第21話 偶像
「ダンジョンの守護者が一人、燐光の代行者アカリと申します。」
一条の黄金の光柱から現れた少女は、あまりにも危うげで、それでいて非の打ち所がないほど完成された「工芸品」のようだった。
彼女がただそこに佇んでいるだけで、大理石に囲まれた神殿の空気そのものの密度が変わり、光が屈折して空中に虹色の輪を描くような錯覚を覚える。
透徹なる色彩。
彼女の肌は、夜露に濡れた白磁よりもなお白く、血の通った温もりを一切感じさせない。流れるような銀糸の髪が、重力に逆らうようにふわりと虚空を漂っている。
瞳は、深い凍土の底に沈んだサファイアを思わせる冷ややかな青。しかし、まばたきをするたびにその奥で微かな光が砕け、熟練の職人が精巧に刻んだカットグラスのような、鋭くも繊細な輝きを放っていた。
壊れゆく一瞬の静寂の中、彼女が言葉を紡ぐ。
「貴殿方には二つの選択肢があります。試練を受けるか、引き返すか。」
彼女が淡い色の唇を動かしたとき、その声は細い銀の糸を弾いたように清廉に空気を震わせた。
あまりに浮世離れした圧倒的な美しさと威圧感に、百戦錬磨のコナトスでさえ、数秒の間、完全に言葉を失って呆気に取られていた。だが、彼は奥歯を噛み締めてプロの攻略者としての正気を取り戻すと、低く通る声で応じた。
「……俺達はあんたと戦うつもりはない。あんたに一つ、頼みたいことがあってここに来たんだ。」
「……頼み、とは?」
守護者が小首をかしげると、場に張り詰めた緊張感が波紋のように広がる。コナトスは「自分で伝えろ」と促すように、顎で僕を示した。僕はごくりと生唾を飲み込み、一歩前に出て、彼女の透き通るような双眸を真っ直ぐに見据える。
「実は……記憶喪失を治すためにここに来ました。地上にいるゴレムさんが、貴女なら治せるかもしれないと言っていたので」
「ゴレム……あの土塊、随分と地上に馴染んでいるんですね。……彼の紹介なら、仕様がありません。治してあげます。」
アカリはわずかに目を伏せると、雪のように白い手で手招きをした。警戒しつつも近づくと、彼女は僕にしゃがむように促し、氷のように冷たい指先で僕の頭頂部をそっと包み込んだ。
「それじゃあ、今から治しますね。」
彼女の掌から、混じりけのない純白の光が放たれた。それは彼女の冷たい体温とは裏腹に、春の陽だまりのようにひどく温かく、荒れ果てた僕の心の中を優しく凪いでいくような慈愛の光だった。頭の中を覆っていた分厚い霧が、光に溶かされて晴れていくような心地よさに、思わず目を閉じる。
しかし、しばらく経った後。光がふっと収まり、目を開けると、彼女は少し不思議そうな、困惑の入り混じった顔を僕に向けていた。
「……治りませんね。脳の損傷による普通の記憶喪失なら、これで一瞬で元に戻るはずですが。……貴方、過去に一体どんな無茶をしたんですか?」
一切の感情の起伏がなかった彼女の声音に、初めて人間らしい「戸惑い」と、微かな「恐れ」の色が混じる。
守護者の奇跡の力にさえ、治癒を拒絶される僕の記憶。過去の僕は、一体どれほどの深い禁忌に触れたというのだろうか。空っぽの自分が、得体の知れない化け物のように思えて足元がすくむ。
「……そうですか。すみません、手間をかけさせちゃって。」
残念だが、不思議と深い絶望はなかった。彼女の力をもってしても治せないのなら、この「空白」には、まだ僕自身が向き合わなければならない意味があるのかもしれない。
「……すみません。私が『固有魔法』に辿り着いていれば、治せたかもしれませんが」
固有魔法。その聞き慣れない響きに、脳裏の霧の向こう側で何かが小さく跳ねた気がした。
「その、固有魔法って何ですか?」
「代行者の使う魔法の極致。いわば『自分らしさ』の結晶というべきものでしょうか。とにかく、私のそれなら貴方を治せるかもしれない、というお話です。」
「……自分らしさの結晶、ですか」
自分という存在の土台を完全に忘れてしまった僕にとって、それはあまりにも眩しく、残酷なほどに魅力的な言葉に聞こえた。
「ちなみに……なぜ、それを使えないのか教えていただいても?」
「……あなた、割とグイグイ来ますね。まあ良いでしょう。」
アカリはわずかに目を細め、自らの胸元にそっと手を当てた。
「先ほど、固有魔法は自分らしさの結晶だと言いましたね。私がこの光の癒やしの力を使う為の代償は、『感情』です。その影響で私は自分らしさの結晶である固有魔法を未だ使えないんですよ。」
腑に落ちた。彼女が纏う、あのガラス細工のように静謐な美しさは、心が欠落しているがゆえの「空白の美」だったのか。感情を失った彼女と、記憶を失った僕。僕たちはどこか、同じような欠落を抱えている気がした。
「……使えるようになる方法とか、分かりませんよね?」
無遠慮な自分に少し反省しながらも、問いを重ねる。そんな手段があるなら、彼女はとっくに実践しているはずなのだから。
「……一つだけ、思い当たる節はあります。」
「あるんかーい」
思わず素でツッコミを入れてしまった。コナトスさんが背後で「お前、守護者相手に……」と頭を抱える気配がしたが、彼女は全く気に留める風もなく、淡々と続けた。
「私の内にある、ほとんどの感情を失ってなお、唯一魂の底に強く残った願いを叶えることです。」
「……その願いとは?」
僕は生唾をごくりと飲み込み、彼女の淡い色の唇から溢れる言葉を待った。
「私の大切な人に……自分の気持ちを伝えることです。」
(……あれ? この流れ、どっかで見たことあるな。)
◻️◻️◻️◻️◻️
どうやら彼女の願いは、大昔に「生きることの素晴らしさ」を説いてくれた恩人に、どうしても伝えたかった「ありがとう」を届けることらしい。
「馬鹿らしいですよね。その相手がどこにいるかも、今この時代に生きているかすらも分からないというのに」
彼女は自嘲するように目を伏せた。
「そんなことないです。素晴らしい願いじゃないですか。それに……願いに貴賤はありませんよ。」
本心からそう思う。たとえ記憶を失っていても、願いが持つ重みだけは魂が覚えている気がした。
「手伝います。僕の記憶のためにも。それに……実は既に、伝えるための『めちゃくちゃ良い方法』が思い浮かんでるんですよね」
「本当ですか? それは一体……」
アカリさんが初めて、その硝子の瞳に微かな好奇心の光を宿し、身を乗り出した。
どこにいるかも分からない相手に届けるなら、闇雲に探すのは現実的じゃない。逆に相手の方から見つけて貰えばいいのだ。つまり、全世界の誰もが知るほどの影響力を持てばいい。
僕の失った記憶の引き出しの奥底から、画期的で、この世界を根底から覆すであろう「謎の知識」が、唐突にポロリと飛び出した。
「今日からキミは、『アイドル』だ!!!!」
「「……あい…どる?」」
今まで蚊帳の外で静観していたコナトスと、神殿の主である守護者が、完全に声のトーンを合わせて困惑の声をハモらせた。
「そう、今日からキミはアイドルの『アカリン』!!!! 歌って踊って、全世界にキミの気持ちを届けよう! 大丈夫、プロデュースは僕に任せて!」
僕がビシッと指を差して大真面目に放った宣言により、神殿を支配していた何百年分もの神聖な沈黙が、ガラガラと音を立てて崩れ去った。
記憶喪失の青年と、感情を失った超常の守護者。そして、ただ強さを求めていたはずなのに、なぜかアイドルのプロデュース現場に立ち会う羽目になった凄腕の剣士。
――後に世界に語り継がれることになる「伝説」の幕が、今、あまりにも突飛で奇天烈な形で上がろうとしていた。




