の記憶は、僕を『カガミ・アラタ』だと言っている。


 それなのに、どうにもしっくりこないのだ。


 まるで、他人のよく出来た記録映像を頭の中に直接流し込まれたかのような、決定的な乖離感。自分のものだと頭では理解しているのに、心がそれを自分の過去だと認めたがらないような、言い知れぬ違和感。


 ぎゅっと、自分の胸ぐらを掴む。そこにはちゃんと鼓動がある。確かな熱もある。


 けれど……


「僕は本当に『カガミ・アラタ』なのだろうか?」


 誰に問うでもないその疑問は、答えのないまま静寂に溶けていった。




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