赤い目が見ている
セラフィスとサーペインが相対している。
張り詰めた空気が弾けた。
合図はない。
だが――次の瞬間には、すでに戦いは始まっていた。
セラフィスの指先が、わずかに動く。
同時に。
空間が、凍りついた。
音もなく生まれた氷の槍が、幾重にも重なりながらサーペインへと殺到する。
逃げ場はない。
氷の槍による包囲。完全な封殺。
だが――
「フフ、甘いですね」
サーペインの姿が、ぶれる。
いや、違う。
そこにいたはずの存在だけが、ずれているのだ。
氷の槍が、空を貫く。
砕けることすらなく、すり抜ける。
「ちっ!……やっぱり厄介ね」
セラフィスが、小さく舌を打つ。
だが、その手は止まらない。
空間に、ひびが入る。
次の瞬間――
無数の氷片が、刃となって解き放たれた。
散弾のように。
逃げ場を削るように。
全方位から、サーペインを穿つ。
だが――
「おっと」
軽い一言。
サーペインの輪郭が、ふっと霞む。
刃は届かない。
“当たるはずの軌道だけが、ずれている”。
「ふふ……見えていますよ」
さらに一歩。
その足取りは、あまりにも軽い。
だが――距離だけが狂う。
セラフィスの瞳が細まる。
「なら――これは?」
即座に術式を重ねる。
圧縮された魔力が、点となって撃ち出される。
直線。
回避不能の速度。
それが三つ、五つ、十と増えながらサーペインを貫く。
だが――
「美しい」
笑ったまま。
サーペインは“そこにいない”。
すり抜ける。
すべてが、空を撃つ。
「相変わらず美しい術式ですね。
惚れ惚れしてしまいます」
称賛。
だが、その声には一切の緊張がない。
セラフィスは、止めない。
今度は地面が歪む。
氷がせり上がり、檻のように閉じる。
上下左右――完全拘束。
逃げ場は、ない。
――はずだった。
「ですが」
その中心で。
サーペインは、微動だにしない。
「当たらなければ、意味がない」
その言葉と同時に。
氷が“そこにないもの”を閉じ込めるように、空振りする。
閉じたはずの空間が、虚しく軋む。
セラフィスの魔術が、すべて“外れている”。
ありえない精度で。
ありえない確率で。
「……ほんと、気持ち悪いわね」
吐き捨てる。
だがその目は、冷静に相手を捉えている。
サーペインは、くすりと笑った。
「お褒めに預かり光栄です」
そして。
たった一歩、踏み出す。それだけで距離が歪む。
気づいた時には――
セーニャの目前に、“それ”はあった。
「――え?」
理解が、追いつかない。
黒く、細く、鋭く、歪んだ線。
それがまっすぐ――心臓を貫く軌道で伸びている。
回避は不可能。
詠唱も、防御も、間に合わない。
「……っ!」
その瞬間。
イヴァンスが、信じられないスピードで踏み込んでいた。
考えていない。
それはまさに、ただ体が動いていただけだ。
――割り込む。
「セーニャ!」
セーニャと黒い線の間に、腕をねじ込む。
次の瞬間。
“それ”が、突き刺さる。
「ぐっ……!」
「イヴァンス君!」
セーニャの悲鳴が上がる。
だが、イヴァンスは倒れない。
歯を食いしばり、踏みとどまる。
腕に刺さったはずの“それ”は、影のように揺らぎながら消えていく。
イヴァンスの瞳に――明確な怒りが宿る。
「……ほお、感心感心」
サーペインが、興味深そうに目を細めながら、ゆっくりと手を叩く。
「今のを、防ぎますか」
その視線が、イヴァンスへと向けられる。
そして――
レックが、鳴いた。
「グルルルル……」
低い唸り。
今まで聞いたことのない声音。
震えではない。
セーニャを狙ったことへの、純粋な怒り。
その瞬間。
イヴァンスの右手が、脈打つ。
竜の紋様が、淡く光を帯びた。
レックの怒りと呼応するかのように。
さらに、レックの体からも同じ光が滲む。
「……っ、これは――」
イヴァンスが息を呑む。
力が、体の奥から溢れ出す。
熱を帯びて、流れ込んでくる。
だが――制御できない。
それでも。
拒むことはできなかった。
セラフィスが、その変化を見た。
その瞬間、口元がわずかに緩む。
「ふ、予定通りね」
次の瞬間。
彼女が、消えた。
いや――
“認識から外れた”。
サーペインの視界から。
「……なにっ!」
初めて、サーペインの反応が遅れる。
セラフィスは、すでにその懐にいた。
指先が、軽く触れる。
たった、それだけ。
「捕まえたわよ」
囁き。
その瞬間――
サーペインの世界が、裏返る。
光が消える。
音が消える。
温度が消える。
気づいた時には――
サーペインは、“どこでもない場所”にいた。
足元はない。
空もない。
ただ、黒。
無限に広がる、暗黒。
「……な、なんだこれは」
サーペインの声が、初めて揺れる。
そして――気づく。
“視線”に。
二つの赤い目。
怒りに満ちた目。
こちらを、凝視している。
瞬きすらせず。
ただ、じっと。
「――こ、こんなことありえない……
お前は、私が――」
言葉が、途切れる。
その瞬間。
赤い目が、わずかに細まった。
「……くそっ!」
サーペインが指を鳴らす。
空間が歪み、強引に引き裂かれる。
――次の瞬間。
現実へと叩き戻される。
「はあ……はあ……はあ……」
荒い呼吸。
額には、はっきりと汗が滲んでいた。
その場にいる誰もが――気づく。
今、確かに。
サーペインは“恐怖した”。
その事実に。
そして――
サーペインの視線が、ゆっくりと動く。
セラフィスではない。
イヴァンスと、レックへ。
その目に宿るのは、先ほどまでの余裕ではない。
「……なるほど」
低く。
押し殺すように。
「そういうことですか」
笑みが、歪む。
だがその奥には――明確な“警戒”があった。
「これは……想定以上だ」
一歩、下がる。
初めて見せる“距離を取る動き”。
その意味を。
誰もが理解する。
そして。
セラフィスは、ただ静かに告げた。
「逃がさないわよ」
その一言で。
空気が、再び張り詰める。
――戦いは、まだ終わっていない。




