セーニャへの誘い
独立部隊のメンバーを決めることになったイヴァンスは、その後も様々な噂を耳にしていた。
セーニャとオルメスの関係について。
帝都でも名の知れた絵師が、教会で祈る二人の姿を一枚の絵に収めたらしい。
祈りの場で並び立つその姿は、まるで祝福された婚姻の一場面のようだったという。
さらに、教会関係者の間では、近いうちに正式に結婚式の日程が発表されるのではないか、という話まで出ているらしい。
まだ確定した事実ではない。
それでも、噂は噂として独り歩きを始め、気づけば周囲の空気にまで染み込んでいた。
聞くたびに胸の奥が痛む。
だが、その痛みを表に出すことはもうなかった。
イヴァンスは以前のように立ち止まることはしない。
クラリスに話した通りだ。
後悔するくらいなら、ちゃんと行動する。
自分が隊長として必要だと思った相手には、きちんと声を掛ける。
それが今の自分にできることだった。
(……それだけだ)
そう何度も心の中で繰り返しながら、余計な感情を押し込めていく。
◇
放課後。
教会の中庭は、夕方の光に包まれていた。
石畳の隙間に伸びる影が長く伸び、風が白い花壇を静かに揺らしている。
イヴァンスはその中を歩き、セーニャの姿を見つけると声をかけた。
「セーニャ」
「イヴァンス君?」
振り返ったセーニャは、いつものように柔らかい笑顔を浮かべる。
その表情は、何も変わらないように見えた。
「どうしたんですか?」
「ああ……少し話があるんだけど」
「はい」
セーニャはすぐに頷き、手にしていた祈祷書を胸に抱え直した。
イヴァンスは一度だけ息を整える。
言葉を選ぶ時間は、ほんの数秒のはずなのにやけに長く感じられた。
「実は、四月から正式に近衛騎士団へ入隊することになったんだ」
「おめでとうございます」
セーニャは心から祝うように微笑んだ。
その笑顔に、イヴァンスは一瞬だけ視線を逸らしそうになる。
「それと同時に、独立部隊を設立することになってね」
「独立部隊……ですか?」
「ああ」
イヴァンスは頷く。
「そのメンバーに、セーニャにも参加してほしいと思ってる」
「え……」
セーニャの表情がわずかに揺れた。
驚きと戸惑いが、ほんの一瞬だけ混ざる。
「私に……ですか?」
「うん」
イヴァンスは迷いなく答えた。
「回復魔法も補助魔法も、セーニャの力は絶対に必要だと思った」
「それに、今まで一緒に戦ってきただろ」
「だから、最初に声を掛けたいと思ったんだ」
セーニャはすぐには返事をしなかった。
ただ静かにイヴァンスを見つめる。
イヴァンスは続ける。
「ディハン軍務卿にも言われたんだ」
「隊長になるなら、自分が一緒に戦いたいと思う人間を選べって」
「だから、一番最初にセーニャへ声を掛けたんだ」
しばらく沈黙が流れる。
風が花壇を揺らす音だけが、やけに大きく聞こえた。
やがてセーニャは、小さく首を振った。
「イヴァンス君」
「うん」
「……ごめんなさい。この場ですぐにお返事することはできないんです」
一拍置いて、続ける。
「少しだけ……お時間をいただけますか?」
予想していなかった返答だった。
イヴァンスは一瞬だけ言葉を失う。
すぐに断られると思っていた。
あるいは、迷いなく受け入れられるか。
そのどちらかだと勝手に思い込んでいた。
だが、現実はそのどちらでもなかった。
「……分かった」
イヴァンスはゆっくりと頷いた。
「急な話だしな。すぐに答えを出せって言うつもりはないよ」
そう言いながらも、胸の奥には説明のつかないざわつきが残っていた。
断られたわけではない。
だが、受け入れられたわけでもない。
すぐに答えをもらえなかったことが、妙に胸に引っかかった。
(期待していいのか?)
そんな考えが一瞬だけ頭をよぎる。
しかしすぐに、別の現実がそれを押し流した。
「いや……」
セーニャには、オルメスがいる。
結婚の噂まで出ている相手だ。
もしそれが事実なら、独立部隊に参加すること自体が難しいはずだ。
イヴァンスは小さく息を吐く。
(俺は何を考えているんだ)
仲間として必要だから声をかけた。
それだけのはずだった。
それなのに、返事一つで心が揺れてしまう。
まだ完全に吹っ切れているわけではない。
その事実を、イヴァンス自身が一番よく理解していた。
◇
翌日。
イヴァンスは次にプラーサへ声を掛けた。
「プラーサ、少しいいか?」
「どうしたの? イヴァンス君」
いつもの落ち着いた声。
イヴァンスは昨日と同じように、独立部隊の話を説明した。
近衛騎士団に所属すること。
自分が隊長として部隊を作ること。
そして、その仲間になってほしいということ。
プラーサは静かに最後まで聞いていた。
途中で口を挟むこともなく、ただ思考しているようだった。
「……」
「それで?」
「他のメンバーの予定はどうなっているの?」
イヴァンスは指を折りながら答える。
「声を掛ける予定なのは、セーニャ、プラーサ、マリー」
「それとクラリスが生活面で支えてくれることになった」
「特別試合で一緒に戦ったロルマさんとカムシスさんにも声を掛けるつもりだ」
「ディハンさんからは、必要なら軍務省も説得に動いてくれると言われている」
プラーサは小さく息を吐いた。
「なるほどね……」
しばらく考え込んだあと、静かに頷く。
「今日、パパに相談してみる」
「でも、多分大丈夫だと思うから、前向きに検討するね」
「ああ、よろしく頼む」
イヴァンスは短く答えた。
◇
最後にイヴァンスが向かったのは、マリーのもとだった。
「マリー」
「はい、イヴァンス様」
いつもの落ち着いた笑顔。
その表情には迷いがない。
イヴァンスは同じように独立部隊について説明する。
話を最後まで聞いたマリーは、少しだけ目を細めて笑った。
「イヴァンス様」
「私に確認するなんて、野暮ですわ」
「え?」
「答えは一つしかありませんので」
迷いのない言葉だった。
イヴァンスは思わず苦笑する。
「ありがとう、マリー」
「でも、マリーは一年後だな」
近衛騎士団には年齢制限がある。
今すぐ同じ立場になることはできない。
マリーはそれを分かった上で、軽く肩をすくめた。
「ええ、そうですわね」
「ですが、イヴァンス様は楽しみにしていてください」
「……?」
「その時になれば分かりますわ」
その言葉の意味を、イヴァンスはまだ深く考えてはいなかった。
こうして少しずつ。
独立部隊の仲間集めは、静かに、しかし確実に動き始めていった。




