感情なき魔導士団長
ワーラン二階――。
静かな部屋の中で、セーニャは黙ったままセラフィスの話に耳を傾けていた。
シファレスが禁断の魔法――カーネル・リザレクションを成功させ、セラフィスという存在が生まれた。
あまりにも現実離れした話に、まだ心の整理が追いついていない。
そんなセーニャを見つめながら、セラフィスは静かに続けた。
「その後、生まれたセラフィスは、ほとんど感情を持たなかったのよ」
淡々とした口調だった。
「嬉しい、悲しい、楽しい、苦しい……そういう感情が、ほとんど存在しなかった」
「ただ、自分の信念に従って行動するだけ」
「まるで人形みたいなものだったわ」
少しだけ目を伏せる。
「今思えば、シファレスの慈愛の心と、デーモンロードの悪意。
その相反する感情がお互いを打ち消してしまったのかもしれないわね」
セーニャは静かに息を呑む。
「その頃の私は、ただ一つだけ考えていた」
セラフィスはゆっくりと目を閉じる。
「ナピドラ連邦を止めること」
◇ ◇ ◇
ナピドラ連邦国境――。
山岳地帯に築かれた一つの砦。
百名を超える兵士が常駐する軍事拠点だった。
昼下がり。
見張りの兵士が門の前に立つ一人の女性へ目を向ける。
白銀の長い髪。
純白のローブ。
感情のない瞳だけが、静かに前を見据えていた。
「止まれ!」
兵士が槍を構える。
「何者だ!」
女性は答えない。
ただ静かに歩き続ける。
「止まれと言っている!」
数人の兵士が一斉に槍を向けた。
その瞬間だった。
女性はゆっくりと右手を横へ払う。
それだけだった。
兵士たちは糸が切れた人形のように、その場へ崩れ落ちる。
誰一人として声を上げる暇すらなかった。
砦の中が騒然となる。
「敵襲!」
「侵入者だ!」
次々と騎士たちが駆け出してくる。
隊列を整え、女性を包囲する。
「貴様!」
一人の騎士が怒鳴る。
「ここをナピドラ連邦の砦と分かっているのか!」
女性はその問いにも反応しない。
興味すらないように視線を向けるだけだった。
そして、再び右手を払う。
騎士たちが次々と倒れていく。
誰も彼女へ近付くことすらできない。
「囲め!」
「同時に攻撃しろ!」
四人の騎士が四方向から剣を振るう。
完璧な連携だった。
誰もが、その一撃で終わると確信する。
しかし――。
剣は女性へ届かなかった。
まるで目に見えない壁が存在するかのように、刃は途中で止まる。
騎士たちの表情が凍り付く。
その時だった。女性は小さく指を鳴らした。
次の瞬間。
四人の身体を青白い炎が包み込む。
「ぎゃあああっ!」
「た、助けてくれ!」
周囲の兵士たちは慌てて水を運び、炎を消そうとする。
だが、その炎は消えない。
さらに奥から駆けつけた騎士たちが、必死に立ちふさがった。
「通すな!」
「魔法使い一人に砦を抜かれてたまるか!」
盾を構えた者が前に出て、槍兵が左右から包囲する。剣士たちも一斉に斬りかかった。
だが、女性は足を止めない。
騎士たちの刃は、彼女へ届く前に見えない力に弾かれ、次々と地面へ崩れ落ちていく。
「くっ……!」
「なぜ届かない!」
それでも騎士たちは退かなかった。
炎に包まれた仲間を救おうとする者、
進路を塞ごうとする者、負傷してなお剣を握り直す者。
誰もが必死だった。
だが、その抵抗はあまりにも小さかった。
誰もが混乱する中、女性だけが静かに歩き続ける。
止められる者は、もういなかった。
やがて彼女は砦最奥――隊長室へ辿り着く。
扉が勢いよく開かれた。
「何者だ!」
砦を預かる隊長が剣を抜く。
歴戦の騎士。
一般兵とは比べものにならない実力者だった。
しかし。
女性は何も言わない。
ゆっくりと手を横へ払う。
それだけで終わった。
隊長は力なく膝をつき、そのまま動かなくなる。
静寂が訪れる。
わずか一時間足らず。
百名を超える兵士が守る砦は、完全に制圧された。
女性は辺りを見回す。
感情は何一つ浮かんでいない。
淡々と倒れた騎士たちの胸元へ手を伸ばす。
そこに刻まれたナピドラ連邦の紋章。
一つ、また一つと回収していく。
やがて袋いっぱいになったところで、女性は砦の中央へ立った。
右手に青い炎が灯る。
それを静かに空へ放つ。
青い炎は砦全体を包み込み、瞬く間に建物をのみ込んでいく。
誰もその炎を止めることはできなかった。
その日。
「ナピドラ連邦の砦が、正体不明の人物によって陥落した」
その知らせは瞬く間に大陸中へ広がった。
◇ ◇ ◇
帝国評議会。
皇帝ランジールを中心に、帝国重臣たちが緊急会議を開いていた。
「ナピドラ連邦の砦が一つ消えたという報告です」
「詳細は未だ不明ですが、襲撃者は一人とのことです」
会議室がざわめく。
「そんな馬鹿な話があるか」
「一人で砦を落としただと?」
誰も信じようとはしなかった。
その時だった。
会議室の扉が静かに開く。
全員の視線が入口へ集まる。
白銀の髪の女性。
純白だったローブは、乾いた返り血によって茶色く染まっていた。
誰も言葉を失う。
女性は皇帝の前まで歩く。
宰相が立ち上がる。
「何者だ!」
「衛兵は何をしている!」
「近衛騎士団を呼べ!」
怒号が響く。
しかし女性は、宰相を見ることすらしなかった。
そして。
一つの袋を机へ放り投げた。
鈍い音が響く。
袋の中から無数の紋章が転がり落ちる。
外務卿が目を見開いた。
「こ、これは……」
民生卿も息を呑む。
「ナピドラ連邦の軍章……」
数える。
一枚、二枚、三枚――。
その数は百を超えていた。
女性の視線は、ただ皇帝だけへ向けられていた。
「陛下」
感情のない声。
「私を魔導士団長として登用しなさい」
部屋が静まり返る。
ランジール皇帝は、女性をじっと見つめていた。
長い沈黙。やがて静かに問いかける。
「帝国へ忠誠を誓うのか?」
女性は迷わず答えた。
「ええ」
「私は平和を望む者」
「だから、力で帝国へ歯向かう者を排除する」
「ただ、それだけ」
皇帝はしばらく沈黙したまま考え込む。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……良かろう」
その一言に、重臣たちが一斉に顔を上げる。
「今日より、お前を帝国魔導士団長へ任命する」
「名は?」
女性は静かに答えた。
「セラフィス」
その名が、後に帝国最強と呼ばれる魔導士団長の始まりだった。




