学園の噂
放課後の帝国学園。
授業を終えた生徒たちは、それぞれの馬車へ向かったり、部活動や訓練へ向かったりしていた。
正門へ続く回廊の窓際では、数人の女子生徒が外を眺めている。
「あっ……」
一人の女子生徒が、小さく声を上げた。
「今日も来てる」
その言葉に、周囲の生徒たちも一斉に視線を校門へ向ける。
学園の正門前。
白銀の鎧を身にまとった一人の騎士が静かに立っていた。
聖騎士団長、オルメス。
その姿は今や珍しいものではなくなっていた。
「また聖騎士団長様だ」
「最近毎日来てない?」
「もう一週間以上じゃない?」
「そうそう」
女子生徒たちは小声で話し始める。
「最初は教会の仕事かと思ったけど……」
「違うみたい。」
「毎日同じ時間に来て、そのままセーニャさんと馬車で出掛けてるもの」
「感謝祭の練習なんでしょう?」
「それだけかなぁ……」
意味ありげな笑みが広がる。
「でも、聖騎士団長様が毎日迎えに来るなんて普通じゃないよね」
「確かに」
「セーニャさん、本当にすごい」
そんな噂は女子生徒だけではなかった。
帰り支度をしていた男子生徒たちの間でも、同じ話題が上がっている。
「見たか?」
「ああ」
「今日も迎えに来てた」
「相手が聖騎士団長じゃ勝負にならないな」
「高嶺の花どころじゃないだろ」
「俺たちなんて最初から相手にされるわけないよ」
以前ならセーニャへ想いを寄せていた男子生徒たちも、今では半ば諦めたように笑っていた。
祝賀パーティーでも、オルメスと以外誰とも踊らず、誰の誘いにも応じなかった。
そして最近は毎日のように聖騎士団長が迎えに来る。
その光景を見れば、誰もが同じ結論へ辿り着いてしまうのも無理はなかった。
そんな噂が学園中へ広がる頃。
イヴァンスはいつものように近衛騎士団の訓練場へ向かっていた。
正門へ差しかかったところで、ふと足を止める。
門の向こう、少し離れた場所に見覚えのある後ろ姿があった。
淡い髪を揺らしながら、セーニャがオルメスのいる方へ小走りに向かっていく。
その先には、すでに馬車の扉を開けて待つオルメスの姿があった。
イヴァンスの位置からは、二人の会話までは聞こえない。
ただ、セーニャがオルメスの前で軽く会釈し、そのまま馬車へ乗り込むのが見えた。
続いてオルメスも自然な動きで扉を閉め、御者へ短く合図を送る。
馬車は静かに走り出し、学園の門を離れていった。
「セーニャ連日大変だな」
イヴァンスが小さく呟いた、その背後から声がかかる。
「おい、イヴァンス」
振り向くと、そこにはバリンスがいた。
祝賀パーティー以降、さすがにバリンスもセーニャをあきらめたらしい。
だが、彼女の動向が気にならないわけではないようで、
道の途中でイヴァンスを見つけると、にやにやしながら近づいてきた。
「最近の噂、聞いたか?」
「噂?」
イヴァンスは首を傾げる。
「セーニャと聖騎士団長のことだよ」
「いや……」
イヴァンスはさっき見たばかりの光景を思い出しながら頷いた。
「毎日迎えに来てるって話だぞ」
「巫女舞の練習だろ?」
「お前、愛想尽かされたんじゃないのか?」
イヴァンスは思わず目を丸くした。
「は?なんでそうなるんだ」
「だってさ、祝賀パーティーでも、セーニャは聖騎士団長としか踊らなかったんだ。
しかも最近は毎日迎えに来てるじゃないか」
「普通、そういうのって……な?」
バリンスが周囲の男子たちに顔を向ける。
「お前、セーニャに振られたんだろって、みんな言ってるぞ」
「何言ってんだ。そもそも付き合ってなんかないぞ」
イヴァンスの即答に、バリンスたちは一瞬きょとんと顔を見合わせた。
やがてバリンスは小さく息を吐き、苦笑する。
「……俺、こんなやつに負けたんだよな」
悔しそうに頭をかいたあと、どこか吹っ切れたように肩をすくめた。
「でも、相手が聖騎士団長なら俺も納得できる」
そう言うと、急ににやりと笑みを浮かべる。
「まあ、お前が振られたなら少しは気が晴れたけどな。ざまーみろ!」
「何がだ」
笑いながらも、彼らはどこか納得したようにどこかへ去って行った。
イヴァンスは首を傾げたまま、訓練場へ向かった。
その頃、聖教会の練習場では――。
広い床に、澄んだ歌声が響いていた。
「今のは悪くない」
「本当ですか?」
「ああ。ただ、歌い始める前に私の合図を待ち過ぎている」
「え?」
「本番では私が隣にいるわけではない」
「あ……」
セーニャは少し恥ずかしそうに笑った。
「つい確認してしまうんです」
「癖になっているな」
「はい……」
「もう一度やってみよう」
セーニャは深く息を吸い、再び舞い始める。
だが、一歩目を踏み出した瞬間だった。
「そこだ」
不意にオルメスが声を掛ける。
「えっ?」
思わず視線を向けたその一瞬で、わずかに足運びが乱れた。
「ほら」
オルメスはくすりと笑う。
「だから言っただろう。私の合図を待ち過ぎだと」
「も、もう……!」
セーニャは恥ずかしそうに頬を染めながら、唇を尖らせた。
「オルメス様が急に話しかけるからです」
「それも本番では起こり得る」
「うぅ……」
「大丈夫だ。ここまで出来れば本番でも十分通用する」
「ありがとうございます」
オルメスの声は穏やかだが、どこかからかうような響きが混じっている。
一連の動きが終わると、セーニャは息を整えながら小さく肩を落とした。
「……オルメス様がからかわなければ、もっと上手くできる気がします」
「それは困ったな」
「え?」
「私がからかわなくても、君はすぐ真面目になり過ぎる」
「う……」
「少しくらい肩の力を抜いた方が、本番は上手くいく」
「そういうものですか?」
「剣も舞も同じだからね」
オルメスは穏やかに頷いた。
「ほら、さっきより表情が柔らかくなった」
「余裕じゃありません!」
「そのくらいがちょうどいい」
「では、もう一度だ」
「もう……!」
そんなやり取りを交わしながらも、セーニャの舞は確かに少しずつ洗練されていく。
からかい半分、指導半分。
だが、その軽口の中には、オルメスの的確な助言とセーニャの真剣さが自然とにじんでいた。
やがて練習が一段落すると、セーニャがふっと息を吐き、オルメスへ向き直る。
「オルメス様」
「どうした?」
「次は、もう少しだけゆっくりお願いします」
「気を付けよう」
「気を付けるじゃなくて、約束です」
「……努力しよう」
「もう」
セーニャは呆れたように頬を膨らませたが、その表情はどこか楽しげだった。
オルメスはそんな彼女を見て、小さく笑みを浮かべる。
「だが、いい感じだぞ」
「本当ですか?」
「ああ。歌も舞も、前よりずっと安定している」
「……それなら、頑張った甲斐があります」
セーニャはそう言って、ようやく表情を緩めた。
その頃、学園では噂が広がり始めていた。
「見た?」
「やっぱり毎日一緒なんだ」
「今日も馬車で行ったね」
「感謝祭の練習だけとは思えないなぁ」
そんな声が、再び学園のあちこちへ広がっていく。
そして噂というものは、真実よりも人々の想像によって大きく膨らんでいく。
冬の冷たい風は、今日もまた新たな噂を学園中へ運び始めていた。




