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第28話 自分らしさ

「――いよいよ最終戦! 泣いても笑ってもこれが最後!! 歌とダンス、すべてを懸けた『総合』の部だァァァッ!!」

 

 ゴレムさんの地鳴りのようなアナウンスが、アリーナの空気を再び沸点へと押し上げる。


 数万の観客が放つ熱気は、もはや物理的な質量を伴う暴風だった。肌を焼くようにジリジリと伝わるその熱狂の渦中、出番を待つ舞台袖の張り詰めた暗がりへ、不意に重い足音が近づいてきた。


「安心しろ。俺はもう手は出さん。流石に魔素中毒寸前だ」

 

 シュピーゲルさんだった。第二回戦のあの神がかった魔術による演出は、彼自身の命の削りカスで生み出されたもの――彼の言い分を信じるならそうなのだろう。

 

 確かに、鉄兜に隠された彼の横顔は酷く青ざめているような気がする。しかし、ふと違和感がよぎった。限界を訴えるその言葉とは裏腹に、彼の呼吸には僅かな乱れすらない。暗がりの中でも、その双眸だけは獲物を値踏みする鷹のように冷徹で、静かな光を宿したままステージを見据えていたのだ。


「……それにもう、状況はイーブンだ。俺の小細工がなくとも、本物は勝手に輝く」

 

 自嘲するような、けれど確かな誇りを含んだ彼の言葉。それを証明するかのように、ステージでは先攻の『セイリン』のパフォーマンスが幕を開けていた。


憑依ロード・――アカリ」

 

 マイクを通さない、地を這うような呟き。その直後、セイヴィアさんの空気が一変した。動きが爆発的に加速する。今回は魔法による突風も、幻想的な光の幻影もない。一切の虚飾を削ぎ落としたステージ。

 

 だが、だからこそ恐ろしかった。彼女自身の内底からマグマのように溢れ出る野生的な闘争心と、アカリからコピーした冷徹で完璧な技術。相反する二つの要素が奇跡的な融合を果たし、剥き出しの刃となって観客の理性を直接切り刻んでいく。

 

 それは、ただ一人で空間を支配する絶対的な嵐だった。己の身一つ、その身のこなしと歌声だけでアリーナを制圧する王者のパフォーマンスに、会場は瞬く間に黄金のサイリウム一色に染まる。数万の観客が、彼女の放つ圧倒的な熱量に為す術もなく飲み込まれていった。



◻️◻️◻️◻️◻️



「すごい……」

 

 肌が粟立つような圧倒的な質量の歓声。その暴暴力的なまでの熱気に僕が気圧されていると、隣で出番を待つアカリが、衣擦れの音をさせて静かに立ち上がった。


「アカリン。今度は僕の番だ。僕の魔術で、氷のプリズムや雪の結晶を作り出して最高の演出をする。絶対に勝たせてみせるから――」


「プロデューサー」

 

 ヒンヤリとしたアカリの冷たい手が、魔力を練り上げようとした僕の腕をそっと遮った。

 

 振り返った彼女の青い瞳が、まっすぐに僕を見つめる。ハッとした。そこには、以前のような硝子めいた無機質さは微塵もなかったのだ。春の訪れを知った湖水のように澄み切った瞳の奥で、確かな『熱』が揺らめいている。


「お気持ちは嬉しいですが……今回は、私だけの力でやらせて貰えませんか?」

 

 それは、人形のようにただ従順だった彼女からの、明確な反逆の意志。

 

 僕の手から離れて、彼女が彼女自身の足で歩き出そうとしている。一抹の寂しさが胸を過ったが、それ以上に、抑えきれないほどの誇らしさが胸を満たした。彼女の瞳に宿る、決して折れることのない強い「意志」の光を受けて、僕はただ深く、無言で頷くしかなかった。



◻️◻️◻️◻️◻️

 

 

 眩い光の降り注ぐステージの中心に立つ。

 

 床板を震わせる激しいビートが足元から這い上がってくる中、私の胸の奥では、これまで経験したことのない嵐が吹き荒れていた。

 

 あんなにも素晴らしいパフォーマンスを見せつけられた『焦燥』。

 

 絶対に負けたくないという、泥臭くて醜い『悔しさ』。

 

 もし負ければ、あの人に私の声が届かないかもしれないという『恐怖』。

 

 感情を代償にして生きてきた、このからっぽの心。そこに、これほどまでに人間らしく、御しがたい熱が存在していたなんて未だに信じられない。

 

 ステップを踏み、マイクを握りしめて声を張り上げる。その一つ一つの動作に、自分の中のドロドロとした感情が乗っていくのが分かる。


 息が上がり、肺が焼け付くように痛む。汗が頬を伝い落ちる。その不快なはずの感覚すらも、今はたまらなく愛おしい。

 

 ああ……なんて。

 なんて『楽しい』のだろう。

 

 客席を見渡せば、巨大な暗闇の底に浮かぶ無数の白い光が、波のように私に向かって揺れている。鼓膜を打ち据える声援。彼らの純粋な熱狂に触れ、心からの感謝が溢れてくる。

 

 ……でも、ごめんなさい。今だけは、少しだけワガママを許して。

 

 私は今、ファンのためでも、目の前の勝負に勝つためでもなく……ただ一人、私に「生きる素晴らしさ」を教えてくれた、大好きなあの恩人のためだけに歌う。

 

 きっと届かないかもしれない。けれど、声の限りに、この命の限りに。

 

 曲が最高のクライマックスを迎えた、その瞬間だった。


 私の魂の奥底で、長年分厚い氷に閉ざされていた重い扉が、勢いよく開け放たれるのを感じた。


『世界よ……生きて』

 

 無意識のうちに、私の唇が『固有魔法』の言霊を紡いでいた。

 

 瞬間、私の全身から眩いばかりの純白の光が溢れ出した。それは破壊を齎すものでも、時間を停止させるものでもない。長く凍てついていた心をゆっくりと溶かすような、春の陽だまりのように温かな光。それが波紋のように広がり、アリーナ全体を優しく包み込んでいく。

 

 私だからこそ至った、自分らしさの結晶。

 

 変わり果てて、誰よりも辛そうに、重い何かを背負って生きていた『あの人』に捧げる癒しの光。

 

 光に触れた者すべての命を肯定し、『元に戻す』究極の癒し。

 

 怒号のような激しい熱狂は、いつしか言葉のない深い感動へと変わっていた。黄金に染まり、戦意に満ちていたはずの会場の誰もが、温かな白い光のシャワーを浴びながら、憑き物が落ちたような顔でポロポロと静かな涙を流していた。


 そして、舞台袖でその光を真正面から浴びていた僕の内側でも、決定的な『崩壊』が起きていた。

 ピキリ、と。脳の奥深くで分厚いガラスが砕け散るような音が響く。

 

 途端に、堰を切ったように濁流となって流れ込んでくる情報の渦。


 欠落していた過去のピースが、激しい頭痛と共に次々とあるべき場所へと収まっていく。

 

 視界が歪む。とめどなく溢れ出す熱い涙が、僕の頬を濡らしていた。



◻️◻️◻️◻️◻️



「――両者、一歩も譲らぬ歴史的なパフォーマンスだった! これより、最終判定に入る!」

 

 ステージが終わり、残響すら消え去った神聖な静寂を、ゴレムさんの震える声が破る。


「アカリンが良いと思う者は『白』、セイリンが良いと思う者は『黄色』のサイリウムを頭上に掲げよ!」

 

 ゴクリ、と誰かが息を呑む音が聞こえた。

 

 直後、客席が雪のような純白と、太陽のような黄金の二つの色に真っ二つに分かれる。どちらの光も、先ほどの奇跡を目の当たりにした感動の余韻で、小刻みに震えていた。

 

 集計の魔道具が空間の光を読み取り、空中に巨大な数字を弾き出す。

 

 その結果を見た瞬間、アリーナ全体が信じられないといったどよめきに包まれた。


「な、なんと……! 両者、一票の狂いもない『完全同数』だ!!」


「ひ、引き分け……!?」

 

 僕も思わず素っ頓狂な声を上げた。二人の極限の輝きが、文字通り完全に拮抗したのだ。


 いやそうか。セイヴィアはアカリを完全に再現していたんだ。拮抗するのは当然のこと、でもそれにしたって……

 

 会場がパニックにも似たざわめきに包まれた、まさにその時だった。

 

 舞台袖の深い暗闇の中から、すっと一本のサイリウムが掲げられた。

 

 それは壁に寄りかかり、静かに腕を組むシュピーゲルさんの手だった。


「ちょっ……シュピーゲル!?」

 

 セイヴィアが驚きの余り、裏返った声をあげる。

 彼の手に握られたその光は、暗闇の中でくっきりと、迷いなく『白』に輝いていた。

 

「別に、プロデューサーが投票してはいけないなんて規則はないんだろう? ……それに、目的は果たされたようだしな。」

 

 シュピーゲルさんが、僕の方を見ながらそう言った。その雰囲気は、先ほどまでの疲労の色など微塵もない。

 

 ――まさか。

 背筋にゾクッと悪寒に似たものが走った。

 

 主であるセイヴィアの勝利を誰よりも願い信じていたはずの彼。小細工をしてでも勝ちにこだわったあの男が、どういう風の吹きまわしなのか。

 

 いや、そもそもあの「魔素中毒寸前」という言葉すら、アカリを――いや、僕たちをこの極限状態に追い込み、あの『癒しの光』を引き出すための壮大なブラフ?

 

「……勝者――『アカリン』ッ!!!」

 

 僕の思考を置き去りにするように、集計魔道具の数字が一つ動き、ゴレムさんが高らかに勝利を宣言する。

 

 一瞬の空白。そして直後、鼓膜を破るような割れんばかりの歓声と祝福の嵐が吹き荒れ、夜のアリーナをどこまでも、どこまでも揺らしていった。

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