特別試合①
帝都中央闘技場――。
夏の選抜闘技大会、その熱狂の余韻がまだ冷めやらぬ中、一般の部決勝から二日後の朝が訪れた。
帝都中が待ち望んだ特別試合の日である。
空はよく晴れ、太陽の光が石造りの巨大な闘技場を白く照らしていた。
だが、その清々しい空気とは裏腹に、中央闘技場の周囲はすでに熱気で満ちている。
開場と同時に押し寄せた観客たちで、観客席はあっという間に埋まり、
立ち見の場所にまで人があふれていた。
帝都の住民だけではない。近隣の町や村からも、この一戦を見届けようと人々が集まっている。
数えるのも難しいほどの人、人、人。
ざわめきは絶えず、期待と興奮が入り混じった空気が、闘技場全体を包み込んでいた。
「始まるぞ!」
「ついに特別試合だ!」
「イヴァンス隊、本当に帝国騎士団と戦うんだよな!」
「相手は将軍に魔導士団長だぞ!?」
「一般の部の優勝者が、あの帝国最強とやり合うなんて……!」
あちこちから飛び交う声は、どれも興奮を隠しきれていない。
普段なら闘技大会の決勝だけでも十分な盛り上がりだが、
今回はそれをさらに上回る。
帝国騎士団の実力を民に示すための特別試合。
しかも相手は、学生の部を制したイヴァンス隊だ。
誰もが、この一戦がただの余興では終わらないことを理解していた。
実況が興奮気味に声を張り上げる。
『皆様、お待たせいたしました!!』
『本日は夏の選抜闘技大会を締めくくる特別試合です!!』
『学生の部優勝チーム・イヴァンス隊が、帝国騎士団代表と激突いたします!!』
その声が響いた瞬間、観客席の熱気はさらに一段上がった。
『まずは挑戦者、イヴァンス隊の入場です!!』
入場口の扉が、重々しい音を立ててゆっくりと開く。
その先に現れたのは、七人と一匹の姿だった。
先頭を歩くのはイヴァンス。
いつも通り落ち着いた足取りで、まるで散歩にでも出かけるかのような自然さを崩さない。
その隣にはセーニャ。
少し緊張した面持ちではあるが、それでも背筋を伸ばし、しっかりと前を見据えている。
続いてマリー、プラーサ、ベラミカ。さらにロルマとカムシス。
そして最後尾には、小さな赤い竜――レックが、とことこと自分の足で歩いていた。
七人と一匹。
それが、今回のイヴァンス隊だった。
観客席から、ひときわ大きな歓声が上がる。
「イヴァンスー!!」
「セーニャちゃーん!!」
「レックかわいいー!!」
「ロルマさんも出るのか!」
「カムシスまでいるぞ!」
一人ひとりが紹介されるたびに、歓声が波のように広がっていく。
学生の部で見せた活躍を覚えている者も多く、彼らの名を呼ぶ声には、
純粋な応援と期待が込められていた。
だが、そんな中でも、イヴァンス以外の面々は少しだけ表情が硬い。
マリーは静かに息を整え、視線を前へ向けたまま、
胸の鼓動を落ち着かせようとしている。
プラーサは拳をぎゅっと握り締め、気合いを入れるように肩を回した。
ベラミカも珍しく真剣な表情で、目の前の闘技場中央を見据えている。
ロルマはわずかに苦笑した。
「まさか私が、この舞台へ立つことになるとはな……」
その声には、驚きと同時に、どこか感慨深さも混じっている。
カムシスも肩を竦めて笑った。
「人生って分からないもんだな。まさか帝国騎士団相手に、こんな大舞台で戦うことになるとは」
普段なら軽口を叩ける場面でも、さすがにこの空気は重い。
数万人の視線が一斉に自分たちへ向けられているのだ。
しかも相手は、帝国の頂点に立つ者たち。緊張しない方がどうかしている。
セーニャは思わず周囲を見回した。
「す、すごい人……」
闘技大会の決勝戦とはまた違う。
観客の熱気はもちろんあるが、
それ以上に、これから始まる戦いの意味を皆が理解しているせいか、
場内には張り詰めた空気が漂っていた。
歓声の裏に、息を呑むような静けさがある。
まるで、巨大な獣が牙を剥く直前のような緊張感だった。
その肩へ、イヴァンスがそっと手を置く。
「大丈夫」
穏やかな笑顔だった。
「いつも通りやればいいよ」
その一言は、不思議とセーニャの胸のざわめきを和らげた。
イヴァンスの声には、相手が誰であろうと変わらない安心感がある。
彼がそう言うなら、きっと大丈夫だと思えてしまう。
「……うん」
セーニャも小さく頷いた。
その頃。
反対側の入場口が、今度はゆっくりと開いていく。
実況席の声が、さらに力を増した。
『続きましてぇぇぇ!!』
『帝国騎士団代表の入場です!!』
その瞬間、場内が一気に沸き上がる。
観客たちは総立ちになり、歓声と拍手が渦を巻いた。
帝国の民にとって、騎士団は日々の平和を守る象徴であり、誇りそのものだ。
その代表が姿を現すとなれば、これほどの熱狂になるのも当然だった。
最初に姿を現したのは、巨大な体躯を誇る男。
帝国軍将軍――グレッグ。
その堂々たる姿は、まさに戦場を知る者の風格を備えている。
厚い胸板、鋭い眼光、無駄のない歩み。
彼が一歩進むたびに、場内の空気が引き締まるようだった。
その後ろには、帝国剣術の最高峰と称される男。
ラプロス総指南役。
後ろで束ね、年齢を感じさせる落ち着きと、
長年の鍛錬で磨かれた気迫を同時に漂わせている。
剣を持たずとも、その立ち姿だけで強者と分かる人物だった。
さらに続くのは、近衛騎士団副団長コウラン。
無駄のない動きと、隙のない視線。
帝国の中枢を守る者としての厳しさが、そのまま形になったような男である。
そして最後に。
紫色のローブを纏った小柄な女性が、いつもの調子で軽く手を振りながら歩いてくる。
魔導士団長セラフィスだった。
「将軍だ!」
「ラプロス様!」
「コウラン副団長!」
「セラフィス様ー!」
観客席からは、次々と名前を呼ぶ声が飛ぶ。
帝国騎士団の中でも、特に名の知れた四人が一堂に会しているのだ。
これほど豪華な顔ぶれは、そうそう見られるものではない。
実況も興奮を隠せない。
『帝国最強戦力が集結です!!』
『帝国軍を代表する四名!!』
『これ以上ない豪華な布陣となりました!!』
両チームが闘技場中央で向かい合う。
その瞬間、空気がさらに重くなった。
マリーが小さく息を呑む。
「本当に……帝国の頂点ばかりですわね」
その声は、緊張を押し隠そうとしてもわずかに震えていた。
プラーサも苦笑する。
「さすがに緊張するわね。相手が相手だもの」
ベラミカが静かに頷いた。
「私でも少し震えるわ。ここまでの相手と真正面から向き合うのは、そうないことよ」
ロルマも思わず苦笑する。
「外交交渉より緊張するな。相手の圧が違いすぎる」
カムシスも肩を竦めた。
「軍務卿直属の任務でも、ここまではなかったぞ。これはこれで胃に悪い」
全員が緊張していた。
ただ一人を除いて。
イヴァンスだけは、普段と変わらない穏やかな表情を浮かべていた。
まるで、目の前にいるのが帝国最強の四人ではなく、
いつもの知り合いであるかのような自然さだ。
その様子を見たグレッグが、小さく笑う。
「相変わらず大した胆力だ」
ラプロスも静かに頷いた。
「肝が据わっておる。あの年齢でここまで落ち着いている者は、そうおらんな」
イヴァンスは軽く会釈するだけで、余計なことは言わない。
その態度がまた、彼の器の大きさを際立たせていた。
その時だった。
来賓席。
ランジール皇帝が、ゆっくりと立ち上がる。
その動きひとつで、闘技場全体が静まり返った。
先ほどまでの歓声が嘘のように消え、数万人の視線が一斉に皇帝へ向けられる。
帝国の頂点に立つ者の存在感は、それだけで場を支配する力を持っていた。
皇帝はゆっくりと観客席を見渡した。
そして、よく通る声で語り始める。
「帝国の民よ」
静かな一言だった。
だが、その声は不思議なほど遠くまで響き渡り、闘技場の隅々にまで届いていく。
誰もが息を呑み、次の言葉を待った。
「普段、皆を守っておる騎士団の実力を、今日はその目で見るがよい」
その言葉に、観客たちはさらに静かになる。
皇帝が自ら、騎士団の存在意義を語っているのだ。
これは単なる試合ではない。
帝国の守り手たちが、民の前でその力を示す場なのだと、誰もが理解した。
皇帝は続ける。
「そして心に刻むのだ」
一拍置いて、場内を見渡す。
「帝国騎士団、ここにあり、と」
その一言には、誇りと信頼、そして帝国を支える者たちへの敬意が込められていた。
さらに続ける。
「今後も、この平和を維持する者たちの戦いを見届けるのだ」
その言葉が終わると同時に。
闘技場全体が、割れんばかりの歓声で揺れた。
「うおおおおおお!!」
「帝国騎士団!!」
「頑張れー!!」
「イヴァンス隊も負けるなー!!」
歓声はいつまでも鳴り止まない。
帝国騎士団への敬意と、イヴァンス隊への期待。
その両方が入り混じった熱狂が、観客席を包み込んでいた。
やがて審判が前へ進み出る。
「両者、位置につけ!」
その声に従い、イヴァンス隊と帝国騎士団代表が、
それぞれ所定の位置へ散っていく。
闘技場中央に、静かな緊張が満ちる。誰もが次の瞬間を待っていた。
その時だった。
イヴァンスの耳元で、小さく魔道具テレパスが起動する。
彼は静かに目を閉じた。
そして、仲間たち全員へ念話を送る。
《みんな、聞こえる?》
《ここからが本番だ》




