貴族令嬢たちの来訪
闘技大会からしばらくが経った。
帝都には、まだあの戦いの熱気が色濃く残っていた。
帝国最強と呼ばれる騎士たちと渡り合った学生。
そして、一般の部で準優勝を果たした少年。
その名は、帝都中に広がっていた。
イヴァンス。
アルフォース帝国学園の学生でありながら、数々の功績を残した存在。
その名は、もはや学園の中だけに留まるものではなかった。
帝都の貴族たちの間でも、彼の話題は尽きない。
若くして実力を示した騎士見習い。
しかも、近衛騎士団や王都の要人たちとも縁が深い。
将来有望どころの話ではない。
「ぜひ一度、お会いしたい」
「我が家との交流を考えていただけないか」
「お話だけでも構いませんので」
そんな声が、ワーランへと次々に届くようになっていた。
特に多かったのは、帝都の貴族や名家に連なる令嬢たちだった。
最初は一人、二人だった。
だが、噂が噂を呼び、気づけば連日のように来客が訪れるようになる。
しかもそのほとんどが、イヴァンス本人との面会を求めていた。
「イヴァンス様にお会いしたいのですが」
「ぜひ一度、お話を……」
「我が家との交流の機会をいただけませんか?」
上品な声でありながら、その熱量は隠しきれていない。
ワーランの玄関先は、いつの間にか妙な賑わいを見せ始めていた。
そして、その光景を見ている者たちは――。
「……」
「……」
「……」
「ぴぃ?」
ワーランの一階。
セーニャ、プラーサ、イヴァンス、そしてレックは、少し離れた場所からその様子を眺めていた。
扉の向こうでは、令嬢たちが順番待ちでもしているかのように控えている。
その様子は、どう見ても普通ではない。
「……すごいことになってますね」
セーニャが呟く。
その声には、驚きよりも呆れが強く滲んでいた。
「闘技大会の影響でしょうね」
プラーサも冷静に答える。
腕を組み、状況を分析するように視線を向けている。
「いや……」
イヴァンスは困ったように頭を抱えた。
「俺、そんなにすごいことしたかな……」
「したでしょう」
プラーサが即答する。
「帝国最強の騎士二人を相手に戦ったんだよ?」
「でも……」
「普通はできないでしょ」
「……」
反論できない。
イヴァンスは肩を落とした。
確かに、あの戦いは自分でも頑張ったと思う。
だが、まさかその結果がこういう形で返ってくるとは思っていなかった。
「それにしても、皆さん積極的ですね」
セーニャが少し苦笑しながら言う。
「イヴァンス君って、本人が思っている以上に目立ちますから」
「目立ちたくて目立ってるわけじゃないんだけどな……」
「そういうところよ」
プラーサが淡々と返す。
「本人にその自覚がないから、余計に厄介なのよ」
「厄介って……」
イヴァンスが言い返そうとした、その時だった。
「申し訳ありませんが」
凛とした声が響く。
振り向くと、マリーが令嬢たちの前に立っていた。
背筋を伸ばし、まっすぐに相手を見据えている。
その立ち姿だけで、場の空気が少し変わる。
「本日はお帰りくださいませ」
「なぜですの?」
一人の令嬢が不満そうに眉を寄せる。
「私たちはただ、イヴァンス様とお話をしたいだけですわ」
「分かっておりますは」
マリーは微笑む。
しかし、その笑顔には一切の隙がない。
柔らかく見えて、実際には鉄のように固い。
「ですが、イヴァンス様のお時間は限られております」
「私たちも名家の娘です。お付き合いする相手として不足はないと思いますけれど」
その言葉に、マリーは静かに首を振った。
「でしたら、なおさらです」
「え?」
「イヴァンス様は、肩書きや家柄だけで人を選ぶ方ではありません」
令嬢たちが黙る。
マリーはその沈黙を見逃さなかった。
「闘技大会で勝利した英雄」
「帝国から注目される存在」
「将来有望な騎士」
一つずつ、確かめるように言葉を並べる。
「それだけを見て近づいているのであれば、お引き取りくださいませ」
「私たちがどうしようとあなたには関係ありません。その物言いは失礼ではありませんか?」
別の令嬢が声を荒げる。
「私たちは真剣に――」
「失礼を承知の上で申し上げているのですわ」
マリーは一歩前へ出る。
その声は静かだったが、はっきりとした圧があった。
「イヴァンス様は、そのような理由だけで誰かを隣に置く方ではありません」
「では、どうすれば認めるというのです?」
令嬢の問いに、マリーは迷わず答えた。
「ご自身を磨いてくださいませ」
「……」
「貴族という家柄だけではなく、一人の人間として」
その言葉は、決して感情的なものではなかった。
むしろ冷静で、だからこそ重い。
「イヴァンス様の隣に立ちたいのであれば、それだけの覚悟を持っておいで下さい」
「……」
「……」
令嬢たちは言葉を失う。
誰もすぐには反論できなかった。
マリーの言葉は、ただ追い返すためのものではない。
本気でイヴァンスを見ているからこそ出てくる言葉だった。
しばらくの沈黙の後、令嬢たちは悔しそうに顔をしかめる。
「……失礼しました」
「……」
「……」
やがて、渋々と帰っていく。
その背中を見送りながら、マリーはようやく小さく息を吐いた。
そして、その様子を見ていたイヴァンスは、ただ呆然としていた。
「……」
「……」
「……」
「マリー」
「はい?」
「すごいな……」
「ありがとうございます」
「いや、褒めていいのか分からないけど……」
マリーは首を傾げる。
「私は当然のことをしたまでです」
「でも、皆に嫌われるぞ?」
「構いませんわ」
即答だった。
「イヴァンス様を理解しない方に、どう思われようと問題ありません」
「……」
イヴァンスは何も言えなかった。
その横で、セーニャが小さく笑う。
「マリーさん、本当に一途ですね」
「そうね」
プラーサも頷く。
「ただ……」
ちらりとイヴァンスを見る。
「本人が一番、その価値を理解していないのが問題だよね」
「え?」
「なんでもないよ」
「?」
イヴァンスは首を傾げる。
レックはそんな彼を見ながら、楽しそうに鳴いた。
「ぴぃー」
「レックまで……」
「分かってないって言ってるんじゃない?」
プラーサが笑う。
「いやいや、そんなことないだろ」
慌てて否定するイヴァンス。
だが、その場にいた全員が、ほぼ同じことを思っていた。
――たぶん、一番分かっていない。
その後も、似たような来客は何度か続いた。
ある日は、別の名家の令嬢がやってきて、やはりイヴァンスとの面会を求めた。
またある日は、家同士の縁談を匂わせるような話まで持ち出された。
そのたびにマリーが前に出て、丁寧に、しかし容赦なく断っていく。
最初は令嬢たちも反発していたが、
やがて「イヴァンス本人の意思を無視した話は受けない」
という一点だけは、誰も崩せないと悟ったらしい。
そして、そのたびにイヴァンスは居心地悪そうにしていた。
「なんか……俺のせいで大変なことになってないか?」
「なってますね」
セーニャが即答する。
「でも、イヴァンス君が悪いわけじゃありませんし」
「いや、でも……」
「イヴァンス君」
プラーサが苦笑する。
「こういうのは、人気者の宿命ってやつね」
「人気者って……」
「自覚がないのが本当にすごいわね」
「褒めてるのか?」
「半分くらいは」
そんなやり取りをしている間にも、マリーは一人で令嬢たちを相手にしていた。
その姿は、もはや戦場のようですらある。
だが、本人は涼しい顔だ。
むしろ、イヴァンスを守ることに迷いがない。
その様子を見ていたレックが、また楽しそうに鳴いた。
「ぴぃっ」
「レック、面白がってるだろ」
イヴァンスが苦笑する。
すると、レックは当然のように首を傾げた。
「ぴ?」
「いや、分かってる顔だなそれ……」
セーニャが吹き出す。
「レックまでイヴァンス君の味方なのか、敵なのか分からないですね」
「少なくとも、状況を楽しんでるのは確かね」
プラーサも肩をすくめる。
そんな中、マリーが最後の令嬢を見送ったあと、ようやくこちらへ戻ってきた。
「お待たせいたしました」
「お疲れ」
イヴァンスが思わず声をかける。
「本当に大丈夫か?」
「何がでしょう?」
「いや、あんなに言って……」
「問題ありません」
マリーはきっぱりと言った。
「イヴァンス様を理解しない方に、遠慮する必要はありませんから」
「……」
「それに」
少しだけ視線を逸らす。
「私は、イヴァンス様のために動いているだけですので」
その一言に、イヴァンスはまた言葉を失った。
セーニャとプラーサは、そんな二人を見て小さく笑う。
「本当に、分かりやすいわね」
「ええ」
「何が?」
イヴァンスが首を傾げる。
「なんでもありません」
「またそれか……」
その日の夜。
イヴァンスは、今日あった出来事をクラリスに話した。
すると、彼女は楽しそうに笑った。
「ふふ」
「笑うところか?」
「だって、マリーさんも大変ね」
「他人事みたいに言うなよ……」
「だって」
クラリスは優しく微笑む。
「それだけイヴァンスが魅力的になったってことだから」
「……」
返す言葉がない。
結局、イヴァンスはそのまま黙り込んでしまった。
クラリスはそんな彼を見て、くすりと笑う。
「でも、あまり無理はさせないであげてね」
「誰に?」
「マリーさんに」
「……」
「それと、イヴァンス自身もよ」
その言葉に、イヴァンスは少しだけ目を伏せた。
自分では気づいていないが、周囲はちゃんと見ている。
支えてくれる人がいて、守ってくれる人がいて、からかいながらも見守ってくれる人がいる。
それは、決して当たり前ではない。
こうしてワーランには、新たな日常が始まった。
魔物との戦いではなく。
貴族令嬢たちとのやり取りという、別の意味での騒がしさが。




