呼び覚まされし存在
イヴァンスは、その場に崩れ落ちていた。
荒れ狂っていた気配は消え、ただ静かに横たわっている。
だが――
右手の竜の紋様だけが、まだほのかに光を帯びていた。
脈打つように。
完全には、止まっていない。
ジャックが、肩をすくめる。
「セラッち~……」
視線はセラフィスへ向けたまま。
「さっきのさ、普通に考えてヤバすぎじゃない?」
軽口の形をしている。
だが、その声に余裕はない。
「二重詠唱しながらテレポートで懐入りとか……」
一拍。
「相変わらず、化け物だよね~」
ベラミカが、深く息を吐く。
まだ結界で使用した魔法の余波が抜けきっていない。
指先が、わずかに震えている。
「……そうね」
ゆっくりと頷く。
「さっきの魔法、ひとつ詠唱するだけでも――」
言葉を選ぶように間を置く。
「かなり高位の魔導士でないと扱えないわ」
視線がセラフィスへ向く。
「それを二重で維持しながら、転移で距離を詰めて接触……」
小さく、苦笑する。
「もはや理屈じゃないわね」
一拍。
「さすが師匠、としか言いようがないわ」
その言葉に、誰も否定しない。
レキサルも、静かに頷くだけだった。
「まこと、常軌を逸しておりますな……」
一方で。
セーニャは――
その場から動けなかった。
イヴァンスのすぐ横に膝をつき、レックを強く抱きしめている。
「……イヴァンス君……」
声が震える。
涙が止まらない。
息が、うまく吸えない。
視界が滲んで、目の前の姿が揺れる。
胸の奥が締めつけられるように痛い。
言葉にしようとしても、うまく形にならない。
ただ――
零れるものだけが、止まらなかった。
その時。
セラフィスが、静かに歩み寄る。
足音はほとんどしない。
だが、その存在だけで空気が変わる。
セーニャの肩に、そっと手が置かれた。
びくり、と小さく震える。
「……セーニャ」
低く、落ち着いた声。
「少し下がってなさい」
一拍。
「――まだ、終わってないのよ」
その言葉に、空気が再び張り詰める。
ジャックの表情がわずかに引き締まる。
ベラミカも息を呑む。
セーニャは涙を拭いながら、わずかに後ずさる。
レックを抱えたまま。
セラフィスは、イヴァンスの右手へ視線を落とした。
淡く光る竜の紋様。
その光は、確かに“残っている”。
「……やっぱり、残ってるわね」
小さく呟く。
そして――
静かに、詠唱を始めた。
空気が変わり魔力が集まる。
それは先ほどまでの“戦闘のための力”ではない。
もっと繊細で、もっと危うい領域。
「――マインド・マテリアライズ」
その言葉が静かに唱えられた瞬間
竜の紋様が、強く脈打った。
ドクン、と。
心臓のように。
光が、溢れる。
紋様の線が、空間へと“滲み出す”。
まるでそこにあったものが、内側から押し出されるように。
「……っ!」
ベラミカが息を呑む。
それは魔力ではない。
“存在”だ。
光が形を持つ。
輪郭が生まれる。
鱗。
角。
翼。
ゆっくりと――
だが確実に、それは“姿”を得ていく。
セーニャの腕の中で、レックがわずかに反応した。
小さく、震える。
呼応するように。
そして――
光は、完全な形を結ぶ。
そこに現れたのは。
巨大な――
ドラゴンの姿だった。
だがそれは、実体ではない。
透けている。
淡く、揺らいでいる。
それでも――
“圧倒的な存在感”だけは、そこにあった。
誰も、声を出せない。
ただ見上げる。
その中で。
ドラゴンの視線が、ゆっくりと動いた。
真っ直ぐに――
セラフィスを捉える。
その双眸は、ただの幻ではない。
“認識している目”だった。
そして――
低く、静かな声が響く。
「……お久しぶりですね。シファレスさま」
その一言で、空気が止まった。
ジャックの眉がぴくりと動く。
ベラミカが、息を呑む。
レキサルもまた、わずかに目を細めた。
(……今、なんと)
だが――
セラフィスは、動じない。
むしろ、わずかに口元を緩めた。
「やっぱり、あなただったのね」
一歩、踏み出す。
視線は逸らさない。
「レックの母親って」
一拍。
確かめるように。
「――レッドドラゴン」
その名が落ちた瞬間。
空気が、重く沈む。
ドラゴンの輪郭が、わずかに揺らいだ。
否定はない。
肯定もない。
だが――沈黙が、すべてを物語っている。
セーニャが、思わずレックを強く抱き寄せた。
「……え……?」
理解が追いつかない。
だが、感じてしまう。
この存在が――ただの幻ではないことを。
レックが、かすかに目を開ける。
「……ぴぃ……」
弱い声。
だが、その視線は――確かに“上”を見ていた。
ドラゴンは、その様子を静かに見下ろす。
そして。
ゆっくりと、口を開いた。
「……やはり、この子には……」
言葉が、途中で止まる。
わずかに目を細める。
「……まだ、早かったようですね」
その視線が、イヴァンスへと移る。
倒れ伏したままの少年。
右手の紋様だけが、微かに光を残している。
セラフィスが、静かに言葉を挟む。
「幼生体のレックには、リスクが大きすぎたんじゃなくて?」
責める口調ではない。
だが、逃がさない問い。
ドラゴンは、ほんのわずかに目を伏せた。
「……その通りです」
短い肯定。
「しかし――この子を守るために、他に方法がなかった」
低く、重い声音。
選択の余地がなかったことを示す響き。
セラフィスの目が、わずかに細まる。
「制御する方法は?」
即座に踏み込む。
ドラゴンは一拍、間を置いた。
そして――
「怒りの感情による力の発露を抑えれば、暴走自体は止まるでしょう」
淡々と告げる。
「ただし――」
わずかに、声が沈む。
「本来の力は、発揮できなくなります」
完全ではない制御。
代償付きの安定。
その意味を、全員が理解する。
セラフィスは、迷わない。
「構わないわ」
即答。
「まずは止めることが優先よ」
一歩、距離を詰める。
「――その方法、教えてもらえるかしら?」
視線が、真っ直ぐに突き刺さる。
ドラゴンは――その問いを受け止めたまま、沈黙する。
すぐには答えない。
まるで、何かを見極めるように。
その双眸が、セラフィスを。
そして――セーニャとレックを、順に見渡す。
次の瞬間。
ドラゴンの周囲の光が、わずかに“揺らいだ”。
崩れる兆し。
「……時間が、ありませんね」
低く、そう呟く。
その言葉と同時に――
空気が、再び張り詰めた。
まるで。
“まだ終わっていない何か”が、近づいてくるかのように。




