第33話 友の情
朝特有の冷たく澄んだ空気が、ピンと張り詰める。
「は?……お前何言ってんだ?」
呆気にとられたようなコナトスさんの声が、虚空に溶けた。しかし、僕はその言葉の語尾すら聞き届けることなく、手のひらに魔力を集中させた。
大気中の水分が悲鳴を上げるようにバキバキと凍てつき、白濁した極寒の冷気を纏う氷の長剣が産声を上げる。僕は冷え切った柄を強く握り込み、硬い土の地面を蹴り飛ばした。
静から動へ。戸惑いから抜け出せない彼へと一直線に間合いを詰め、鋭い踏み込みと共に渾身の力で氷の刃を振り下ろす。
ガァンッ!!
重く、耳障りな衝撃音が朝の修練場に爆ぜた。
間一髪のところで反応したコナトスさんが、本物の剣を鞘ごと盾にして防いでいた。至近距離で、二つの荒い息遣いが交錯する。
「お前!……一体何考えてんだよ!!」
ギリギリと互いの刃と鞘が軋みを上げ、火花散る力比べの中、コナトスさんが怒鳴り声を上げた。その双眸には明らかな混乱と、不条理な暴力に対する強い苛立ちが浮かんでいる。
「言ったでしょう! あなたに決闘を申し込むって!!」
僕も顔を近づけ、負けじと声を張り上げた。剣越しに伝わってくる彼の腕力は、一晩中己を痛めつけてひどく疲弊しているはずなのに、岩のように重く、絶望的なほど強固だった。
「答えになってねぇんだよ!!!」
咆哮と共にコナトスさんの太い腕の筋肉が隆起し、僕の氷の剣を乱暴に上空へと弾き飛ばした。
両腕に骨まで響くようなビリビリとした痺れが走り、たまらず数歩後退する。コナトスさんもまた、反動を利用して僕から大きく距離を取り、油断なく体勢を立て直した。
彼は忌々しげに僕を睨みつけた後、背後で彫像のように静かに見守っているアカリへと鋭い視線を飛ばした。
「アカリ!! こいつ止めろ!!」
普段なら理を説いて止めてくれるはずの彼女への、それは縋るようなSOSだった。しかし、アカリは表情の筋肉をピクリとも動かすことなく、朝霧のように淡々と、そして氷よりも冷たく容赦のない言葉を返した。
「……心配しなくても即死さえしなければ、どんな傷からでも治してあげますよ」
それはつまり、手加減など一切不要、徹底的に殺し合えという残酷なゴーサインだった。退路を完全に断ち切るアカリの宣告に、コナトスさんの顔が絶望と焦燥でわずかに引き攣る。
「どいつもこいつも……」
ギリッと奥歯を噛み砕かんばかりに食いしばり、コナトスさんが血の滲むような舌打ちをした。
彼の意識が、完全にこちらへロックオンされたのが分かった。
怒り、焦り、そして昨夜のあの深い拒絶の空気が、彼の周囲でどす黒く渦巻いている。ここで僕が怯んで一歩でも引けば、彼の心は再びあの昏く冷たい殻の中へ永遠に閉じこもってしまうだろう。
だから、僕はさらに踏み込む。
「……言い方を変えましょうか?」
一呼吸置き、剣をゆったりと構え直しながら、意図的に声のトーンを底冷えするものへと落とした。いつも彼に向けていた後輩としての柔らかな敬意を、泥の中へかなぐり捨てる。
「あ?」
怪訝な表情で聞き返すコナトスさんを真っ直ぐに見据え、僕はアイドル活動で培った『観客の心を掌握する本能』をフル稼働させた。どう動けば、どう囁けば、相手の感情を最も大きく揺さぶれるか。
僕は、見下すような冷たい笑みを唇の端に浮かべた。
「ぬるい訓練してるから『俺』が見てやるって言ってんだよ」
その瞬間、コナトスさんの纏う空気が劇的に変貌した。
さっきまでの戸惑いや迷いがスッと霧散し、剥き出しの殺意とも呼べる刃のように鋭く張り詰めた気配が、修練場の空気をヒリヒリと焼き焦がしていく。
「随分と強気じゃねぇか……それが『素』か? そこまで言うならやってやるよ」
見え透いた安易な挑発だ。だが、『ぬるい訓練』という一言だけは劇薬だった。
今の彼の心を支配しているのは、恐怖心と、無力感。それを振り払うかのように、血反吐を吐きながら無我夢中で振るっていた命綱のような剣を、「ぬるい」の一言で嘲笑され切り捨てられたのだ。
その怒りが、尊厳を踏みにじられた屈辱が、彼の胸の奥で黒々とした業火となって燃え上がっているのが、肌を刺すような熱気として伝わってくる。
「後悔すんなよ」
大気が震えていた。無属性魔術を全身に巡らせたコナトスさんの気配が、巨大な獣のように膨れ上がる。
⬜⬜⬜⬜⬜
彼との付き合いは決して長いとは言えないが、互いのことは痛いほどよく分かっている。
僕が一度言い出したら決して引かない、死んでも譲らない頑固な性格だと知っている彼は、僕を「多少痛めつけた程度では止まらない」と正確に判断したのだろう。
ならばいっそ、腕の一本でも斬り落として強制的に沈める。それが一番手っ取り早い慈悲だ――そんな冷酷で、ひどく歪んだ決意が、彼の眼光にギラリと宿った。
直後、彼が踏み込んだ地面がクレーターのように爆ぜた。
速い。視認を許さないほどの速度で修練場の空気を引き裂き、瞬きする間もなくコナトスさんが眼前に現れる。
そして、一切の躊躇なく、僕の右腕の付け根を目掛けて銀色の白刃が振り下ろされた。避ける素振りすら見せない僕に構うことなく、刃は容赦のない断頭台のギロチンのように無慈悲な軌道を描く。
ギィィィンッ!!!!
肉を裂く音ではない。分厚い鋼鉄同士が全力で激突したような、耳をつんざく金属の嫌な音が修練場に木霊した。
「はあ!?」
コナトスさんが、驚愕のあまり素っ頓狂な声を上げる。
無理もない。無属性魔術で極限まで強化された彼の渾身の凶刃は、僕の腕を両断し鮮血を撒き散らすどころか、骨に届く気配すら一切なかったのだ。刃は僕の皮膚をわずかに裂き、肉の浅い場所でピタリと停止していた。
「だから……ぬるいんだよ!!!」
僕は自分の腕に食い込む鋭利な刃の痛みなど全く気にも留めず、腹の底から叫んだ。
目の前で起きた物理法則を無視した常識外れの光景に、歴戦のコナトスさんの思考が追いつかず、その動きが完全に硬直する。
コンマ数秒の、致命的な隙。僕はガラ空きになった彼の無防備な腹部へ向けて、腰の回転を乗せた左の拳を全力で叩き込んだ。
「ぐっ……!?」
ズンッ、と分厚い筋肉越しに胃袋を直接押し潰すような、生々しく重い手応えが拳に伝わる。コナトスさんが肺から空気を絞り出すような苦悶の呻き声を漏らし、くの字に折れ曲がった巨体がそのまま軽々と宙を舞った。
ドサリと鈍い音を立て、彼はおよそ二メートルほど後方の固い地面へと勢いよく叩きつけられた。
もうもうと砂埃を巻き上げながら無様に転がった彼は、すぐに激痛を堪えて立ち上がったが、その土気色の表情には明らかな混乱と、底知れない相手への焦燥が張り付いていた。
「……一体どういう理屈だよ」
荒い息を吐き、激痛の走る腹を片手で強く押さえながら、コナトスさんが血を吐くような強い語気で問いかけてくる。
「さあ? ……一つ言えることは、その程度の攻撃で俺の肌を何度撫でようが無駄ですよ」
僕は斬られた右腕からツーツーと流れ落ちる血を無造作に手で払い落とし、わざとらしく不敵な笑みを浮かべてみせた。
丁寧な敬語と、人を小馬鹿にしたような荒い口調を意図的に混ぜ合わせたアンバランスな言葉の刃が、彼の苛立ちの炎にさらなる油を注ぐ。
「……てめぇ」
コナトスさんがギリッと牙を剥くように歯を食いしばり、その双眸に明確な『敵』に対する殺意を宿して、射殺すような鋭い視線で僕を睨みつけてきた。




