宰相の決断
ロルフィン辺境伯。
そして、冒険者ギルドを統括するグランドギルドマスター・バサル。
二人の連名によって提出された一つの申請書は、帝都に大きな波紋を広げた。
――アーカットへの帝国騎士団駐屯。
いや。
正式には、アーカットを拠点とする新たな帝国騎士団の設立要請。
帝国東部の国境都市。
そして冒険者ギルド本部を抱える重要都市。
その街に帝国騎士団を置くという提案は、単なる軍事配置の変更ではなかった。
それは、帝国における冒険者と騎士団の関係が大きく変化したことを意味していた。
提出された書類に目を通したカイル宰相は、しばらく無言で内容を確認していた。
そして――。
「……これは」
静かに息を吐く。
予想していなかったわけではない。
だが、実際に書面として提出されるとは思っていなかった。
「明日、評議会を開催する」
カイルは側近へ命じる。
「評議会の全員へ通達を」
「承知いたしました」
側近が退出した後。
カイルは別の指示を出した。
「それとは別に、ロキソン外務卿、パーサブ民生卿、クレール法務卿を私の執務室へ呼べ」
「三卿を、ですか?」
「そうだ」
その名前を聞いた側近は一瞬だけ驚いた。
三人とも、帝国評議会における貴族派の中心人物。
普段ならば評議会の場で意見を交わす相手である。
それをわざわざ個別に呼ぶ。
何か大きな話があることは明白だった。
――数時間後。
カイルの執務室には三人の高位貴族が集まっていた。
「宰相閣下。一体、何事でしょうか」
ロキソン外務卿が尋ねる。
パーサブ民生卿、クレール法務卿も同じように疑問の表情を浮かべていた。
カイルは三人を見渡す。
そして、手元の書類を机の上へ置いた。
「これを見てもらいたい」
三人が書類へ目を落とす。
数秒後。
最初に声を上げたのはロキソンだった。
「……アーカットに騎士団を設立するですと?」
その表情が険しくなる。
「このままでは……皇帝派、そしてディハン軍務卿の力が我々では抑えきれなくなってしまいますぞ」
ロキソンは額へ手を当てる。
軍務卿ディハン。
皇帝陛下の信頼を受け、騎士団改革を進めてきた男。
その影響力は、以前とは比べものにならないほど増していた。
しかし。
カイルは首を横に振る。
「そのことで相談をしたくて集まってもらったのだ」
「……」
「儂は、この提案を飲もうと思う」
三人の表情が固まる。
「……え?」
「むしろ、積極的に採用させるのだ」
しばしの沈黙。
「なぜです、カイル様」
パーサブ民生卿が尋ねる。
カイルは椅子へ深く腰掛けた。
「アーカットに騎士団を設立するということは、何を意味すると思う?」
「……」
「冒険者との対立が、以前ほど問題ではなくなったということだ」
カイルは続ける。
「そして、その理由として挙げられるものがある」
「……闘技大会ですか」
クレール法務卿が呟いた。
「その通りだ」
カイルは頷く。
「幸いにも、あの大会の設立を主導したのは儂だ」
口元にわずかな笑みを浮かべる。
「儂が先見を持って冒険者との関係改善を進めた。その結果、今回の騎士団設立につながった」
「そういう形で主張すればよい」
三人は黙って聞いていた。
「しかし……」
ロキソンが口を挟む。
「帝国騎士団の勢力が強くなることは明白ではありませんか」
「その通りだ」
カイルは否定しなかった。
「だからこそ、方針を変える」
「方針を……?」
「これからは、帝国騎士団を強くする後押しをする」
三人は驚いた表情を浮かべる。
「陛下の肝入りで行われた騎士団改革は、ほぼ成功したと言っていい」
カイルは静かに続けた。
「そして現在、ナピドラ連邦とイーストパル王国との関係も決して安定しているとは言えん」
ロキソン外務卿が頷く。
「……確かに。
今年の初めも、ナピドラ連邦の密偵によるファーリン街道の問題があったばかりですな」
「左様」
カイルは頷いた。
「帝国を取り巻く状況は変化している」
「国内の権力争いだけを考えている場合ではない」
そして――。
「さらに言えば、セラフィスだ」
三人の表情が変わる。
「あやつの実力は、今回の特別試合を見てもよく分かったであろう」
カイルの声が低くなる。
「帝国騎士団を弱体化させようとすれば、あやつの逆鱗に触れるだけだ」
誰も反論できなかった。
「ならば、考え方を変える」
「帝国騎士団そのものに影響力を持てばよい」
カイルは続ける。
「幸い、今回のイヴァンス隊にロルマを加えたことで、イヴァンスとの関係も築くことができた」
「つまり……」
ロキソンが理解する。
「第五騎士団設立を、我々が先に推すということですな」
「そうだ」
カイルは頷いた。
「ディハン軍務卿やセファン財務卿が動く前にな」
そして、もう一つ。
カイルは静かに告げる。
「騎士団の管理者として、我が息子リーパルをつける」
三人の表情がわずかに曇る。
「しかし、それでは……」
ロキソンが慎重に言葉を選ぶ。
「マルティア王女と結婚させ、次期皇帝に据えるというカイル様のお考えは……」
「もう不可能だ」
カイルは即答した。
「マルティア王女は、公表こそされていないが
……グレッグ将軍と、あと数年もすれば結婚するであろう」
「これを覆すことは、もはやできん」
「ならば」
カイルは続ける。
「我が息子だからこそ、騎士団の管理者に据えるのだ」
「帝国の未来を支える経験を積ませるためにな」
「しかし、帝都から離れてしまいますぞ」
「リーパルには、そのくらいしか使い道がない」
カイルは淡々と言った。
「人望もない。政治への理解も浅い」
「このままでは、儂の後を継ぐことなどできん」
三人は沈黙する。
「皆も、息子に対して思うところはあるのではないか?」
その言葉に、誰も反論できなかった。
リーパル。
カイルの息子。
しかし、宰相の後継者として見るには、まだ未熟すぎる人物だった。
「明日、評議会が開かれる」
カイルは立ち上がる。
「みな、頼んだぞ」
「ディハン軍務卿に、先手を取らせるな」
その言葉と共に。
貴族派の新たな戦略が動き始めた。




