特別試合⑦
帝都中央闘技場――。
空に満ちていた異様な魔力が、ふっと収束した。
「全員と戦うんだから、メテオ止めるね」
セラフィスは本当に何でもないことのように言うと、軽く指を鳴らした。
ぱちん。
その音は小さかった。あまりにも軽く、あまりにも気安く、
到底“世界を揺るがす何か”を止める合図には聞こえなかった。
だが次の瞬間、闘技場上空を覆っていた巨大な魔法陣が、
まるで最初から存在しなかったかのように一瞬で消え去った。
空に浮かんでいたはずの災厄の気配が、跡形もなく霧散する。
「……消えた?」
ロルマが呆然と空を見上げる。目を見開いたまま、しばらく瞬きすら忘れていた。
「どんだけ魔法の扱い慣れてんだ……」
カムシスの顔はすでに引きつっていた。隕石が消えた安心感よりも、
“今まで降っていたものは何だったのか”という理解不能さのほうが勝っている。
あれほどの規模の魔法を、まるで火を消すみたいに止めてしまうなど、
常識の範囲に収まる話ではない。
観客席のあちこちからも、ざわめきが広がる。
安堵と困惑と恐怖が入り混じった声が、波のように押し寄せては引いていく。
グレッグ将軍はすぐに表情を引き締めた。
驚愕に飲まれたままでは、目の前の相手に一瞬で飲み込まれると本能が告げていたのだ。
「ラプロス様、まずは我々が行きましょう!」
「承知した」
ラプロス総指南役が短く答える。その声音には、先ほどまでの余裕はない。
だが、だからこそ指南役としての矜持が滲んでいた。
二人が同時に踏み込む。
帝国最強格の二人が同時に動いた瞬間、空気が一段階重くなる。
足元の砂が跳ね、風圧が走り、観客席の最前列にまで鋭い殺気が届いた。
普通の相手なら、この一歩だけで膝を折るだろう。
だが――セラフィスは動かない。
「いらっしゃ~い!」
その言葉と同時に、二人の剣が交差する。
ガギンッ!
鋭い金属音が響いた。確かに剣は振るわれた。
確かに斬撃は届いたはずだった。
だが次の瞬間、二人の剣は見えない何かに阻まれたまま、ぴたりと止まっていた。
「……っ!?」
ラプロスの眉がわずかに動く。
「届かない……?」
グレッグが歯を食いしばる。腕に力を込め、
さらに踏み込む。剣は振り抜かれている。
距離も合っている。角度も悪くない。
技の精度も、速度も、申し分ない。それなのに。
セラフィスの身体には、あと一歩どころか“壁一枚分”の空間すら触れられない。
まるで1メートル以内に近づくこと自体が拒絶されているかのようだった。
剣先が進もうとするたび、そこに見えない境界があるとしか思えない圧が返ってくる。
「くっ……!」
二人が同時に踏み込み直す。
剣筋を変え、角度をずらし、力の流れを変え、あらゆる突破口を探る。
だが結果は同じだった。見えない障壁はびくともしない。
まるで世界そのものが「そこから先は通さない」
そう言っているかのように、完全に攻撃を拒絶している。
その時――。
「グレッグ将軍、避けて!」
ベラミカの叫びが響いた。
次の瞬間。
「メガファイア!」
「メガファイア!」
「メガファイア!」
「メガファイア!」
「メガファイア!」
五重詠唱ではない。五発同時発動。
極大火炎魔法が一点に収束し、セラフィスへと叩きつけられた。
炎の奔流は一瞬で視界を埋め尽くし、熱波が闘技場全体を薙ぎ払う。
ドォォォォン!!という爆音とともに、地面が震え、土煙が天にまで吹き上がった。
「やった……!」
マリーが息を呑む。あれほどの火力なら、
さすがに――そう思った者は少なくなかった。だが。
煙がゆっくりと晴れていくと――。
そこに、セラフィスは普通に立っていた。
服も髪も乱れていない。焦げ跡ひとつない。
爆発の中心にいたはずなのに、
まるで風に吹かれただけのような様子で、ただ少しだけ困ったような顔をしている。
「う~ん……」
小さく首をかしげた。
「障壁が完璧だと、攻撃の意味が無くなるのね~」
本気で悩んでいる声音だった。
自分が無傷であることよりも、
“相手の攻撃が成立しない”ことのほうを問題視しているらしい。
「今の……防いだのではなく、意味ごと消したような……」
セーニャが青ざめる。
魔法の理屈を知る者ほど、その異常さが骨身に染みるのだろう。
防御とは、攻撃を受け止めるものだ。
だが今のは、受け止めたというより、
最初から“届く意味”を失わせたようにしか見えなかった。
ベラミカは額を押さえた。
「……もう、魔法の概念の話になってるんですけど」
セラフィスはぽん、と手を叩いた。
「そうだ」
「え?」
全員が嫌な予感を覚える。
こういう時のセラフィスは、たいてい“さらに常識外れなことを思いついた”時だ。
「私が魔力剣と盾で戦えばいいのか」
その瞬間、セラフィスの手元に“何か”が生まれた。
魔力が凝縮され、形を持つ。
剣。
そして盾。
しかしそれは金属ではない。光でもない。
ましてや単なる魔法の刃でもない。
“魔力そのものが刃と防御として成立している形”だった。
輪郭はくっきりしているのに、
どこか揺らぎ、触れれば消えてしまいそうでありながら、
そこにあるだけで圧倒的な存在感を放っている。
「……は?」
ロルマが声を失う。
「どんな魔力の練り方したら、あんな剣や盾みたいに具現化するのよ……」
ベラミカが半ば悲鳴を上げる。
魔法使いとしての理屈が、目の前で音を立てて崩れていくのが分かるのだろう。
セラフィスはきょとんとした顔で首をかしげた。
「え? う~ん……修行したら?」
「修行してできるなんて聞いたことないです!!」
「え~……みんなできないの?」
「できません!!」
ベラミカはそこで一度言葉を止めた。
何を言っても無駄だと悟ったのか、それとも本気で頭が痛くなったのか。
小さく息を吐き、肩を落とす。
「……もう言い返すのやめます」
その瞬間、ラプロスが低く呟いた。
「規格外だな……」
グレッグも頷くしかなかった。
「これは、剣技や魔術の次元ではない」
セラフィスはそんな空気をよそに、にこっと笑う。
まるで遊びの続きを提案する子供のように、無邪気で、楽しげで、そして何より危険だった。
「せっかくだから、みんなの相手するね」
その言葉と同時に――。
ぱちん。
もう一度、指が鳴った。
空間が揺らぐ。視界の端がぶれる。
魔力の流れが一瞬だけねじれ、次の瞬間には、そこに“もう一つの存在”が立っていた。
「どう?分身の術!」
セラフィスの隣に、もう一人のセラフィスが現れた。
全く同じ顔。
全く同じ笑顔。
全く同じ魔力圧。
立ち姿も、呼吸の間も、視線の向け方すら同じ。
まるで鏡写しではなく、
世界そのものが二人分のセラフィスを同時に成立させてしまったかのようだった。
「……は?」
グレッグ将軍の声が完全に止まる。
ラプロスも珍しく沈黙した。
指南役として数々の異常を見てきたはずの彼でさえ、今の光景には言葉を失っている。
「気配分けではなく……分身だと?」
カムシスが呟く。気配を散らして相手を惑わせる技ならまだ分かる。
だが、目の前にいるのは紛れもなく“もう一人のセラフィス”だった。
存在感も、魔力も、圧も、何もかもが本物にしか見えない。
ロルマは剣を握り直しながら、乾いた笑いを漏らした。
「冗談だろ……」
セラフィス(本体)は楽しそうに手を振る。
「じゃあ、いくよ~」
分身も同時に笑った。
「いくよ~」
二人のセラフィスが、同時に構えを取る。
帝国最強たちが、ついに“二人の災害”を前にする形となった。
闘技場の空気は、もはや戦場という言葉すら追いついていなかった。
指南役、将軍、魔導士、そして観客たち――誰もが理解していた。
これは勝負ではない。常識の側が、今まさに試されているのだと。




