初めてのデート
闘技大会が終わり、ワーランにもようやく穏やかな日常が戻ってきた。
帝都中央闘技場で繰り広げられた激闘は、勝敗以上に多くの人々の記憶に残るものとなった。
観客席を埋め尽くした歓声。
剣戟の響き。
魔法が描いた光の軌跡。
そして、最後まで立ち続けた者たちの姿。
あの日の熱気は、まだ帝都のあちこちに残っているようだった。
しかし、どれほど大きな戦いがあったとしても、終わればまた日常が戻ってくる。
学園で授業を受ける。
仲間たちと過ごす。
そんな何気ない日々が、今はむしろありがたく感じられた。
そんなある日の夕方――。
イヴァンスは珍しく、一人でクラリスの部屋を訪れていた。
「……あら、イヴァンス」
扉を開けたクラリスは、少し驚いた表情を浮かべる。
しかし、その驚きはすぐに柔らかな笑みに変わった。
「どうしたの? あなたから私のところに来るなんて珍しいじゃない」
「はは……まあ、そうだな」
イヴァンスは少し照れたように頭をかく。
普段なら自然に話せるはずなのに、今日はなぜか言葉がうまく出てこない。
部屋の前まで来る間に、何度も頭の中で言い方を考えた。
それなのに、いざ本人を前にすると全部飛んでしまう。
そんな様子を見て、クラリスは首を傾げた。
「何かあったの?」
「あ、いや……」
イヴァンスは一度息を整える。
深呼吸をして、ようやく口を開いた。
「クラリス。明日、確か休みだったよな?」
「ええ、そうだけど」
「その……ちょっと街に出かけないか?」
一瞬、クラリスは目を丸くした。
「え?」
だが、すぐに表情を和らげる。
驚きはした。
けれど、嫌そうな様子は一切ない。
むしろ、どこか嬉しそうだった。
「二人で?」
「あ、ああ」
「いいわよ」
迷うことなく答えるクラリス。
そして、少し楽しそうに笑う。
「イヴァンスとの初めてのデートね」
「……あ、ああ。そうだな」
その言葉を聞いた瞬間、イヴァンスの顔が少し赤くなる。
本人としては、そこまで意識していなかったつもりだった。
クラリスと話をしたかった。
二人で街を歩きたかった。
そして――伝えたいこともあった。
それだけのつもりだったはずなのに。
「レックはセーニャに預けてくるから」
「ふふ。分かったわ」
クラリスは楽しそうに笑う。
「じゃあ、楽しみにしてるね」
その笑顔に、イヴァンスは思わず視線を逸らした。
だが、胸の奥が温かくなる感覚を止めることはできなかった。
---
翌日。
ワーランの玄関前。
イヴァンスは一人でクラリスを待っていた。
いつもなら落ち着いて周囲を見ている彼が、
今日は珍しく何度もワーランの玄関に設置された時計を何度も確認している。
足元を見る。
空を見上げる。
意味もなく腕を組む。
どうにも落ち着かない。
「……遅いわけじゃないよな」
そう呟いた直後だった。
「イヴァンス」
声をかけられて振り向く。
そこには、普段とは少し違う装いをしたクラリスが立っていた。
髪は丁寧に整えられ、いつもより少しだけ華やかな服装。
派手すぎるわけではない。
しかし、その控えめな装いが逆に彼女の上品さを引き立てていた。
その姿を見た瞬間――。
「……」
イヴァンスの胸が大きく鼓動する。
言葉が出ない。
視線を逸らそうとしても、なぜか逸らせない。
「どうしたの?」
クラリスが不思議そうに尋ねる。
「もしかして……初めてのデートで緊張してるんだ?」
「く、クラリス……」
図星を突かれ、イヴァンスは言葉に詰まる。
そんな反応を見て、クラリスは楽しそうに笑った。
「行きましょう」
「ああ」
二人は帝都の街へと歩き出した。
---
帝都の大通り。
朝から多くの人々が行き交っていた。
露店の呼び込み。
馬車の音。
遠くから聞こえる楽団の演奏。
石畳の道には陽光が差し込み、建物の窓がきらきらと輝いている。
二人は並んで歩きながら、他愛のない話をしていた。
学園での出来事。
レックの成長について。
セーニャがまた少し過保護になっていたこと。
プラーサが相変わらず鋭い指摘をしてくること。
特別な話ではない。
けれど、その何気ない会話が不思議なくらい心地よかった。
イヴァンスは改めて思う。
闘技大会などで何度も背中を預けた相手ではない。
けれど、婚約者として、誰よりも近くで自分を支えてくれる相手だった。
それでも、こうしてただ街を歩き、笑い合う時間はまた違う意味で大切だった。
二人は帝都の観光名所を巡った。
帝都の入り口にそびえる大きな城門。
道端で披露される大道芸。
帝国の歴史を今に伝える建国の塔。
そして、帝国中の信徒が訪れる聖教会の大聖堂。
普段なら依頼や用事の途中で目にするだけの場所も、今日は違って見えた。
隣にいる相手と話をしながら、ゆっくりと歩く。
それだけの時間が、二人にとっては不思議なくらい心地よかった。
城門の大きさに驚いたり。
大道芸人の技に足を止めたり。
建国の塔を見上げながら、帝国の歴史について話したり。
特別なことをしているわけではない。
それでも、いつもとは違う時間が流れているようだった。
気が付けば、太陽は高く昇り、昼を知らせる時間になっていた。
二人は恋人たちの待ち合わせ場所としても有名な、大きな噴水のある広場へと向かった。
そこで近くの露店からホットドッグとジュースを買う。
そして、噴水の音が聞こえる広場のベンチに並んで腰を下ろした。
「こういうのも悪くないわね」
クラリスが、手に持ったホットドッグを見ながら微笑む。
「ああ」
イヴァンスも頷く。
高級な店で食べる料理でもない。
特別な場所で用意された食事でもない。
それでも、隣にいる相手と過ごす時間が、何よりも穏やかで心地よかった。
しばらく二人は穏やかな時間を過ごしていた。
しかし、ふとクラリスが何気なく口を開く。
「そういえば、イヴァンス」
「ん?」
「帝都に来てから……二人目は見つかったの?」
「……」
イヴァンスは一瞬、意味を理解できずに首を傾げる。
「え?」
「ほら」
クラリスはホットドッグを手にしながら続ける。
「昔言ってたじゃない。私以外に、もう一人」
「ああ……」
イヴァンスは少し考える。
「いや……まだだけど」
「そう」
クラリスは頷いた。
そして、何気ないように続ける。
「じゃあ、セーニャとマリーさんはどうなのよ?」
「……」
イヴァンスは目を瞬かせる。
「何でいきなりセーニャが出てくるんだ?」
「別にいいじゃない」
クラリスは笑う。
「二人のこと、どう思ってるの?」
イヴァンスは少し考えた。
「……大切な人だよ」
「二人とも?」
「ああ」
迷いなく答える。
「俺にいろいろしてくれるし、支えてくれてる」
クラリスはその答えを聞きながら、静かにイヴァンスを見る。
「恋愛感情は?」
「……」
イヴァンスは少し黙る。
「……無いと思うけど」
「思う?」
「いや……」
イヴァンスは言葉を探す。
「少なくとも、そういう風に考えたことはなかった」
クラリスは少しだけ目を細めた。
そして――。
「例えばだけど」
「ん?」
「セーニャが他の人と結婚するって言われて」
「……」
「ちゃんと祝福できる?」
イヴァンスの動きが止まった。
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
彼の中で何かが引っかかった。
けれど、その正体までは分からない。
「……」
しばらく考えた後。
イヴァンスは小さく呟いた。
「……幸せになってほしいとは思う」
クラリスは、その答えを聞いて――。
「ふーん」
それだけを返した。
「じゃあ、マリーさんは?」
「マリーも同じだよ」
イヴァンスは答える。
「幸せになってほしいと思う」
「そう」
クラリスはジュースを一口飲む。
「選ぶのは彼女たちだからな」
イヴァンスはそう言って、空を見上げた。
その横顔を、クラリスは静かに見つめていた。




