お転婆セラフィスの誕生
ワーラン二階――。
静かな部屋で、セーニャはセラフィスの話に耳を傾けていた。
ジャックがレッドシャドウへ加わり、魔約の塔には少しずつ仲間が集まり始めていた。
だが、セラフィスはふと懐かしそうに微笑む。
「ジャックが来てから、少し経った頃だったかしら」
「ベラミカが魔約の塔を出ていったの」
セーニャは目を丸くする。
「お姉さまが……ですか?」
「ええ」
セラフィスは静かに頷いた。
「正確には、私が出ていくように勧めたの」
そう言うと、彼女はゆっくりと目を閉じる。
遠い日の光景が、静かに蘇っていく。
◇ ◇ ◇
夕暮れの魔約の塔。
窓から差し込む橙色の光が部屋を優しく照らしていた。
セラフィスは窓辺へ立ったまま、しばらく外を見つめていた。
背後では、ベラミカが洗濯物を畳んでいる。
いつもと変わらない、穏やかな時間。
だからこそ、その一言は静かだった。
「ベラミカ」
「なあに? 師匠」
「あなたは……ここを出た方がいい」
その言葉に、ベラミカの手が止まった。
振り返る。
けれど理由は聞かなかった。
聞かなくても分かっていたからだ。
少しだけ寂しそうに笑う。
「……私の将来まで巻き込みたくないんでしょう?
帝国学園の教師になる私が罪人として見られる可能性があるから」
セラフィスは何も答えなかった。
ただ静かに目を伏せる。
その沈黙だけで十分だった。
ベラミカは小さく息を吐く。
「そんなの、私は気にしないのに」
その言葉は本心だった。
ボルックスも。
ジャックも。
彼らがどんな過去を持っていても、ベラミカにとっては師匠が認めた仲間だった。
だから同じ場所で暮らすことに迷いはなかった。
けれど――。
目の前にいるセラフィスは違う。
誰よりも自分のことを気に掛けてくれている。
少しだけ間を置いて、ベラミカは柔らかく笑った。
「でもね」
「それで師匠が安心するって言うんなら」
「私、出ていくわ」
その笑顔に、セラフィスは何も言えなかった。
◇ ◇ ◇
数日後。
荷物をまとめたベラミカは、魔約の塔の入口へ立っていた。
荷物は多くない。着替えと本。
それだけだった。
「じゃあ師匠」
ベラミカはいつものように明るく笑った。
「たまには遊びに来るわね」
セラフィスは小さく頷く。
「……うん」
それで終わるはずだった。
笑って送り出す。
そう決めていた。
なのに。
胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
何かが離れていく。
もう二度と戻らないような恐怖。
気付けば、言葉が勝手に口から零れていた。
「……絶対だよ」
ベラミカが振り返る。
「え?」
「絶対に来るんだから」
震える声。
「約束だからね……ベラミカ」
その瞬間だった。
瞳から涙が溢れ落ちる。
止めようとしても止まらない。
「師匠……」
ベラミカは少し困ったように笑った。
そしてゆっくり歩み寄る。
優しく頭へ手を置いた。
「もう」
子どもをあやすような声。
「そんなに泣かないの」
「うん……」
涙は止まらない。
ベラミカはそっと涙を拭う。
「ほら、師匠」
今度は少しだけ真面目な顔になる。
「これから、あの子たちを従えるんでしょ?」
「……うん」
「だったら、もっとちゃんとしなきゃ」
その言葉に、セラフィスは何度も頷いた。
「うん……」
「分かってる」
もう一度。
小さく。
「分かってるよ……ベラミカ」
ベラミカは満足そうに微笑む。
「それでいいの」
そして大きく手を振った。
「じゃあ行ってきます!」
その背中は振り返らない。
セラフィスはその姿が見えなくなるまで、ただ立ち尽くしていた。
◇ ◇ ◇
しばらくして。
魔約の塔の一室へ戻ってきたセラフィスは、小さく深呼吸した。
涙はもう拭いた。
少しだけ目元は赤い。
それでも、いつものように部屋の扉を開ける。
そこではジャックがソファへ寝転びながら天井を眺めていた。
その隣では、ボルックスが静かに椅子へ腰掛け、腕を組んでいる。
レキサルも椅子に腰を掛け、無表情で紅茶をすすっている。
「セラッち~」
気の抜けた声が飛んでくる。
「なに?」
自然に返事をする。
「これから飯どうすんのよ?」
ジャックは寝転んだまま首だけ向ける。
「ベラミカちゃん、いなくなっちゃったじゃん」
「なんで追い出すのよ~」
セラフィスはきょとんと首を傾げた。
「そんなの」
少し考えて。
「みんなで作ればいいじゃない?」
さらりと言い放つ。
「なんか文句ある? ジャック」
部屋の空気が止まった。
「……へ?」
ジャックの目が丸くなる。
「セ……セラッち?」
「何よ」
「私、なんか変?」
「い、いや……」
ジャックはゆっくりとレキサルを見る。
レキサルも腕を組んだまま、珍しく困惑した表情だった。
「……性格が、いささか変じられたるご様子にござりまするな」
「そう?」
セラフィスは首を傾げる。
「普通だけど」
「いや、普通じゃないって!」
ジャックが勢いよく起き上がる。
「今までのセラッちなら『各自で勝手にしなさい』で終わりだったよね~」
「そうだった?」
「そうだった!」
その横で、ボルックスが静かに口を開いた。
「確かに、以前のセラフィス様は食事そのものにあまり関心を示されませんでしたな」
「ですが、今のように皆で作ろうとされるのは悪くありません」
「私は騎士団で料理番もしていましたのでね。料理はできますよ」
その言葉に、ジャックがぱちくりと目を瞬かせる。
「え、ボルックス、料理できんの?」
「ええ」
ボルックスは淡々と頷いた。
「騎士団では、戦うだけが役目ではありませんでしたから」
「へぇ……」
ジャックが感心したように唸る。
レキサルも小さく頷いた。
「それはまこと、頼もしき限りにてござりまするな」
セラフィスは少しだけ目を丸くしたあと、ふっと笑った。
「じゃあ、ボルックスは下ごしらえをお願い」
「レキサルはスープ」
「ジャックは野菜を切って」
「私はお肉を焼くわ!」
突然始まった役割分担に、ジャックは目をぱちくりさせた。
「え……」
「ぼくちゃんも料理するの?」
「当たり前じゃない」
「食べる人は作る人でもあるのよ」
「横暴だ~!」
ジャックが大げさに叫ぶと、セラフィスは楽しそうに笑った。
その笑い声は、これまで魔約の塔では聞いたことのないほど、明るく軽やかだった。
夕暮れの魔約の塔。
ベラミカがいなくなった寂しさは残っていた。
それでも、新しい日常は、確かにここから始まろうとしていた。
「こうしてお転婆セラフィスが生まれたのよ。普段はあの子が活動しているってこと」
「ベラミカお姉さまが今のセラフィス様の支えになっていたのですね。
だから特別試合の時あれほど大泣きされたのですね」
「その通りよ。私もお転婆のあの子もベラミカには頭が上がらないからね。
特にあの子はベラミカに怒られたら母親に怒られた子供のようになるのだから」
「でもどうやってベラミカお姉さまはセラフィス様のことをシファレス様って気が付いたんですか?」
「簡単なことよ。あの子のサーチは魂を見ることができるくらい才能があるのよ。
私の魂を見てすぐに気が付くことができたのよ」
そんな会話が続いてる時だった。
ドンドン、ドンドン!
扉の向こうから元気な声が響く。
「師匠ー!」
「ご飯できたわよー!」
セラフィスが思わず苦笑する。
「来たわね」
セーニャも小さく笑った。
だが、扉の向こうはすぐに不思議そうな声へ変わる。
「あれ?」
「セーニャ?」
「見張りしてるんじゃなかったの?あれ?」
ガチャガチャガチャ!
「ちょっと師匠!」
「鍵なんか掛けて!」
「変な誤解されたらどうするのよ!」
「さっさと開けなさいってば!」
セラフィスは肩をすくめる。
「まったく……」
「相変わらずね」
そして扉へ向かって歩き出す――。
セーニャは、その後ろ姿を見つめながら小さく微笑んだ。
(これが……今のセラフィス様なんですね)




