因縁の相手 サーペイン
セラフィスの乗る馬車が、ふと止まった。
御者が声をかけるより早く、彼女はあっさりと言う。
「ねえ、ちょっと止めて。少し散歩したくなっちゃった」
緊張感のない声音。
だが説明も待たず、そのまま扉が開く。
軽く飛び降りるように地面へ降りると、そのままイヴァンスたちの馬車へ歩いていく。
「みんな、散歩しよ」
「は?」
イヴァンスが素で声を漏らす。
「今このタイミングでですか?」
「うん、今」
即答。迷いはない。
「セラッち~」
ジャックがひょいと顔を出す。
「ピクニック用の弁当とか、ちゃんと用意してんの~?」
軽い口調。いつも通りのふざけ方。
だがその目は、すでに周囲を測っている。
セラフィスはにこにこしたまま肩をすくめた。
「ないよ~。でも大丈夫でしょ?」
「何が?」
スランザが短く突っ込む。
声は軽い。だが底は重い。
ジャックが横から小さく笑う。
「いや~、セラッちが平和なことを言う時ってさ~」
森の奥へ視線を流しながら続ける。
「だいたい散歩で終わんないんだよね~。今回もそうなんじゃないの~?」
スランザも鼻で笑う。
「……散歩って単語は平和なはずなんだがな。セラフィスが言うと意味変わるからな」
ジャックが肩をすくめる。
そのやり取りに、イヴァンスはわずかに眉をひそめる。
「え……どういう意味ですか?」
誰も答えない。
答える必要がない、という沈黙だけが返る。
イヴァンス隊は、セラフィスの後ろについて森へ入っていく。
木々の密度が増すたび、光が細くなる。音が薄くなる。
そして――
少し開けた場所に出た瞬間だった。
周囲の空気が変わった。
温度が落ちる。圧が増す。
そこに“いる”だけで、肌がざわつくような気配。
イヴァンスが息を呑む。
「……いったい、なんだこれ」
スランザが低く呟く。
「くそ……やっぱ来てんな」
ジャックは珍しく笑みを薄くしたまま。
「ひひ……やっぱりビンゴなのよね~。嬉しくないのが困るのよね~」
軽い言い方。だが意味は重い。
スランザも続ける。
「……面倒な散歩だな、ほんと」
レキサルは静かに視線を巡らせながら言う。
「舞台は整った、ということでございますな」
その時だった。
セラフィスが一歩前へ出る。
その一歩は“探す”ためではない。
“確定しているものへ向かう歩み”だった。
笑顔のまま森の奥へ声を投げる。
「隠れてないで出てきなさい」
風が止まる。
「それだけ殺気をわざと出してるってことは、挑発してんでしょ?」
森の奥――そこに“いるべきではない何か”が揺れる。
ジャックの表情から笑みが一段薄れる。
「……あ~あ、本当に面倒だよね~」
スランザも吐き捨てるように笑う。
「ジャックの言う通りだな」
イヴァンスはまだ気づいていない。
だが二人は理解している。
これは遭遇ではない。
最初からここに呼ばれていたのだ。
「面倒ね!どうやら私から仕掛けてほしいようね」
セラフィスが言った瞬間――空間が震えた。
氷の槍が三本、何の前触れもなく虚空から生まれる。
それは音すら遅れて聞こえる速度で、ある一点へ突き刺さる。
だが――
「……っ」
イヴァンスが息を呑む。
槍は確かに命中したはずだった。
しかし次の瞬間、空間が揺らぎ、氷が“拒絶されたように”崩壊する。
「相変わらず容赦ありませんね」
空間の奥から声が落ちる。
「シファレス」
その呼び名に空気が沈む。
「……シファレス?」
セラフィスが目を細める。
一瞬の沈黙。
そして――口元だけが笑う。
「ああ、そんな風に呼ばれてたこともあったわね。昔の話よ」
その瞬間、空気が変わる。
笑っているのに温度が落ちる。
セラフィスの目の奥に、鋭い光が宿る。
怒りではない。もっと深い、“記憶への拒絶”。
ジャックの笑みが消える。
「……触れたね」
スランザが舌を鳴らす。
「空気が変わったぞ」
レキサルが静かに言う。
「過去の呼称に踏み込まれましたな」
レキサルが静かに言った、その瞬間だった。
ベラミカの指先が、わずかに震える。
魔力はすでに練られている。
だが――放たれていない。
顔から、すっと血の気が引いた。
「……っ」
一瞬だけ、呼吸が止まる。
イヴァンスはまだ分からない。だが本能が告げている。危険だと。
セラフィスは一歩、前へ。
「私はセラフィスよ」
一拍。
「ちゃんと覚えておきなさい」
微笑む。だがその笑みは冷たい。
「痛々しいペインちゃん」
その瞬間――空間の“奥”が笑った。
「ふ……」
「こんな状況でも冗談を言えるのですね」
裂け目のように、人影が浮かぶ。
「シファレス……いや」
間を置く。
「アルフォース帝国 魔導士団長、セラフィスさん」
その名を呼んだ瞬間、森が止まる。
イヴァンスの背筋に冷たいものが走る。
ジャックが呟く。
「……出てきたね」
スランザが短く言う。
「みんな、構えろ」
レキサルが一礼する。
「ようこそ、と申し上げるべき場面でございましょうか」
セラフィスは笑ったまま見つめている。
その笑顔は、もう揺れない。
「やっと出てきたのね」
低く。静かに。
「サーペイン」
その名が落ちた瞬間――
人影が歪み、実体化する。
ピエロのような化粧。歪な笑み。
だが“笑っているはずの顔”が、どこか死んでいる。
イヴァンスの背筋が凍る。
セーニャは無言でレックを抱き寄せる。
その前に現れたのは――
ナピドラ連邦、議長付軍事顧問。
サーペインだった。
「……サーペイン」
セラフィスがもう一度、噛み締めるように呟く。
――次の瞬間。
森そのものが、ゆっくりと呼吸を始めた。




