帰り道
祝賀パーティーは盛況のうちに幕を閉じた。
華やかな音楽は止み、帝国学園の大広間からは来賓や学生たちが次々と外へ出ていく。
夜風が火照った頬を優しく撫で、
校門前には各家の紋章が刻まれた豪華な馬車がずらりと並んでいた。
御者たちは主を待ち、使用人たちは乗り降りの準備に追われている。
その一角には、聖教会が用意した白い馬車も停まっていた。
「さあ、帰ろうか」
オルメスが穏やかに微笑み、セーニャへ手を差し伸べる。
「はい」
セーニャも小さく頷き、その手を借りながら馬車へ足を向けた。
純白のドレスが月明かりを受けて淡く輝く。
パーティーでは終始多くの人々に囲まれていた彼女も、ようやく一息つける時間が訪れようとしていた。
馬車の踏み台へ足を掛けようとした、その時だった。
「――セーニャ!」
背後から、少し息の乱れた声が響く。
「……!」
セーニャが振り返る。
オルメスも驚いたように後ろを見る。
校門の方から、一人の青年がこちらへ駆けて来ていた。
イヴァンスだった。
「はぁ……はぁ……」
息を切らせながら、それでも必死に駆けて来る。
パーティー会場を飛び出してきたのだろう。
少し乱れた髪が、その慌てぶりを物語っていた。
「イヴァンス君?」
オルメスが少し驚いたように声を掛ける。
セーニャも馬車へ乗る動きを止め、優しく微笑んだ。
「イヴァンス君、どうしたんです?」
「そんなに慌てて……」
「……はぁ……はぁ……」
息を整えようとしながら、イヴァンスは二人の前で立ち止まる。
そして、少し照れくさそうに頭をかいた。
「いや……」
「今日も結局、ゆっくり話せなかったから」
その言葉に、セーニャは少し目を丸くする。
「せっかくだし……」
「一緒に帰らないか?」
その一言だった。
オルメスは一瞬だけ二人を見比べると、すぐに表情を緩めた。
「ははっ」
思わず笑みがこぼれる。
「だからそんなに慌てて走って来たのか」
イヴァンスは照れくさそうに頬をかく。
「ええ、まあ……」
「気付いたら走ってました」
その素直な返事に、オルメスはますます笑みを深くした。
「それなら話は簡単だ」
そう言うと、オルメスは自然な動作で一歩後ろへ下がる。
「セーニャ」
「はい?」
「今日はイヴァンス君と帰りなさい」
「えっ?」
セーニャが目を瞬かせる。
「オ、オルメス様?」
「少し夜風に当たりながら歩くのも悪くない」
「そんな……」
セーニャは慌てて首を振る。
「それはいけません」
「私のために歩いて帰っていただくなんて……」
「気にしなくていい」
オルメスは穏やかに笑った。
「君たちも、今日は忙しかっただろう?」
「ゆっくり話をして帰るといい」
「オルメス様……もう」
セーニャは少し頬を染める。
「からかわないでください」
「はは」
「悪い悪い」
オルメスは肩をすくめた。
「他意はないよ」
そう言うと、イヴァンスへ向き直る。
「さあ、イヴァンス君。セーニャのことを頼んだよ」
その言葉とともに、軽くイヴァンスの背中を押した。
「はい」
イヴァンスは少し驚きながらも、深く頭を下げる。
「ありがとうございます。オルメスさん」
「なに」
「楽しんでおいで」
それだけ言うと、オルメスは笑顔で手を振った。
その穏やかな笑みに見送られながら、イヴァンスは馬車へ乗り込む。
向かい合うのではなく、セーニャの隣へ腰を下ろした。
御者が扉を閉める。
静かに馬車が動き始めた。
車輪が石畳をゆっくりと転がる音だけが響く。
しかし――
「……」
「……」
二人とも何も話せなかった。
パーティーでは「話したい」と思い続けていた。
ようやく二人きりになれたというのに、不思議なくらい言葉が出てこない。
沈黙だけが静かに流れる。
やがて、その空気を和らげるようにセーニャが小さく笑った。
「……なんだか」
「こんなに話さなかったの、初めてですね」
その言葉に、イヴァンスも苦笑する。
「ああ……」
「本当だな」
「学園へ入学してから、ずっと一緒だったもんな」
授業も。
昼食も。
放課後も。
いつも自然と隣にセーニャがいた。
だからこそ、一か月近くまともに話せなかった時間は、
イヴァンスが思っていた以上に長く感じられていた。
「礼儀作法の練習、大変そうでしたね」
セーニャが優しく言う。
「何度かマリーさんに連れて行かれるところを見ました」
「ああ……」
イヴァンスは苦笑した。
「毎日怒られてたよ」
「姿勢が違うとか」
「足の運びが違うとか」
「礼の角度が違うとか」
「ふふっ」
セーニャが思わず笑う。
「マリーさんらしいですね」
「でも」
「今日のイヴァンス君、とても素敵でしたよ」
「えっ?」
突然の言葉に、イヴァンスは思わず固まる。
「ダンスも、とても上手でした」
「マリーさんも喜ばれると思います」
「そ、そうかな……」
照れくさそうに頬をかく。
褒められることには慣れていない。
それでも、セーニャにそう言われると、自然と嬉しくなってしまう。
そんな自分に少し戸惑いながらも、イヴァンスは話題を変えた。
「そういえば」
「ベラミカ先生は?」
「今日は一緒じゃないんだな」
「あ、お姉さまですか?」
セーニャは頷いた。
「お姉さまは先に教会へ戻って、私を待ってくださっています」
「待ってる?」
イヴァンスは首を傾げる。
「どうして?」
「この格好のまま家へ帰っても着替えられませんから」
セーニャはドレスの裾を軽く摘まんで見せる。
「お姉さまが着替えを手伝ってくださるんです」
「あっ」
イヴァンスは納得したように頷く。
「そうか」
「確かに一人じゃ大変だよな」
「はい」
セーニャは微笑む。
「それに、お姉さまはあまり華やかな場がお好きではありませんから」
「祝賀パーティーも最後までは残らず、先に戻られたんです」
「ベラミカ先生らしいな。ああいう賑やかな場所より、
自分の好きなことをしている方が落ち着く人だからな」
二人は顔を見合わせ、小さく笑う。
ようやくいつもの空気が戻ってきた。
他愛もない会話。
特別な話ではない。
それでも、この一か月間ほとんど話せなかった二人にとっては、それだけで十分だった。
馬車は夜の帝都を静かに進んでいく。
窓の外には、祝賀パーティーを終えた街の灯りが流れていた。
イヴァンスはその景色を眺めながら、ふと隣へ視線を向ける。
穏やかに微笑むセーニャ。
その姿を見ているだけで、不思議と心が落ち着く。
(……そういえば)
(こうしてセーニャと話すのが、当たり前だったんだよな)
そんな他愛もない会話を続けながら、馬車は静かに聖教会へと向かっていくのだった。




