恐怖を従える者
ワーラン二階――。
セーニャは静かにセラフィスの話を聞いていた。
カンサル。
ベラミカ。
ボルックス。
そして、レッドシャドウという存在が生まれるまでの過程。
最初はただ失われた感情を取り戻すための、小さな日常だった。
しかし、失ったものを二度と失わないために、セラフィスは力を求めた。
その結果、生まれた組織。
それがレッドシャドウだった。
セーニャがそんな過去に思いを巡らせていると、セラフィスはふと小さく笑った。
「そういえば……」
「?」
セーニャが顔を上げる。
セラフィスはどこか懐かしそうに微笑んでいた。
「セーニャ」
「はい」
「実はね」
少しだけいたずらっぽい表情を浮かべる。
「最初に生まれたセラフィスは、私なのよ」
「え?」
「ベラミカに見つけられて、お世話をされて……そこで感情が芽生えたのが私」
セーニャは少し驚いたように目を丸くする。
「では……」
「ええ」
セラフィスは頷いた。
「あの子が出てきたのは、もう少し後になってからよ」
セラフィスは楽しそうに笑う。
「次に来たのがレキサル」
「そして、その後がジャックね」
少し間を置いて。
「ジャックが一番反抗的だったわ」
その言葉には、呆れと懐かしさが混じっていた。
「本当に……手がかかったのよ」
そしてセラフィスは、あの日の記憶を語り始める。
◇ ◇ ◇
帝都連続切り裂き殺人事件。
帝都を震撼させた、未解決の凶悪事件。
夜の闇に紛れ、一人の男が次々と人を襲う。
その姿を誰も捕らえることができなかった。
被害は拡大していく。
守衛隊はもちろん、近衛騎士団も対応に追われた。
しかし――。
敵はあまりにも速かった。
奇襲。
撤退。
再び襲撃。
その繰り返しに、多くの騎士たちが傷ついていった。
ついには。
「グレッグ副団長だけでは足りない」
そう判断され、
帝国最強の剣士。
近衛騎士団総指南役ラプロスまでもが出動する事態となった。
それでも、捕まらない。
姿を見せたと思えば消える。
まるで影のような存在だった。
そして、帝国は再び一人の人物へ依頼を出す。
魔導士団長セラフィスへ。
「帝都連続切り裂き殺人事件……ね」
報告書へ目を通したセラフィスは、小さく呟いた。
「ふ~ん」
そして。
「おもしろそうね」
ただ、それだけだった。
危険への恐怖もない。
被害の大きさに動揺することもない。
ただ、そこにいる犯人への興味だけがあった。
ただ興味を持った。
それだけで、彼女は動いた。
深夜の帝都。誰もいない路地裏。
月明かりの下、一人の青年が立っていた。
黒い服。
鋭い目。
そして、両手に握られたナイフ。
帝都の切り裂きジャック。
その名で恐れられる男。
ジャック。
「へぇ……」
彼は目の前の女性を見る。
「まさか、ぼくちゃんをここまで追い込むなんてね~」
軽い口調。
しかし、その目は獲物を狙う獣のようだった。
「やるじゃない……」
「でもさ」
口元を歪める。
「追い込んだこと、後悔させちゃうよ~」
次の瞬間。
ジャックの姿が消えた。
常人では反応すらできない速度。
常人ならば、気付いた時には命を奪われている一撃。
そのナイフは、確実に相手の命を奪う軌道だった。
しかし――。
届かない。
セラフィスの身体へ触れることすらできない。
見えない壁。絶対的な防御魔法。
ジャックの表情が変わる。
「……」
何度斬り込んでも同じだった。
速さ。
技術。
経験。
その全てを込めても、目の前の女性には届かない。
セラフィスは静かに彼を見る。
「おもしろいわね」
「その速度、気に入ったわ」
そして。
「私に従いなさい」
ジャックは目を細める。
「……は?」
「ぼくちゃんが?」
「何言ってんの?」
笑いながら肩をすくめる。
「冗談は死んでから言ってほしいのよね~」
セラフィスは少し首を傾げた。
「そう」
「私に従わないのね」
次の瞬間。
パチン。
指を鳴らす。
ジャックの足元に、黒い亀裂が走った。
「なっ……」
次元の歪みが現れたのだ。
その奥から現れたのは――。
数体のデーモン。
笑顔を浮かべながら、ゆっくりと近づいてくる。
「ちょ、待って……」
抵抗する暇もなかった。
ジャックの身体は次元の狭間へ引きずり込まれる。
そこでは、身体を動かすことすらできない。
逃げることもできない。
ただ存在するだけ。
その時だった。
一体のデーモンが、にこにこと笑いながらジャックへ抱きついた。
「ひっ!」
「あなた、名前は?」
「ジャ、ジャック……」
「そう。ジャック」
デーモンは嬉しそうに笑う。
「あなたには二つの選択肢があるわ」
「一つは、このまま異次元で過ごすこと」
「死ぬこともできない世界で、ずっとデーモンたちと一緒にいるの」
「ふふ……幸せそうでしょう?」
「もう一つは――」
「私に従うこと」
ジャックの顔が引きつる。
「い……いや~」
「どっちも嫌かもね……」
セラフィスの声が響く。
「そう」
「選ばないのなら」
「あなたはここで、デーモンたちと楽しく過ごすことになるわ」
「こちらの世界には帰れないの。さようなら」
「わ、分かったよ~!」
「従う! 従うって!」
その瞬間。
パチン。
再び指が鳴る。
次元の狭間も。
デーモンたちも。
一瞬で消え去った。
ジャックは地面へ倒れ込む。
「はぁ……はぁ……」
そして。
「甘いね~」
ニヤリと笑う。
「お嬢ちゃん」
次の瞬間。
再びナイフを握る。
「ぼくちゃん舐めてもらっちゃ困るのよね!」
そう言ってジャックは、セラフィスへ切りかかった。
ジャックは最後の賭けに出たのだ。
一瞬の隙を突き、セラフィスの背後へ回る。
そして首元へナイフを突きつける。
「さ~、ぼくちゃんを解放してよね」
その瞬間――首筋に、ひやりと冷たい感触が走る。
杖だった。
「え……?」
背後から、もう一人のセラフィスの声がした。
「ダメな子ね」
ジャックの顔から、みるみる余裕が消えていく。
「ちょ、ちょっと……冗談やめてよ~。分身なんて使えるって聞いたことないんだけど」
「後ろを向いてみる? 面白いものが見られるわよ」
「やめとく……」
ジャックは首筋に触れた冷たい杖の感触を意識しながら、ぎこちなく笑った。
目の前にいるセラフィス。
背後にいるセラフィス。
どちらが本物なのか、まるで見分けがつかない。
「ダメな子ね」
耳元で囁くような声が、さらにジャックの背筋を冷やした。
「そのまま大人しくしていなさい」
ジャックは喉を鳴らし、引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
「……ぼくちゃん、ちょっとだけ本気でまずいかも」
「ご、ごめんちゃい……」
「もう反抗しません……」
その言葉を聞いて。
セラフィスは初めて、少しだけ楽しそうに笑った。
「そう」
「なら、仲間になりなさい」
帝都の切り裂きジャック。
その日。
最も危険な暗殺者は――。
最も恐ろしい魔導士の配下となった。




