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第29話 鏡反射

 会場を揺らす歓声と、ゴレムさんによる結果発表の重低音が、床を通して足裏までビリビリと震わせている。むせ返るような熱気と色とりどりのサイリウムの残像を背に、僕は薄暗い舞台裏へと駆け出した。


「アカリン……本当に最高のパフォーマンスだった」

 

 荒い呼吸を繰り返しながら、僕は肩で息をするアカリにありのままの感情をぶつけた。スポットライトの熱を帯びた彼女の肌は、汗で微かに光っている。


「ありがとうございます。プロデューサー……全部あなたのおかげです!」

 

 彼女は、額に張り付いた汗ばんだ前髪を気にするそぶりも見せず、花が咲くような満面の笑みを向けた。


 それは、ステージ上で観客を魅了するために完璧に計算された『アイドル・アカリン』の笑顔ではない。確かな達成感と、欲しかったものを手に入れた純粋な喜びに満ちた、一人の少女としての心からの笑顔だった。

 

 だが、次の瞬間。

「ああ……あと、セイヴィアさん」

 

 ふと、アカリの声から熱が引き、空気がひやりと冷たくなった。彼女は振り返り、圧倒的な敗北感に苛まれ、拳を白くなるほどきつく握りしめて俯くセイヴィアを見下ろす。

 

 そして、甘い毒を塗ったような、静かで棘のある声でおもむろに言い放った。


「勝負前の約束、あれ無しでいいですよ。貴方に返してあげます。《《私のプロデューサー》》をね」

 

 「私の」という言葉に、ねっとりとした強いアクセントを置いて「ファンのところに行って来ます」と、アカリは背を向け、軽やかなステップで光の溢れるステージへと戻っていく。


 振り返りざまに見えたその横顔には、完全な勝利者の優越感と、強い独占欲を滲ませた、ゾクッとするほど底意地の悪そうな笑顔がうっすらと浮かんでいた。



⬜⬜⬜⬜⬜

 

 

 静まり返った控え室のドアを開けると、肌を刺すようなピリついた空気が部屋中に充満していた。先ほどのステージの熱狂が嘘のような、無機質で冷たい空間だ。


「本当にどういうつもりなのかな? シュピーゲル??」


「……目的はちゃんと果たしたのだからいいだろう?」

 

 部屋の中央では、セイヴィアが凄まじい剣幕でシュピーゲルさんに詰め寄っていた。肩を震わせ、普段の飄々とした彼女からは想像もつかないほどの怒気を全身から放っている。


「こいつのことも、ちゃんと返して貰えて一件落着ではないか」

 

 一歩後ずさりながら、シュピーゲルさんはこちらにすがるような視線を向けてきた。無骨な鉄兜に阻まれて表情こそ読めないが、ガチャガチャと音を立てる落ち着きのない佇まいからは「おい、助けてくれ」という必死のSOSがひしひしと伝わってくる。

 

 加勢してやろうかとも思ったが、先ほどのバトルで彼の手のひらの上で良いように踊らされていた悔しさが蘇った。僕はささやかな仕返しとして、気づかないふりをしてそっと視線を逸らした。


「良くないよ! 試合前あんなに力強く宣言したのに!! ボクの手でアラタを取り戻さなきゃいけなかったのに!!!」

 

 セイヴィアの悲痛なまでの叫びが、殺風景な部屋の壁に鋭く反響する。彼女の怒りの底にあるのは、アカリから僕を『恵んでもらった』ことに対する強烈な屈辱感だ。

 

……『風よ…纏え』

 

 セイヴィアの剣幕にいよいよ耐えきれなくなったのか、シュピーゲルさんが小声で詠唱する。風の魔術によって機動力を底上げした彼は、呆れるほど鮮やかな身のこなしで窓枠を蹴り、まさしく『風』のようにその場から遁走していった。



⬜⬜⬜⬜⬜

 


 嵐が去った後のように、部屋には耳鳴りがするほどの深い静寂が降りた。遠くから漏れ聞こえる微かな歓声が、かえってこの部屋の孤立感を際立たせている。

 

 ……彼女に言わなければならない。

 

 喉の奥にこびりついた鉛のような事実を吐き出すため、僕はセイヴィアの方へゆっくりと歩を進めた。怒りで荒い呼吸を繰り返していたセイヴィアも、僕の纏うただならぬ雰囲気を察し、すっと表情を消して静かにこちらを見つめ返した。

 

 乾いた唇を舐め、重い口を開く。

 

 セイヴィア達と別れた後に起こったこと。そして、その顛末。

 

 言葉が鋭い棘となって喉に引っかかる。それでも、隠すことは許されない。


「僕は……アルデーレさんを助けられなかった。いや、違う。僕の甘さが……彼女を殺したんだ」

 

 絞り出した言葉は、冷たい光の下でボトリと床に落ちたように重かった。自らの罪を声に出すことで、僕自身の心が容赦なくえぐられていく。懺悔するように深く俯き、僕はただ、彼女からの冷ややかな軽蔑と激しい罵倒を待った。

 

 しかし、頭上から降ってきたのは、拍子抜けするほど穏やかな声だった。


「そっか……薄々、そんな気はしてたんだ」

 

 恐る恐る顔を上げると、セイヴィアはどこか遠くを見るような、悲しげな瞳で微笑んでいた。そこに僕を責める色は一切ない。


「ボクから言えることは何もないよ。だって……ボクは、アラタに選んでもらえた『恵まれてる』側だから」

 

 彼女の言葉の裏に滲む、アルデーレさんへの微かな罪悪感と深い寂寥感。それに胸を締め付けられ、僕はたまらず口を挟もうとした。


「でも……」


「アラタは……」

 

 僕の弁解を遮るように、セイヴィアが静かに一歩踏み出す。彼女の眼差しが、僕の心の最も脆い急所を正確に貫いた。


「裁かれて、罰を受けて……そうやって、楽になりたい?」


「っ……」

 

 肺から空気が抜け、息が詰まった。図星だった。

 罪悪感に押し潰されそうなこの苦しみから、一秒でも早く逃れたい。


 誰かに激しく糾弾され、罰せられ、許されることで、この血まみれの重荷を下ろしたい。僕の心の奥底にあった醜く無意識の甘えを、彼女は残酷なまでに見透かしていたのだ。

 

 絶句し、言い淀む僕を見て、セイヴィアはふっと肩の力を抜き、表情を和らげた。


「ごめん……意地悪なことを聞いたね。今の質問は忘れてくれていいよ」

 

 彼女はさらに一歩僕に近づき、逃げ道を塞ぐようにまっすぐに僕の目を覗き込んだ。


「ボクが聞きたいのは、一つだけ……アラタは、あの時ボクを選んだこと、後悔してる?」

 

 気丈に振る舞うその声には、微かな、けれど確かな震えが混じっていた。張り詰めた表情。もし僕がここで首を縦に振れば、彼女はきっと全てを諦め、何も言わずに僕の目の前から去ってしまうだろう。

 

 だが、その問いに対する答えにだけは、一ミリの迷いもなかった。僕は彼女の揺れる瞳を真っ向から見返し、胸を張って力強く宣言した。


「そんなわけない」

 

 過去にどれほどの罪を背負おうと、アルデーレさんを救えなかった後悔が一生僕を苛もうと。今の僕がセイヴィアを選んだという事実だけは、絶対に揺るがない。

 

 迷いのない僕の言葉を聞いて、セイヴィアはふっと長く息を吐き出した。そして、張り詰めていた糸がふつりと切れたように、安堵に満ちた優しい笑みを浮かべた。


「そっか……。それじゃあ、ボクたちは共犯者だね」

 

 闇に溶けるように紡がれたその言葉は、一生逃れられない呪いのようでもあり、地獄の底に垂らされた蜘蛛の糸のような救いでもあった。

 

 天井の明かりが頼りなく瞬く薄暗い控え室の中で、僕とセイヴィアは静かに視線を絡ませる。善悪を超えた場所で、僕たちはもう誰にも踏み込めない、歪で、血の匂いがするほどの赤い糸で結ばれた気がした。

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