8-2 元セフレとの遭遇
元セフレがよろけるように幸佑から離れた。そんな元セフレを見ることなくオレに手を伸ばした幸佑が肩を抱くように引き寄せる。予想していなかった行動に抵抗することもできなかった。
「この人以外いらない。この人さえいればいい」
元セフレが顔を上げた。かわいかった顔は歪み、大きな目には涙が滲んでいる。
「二度と俺の前に現れないで」
「ユキ、」
「名前も呼ばないで」
肩を抱く幸佑の手に力が入った。駅から出てきた人たちがチラチラとこっちを見ている。駅前で男三人が痴話ゲンカをしていると思っているに違いない。
「おい、幸佑」
このままじゃよくないと思って小声で名前を呼ぶ。すぐに「何?」と優しい声で返事をする幸佑に元セフレが目を見開いた。もしかして本名を呼んだのはまずかったかと慌てて口を閉じると、頭上でチュッという音がする。
「は?」
驚いて顔を上げると微笑んでいる幸佑と視線が合った。さっきまでの無表情と違い、誰もが見惚れる超絶イケメンの顔だ。その目が元セフレに向いた途端にまた無表情に戻る。
「それから俺、恋人のこと馬鹿にされるの超ムカつくんだよね」
元セフレは何も言わなかった。いや、言えなかったのかもしれない。ショックを受けているような顔で、ただひたすら幸佑を見ている。
「バイバイ」
縋るような表情の元セフレを気にすることなく幸佑が歩き出した。肩を抱いていた手は腰に回り、オレも引っ張られるように歩き出す。気になってチラッと振り返った。元セフレは茫然と立ち尽くしている。「おい、いいのかよ」と尋ねるが幸佑からの返事はなかった。
(マジで怒ってるっぽいな)
こういうときはぶり返さないほうがいい。そもそも幸佑と元セフレの話にオレが口を出すのはよくない。
腰に回っていた幸佑の手が離れた。なんとなく残念に思った自分に「何考えてんだよ」と突っ込みながら、駅の反対側へと続く道を並んで歩く。そうして線路の高架下に入ったところでハタと気がついた。
「おまえ、さっき恋人って言ったよな?」
オレの問いかけに「うん、言ったよ」と答える幸佑の声は明るい。
「恋人じゃねぇだろ」
「いまはまだね」
ニコッとそう言われて反論できなかった。「これからも違う」と言えばそれが返事になってしまう。はっきり言えば幸佑はきっと諦める。それでいいはずなのに「違う」と言えない自分に眉が寄った。
「コウちゃん」
呼ばれて顔を上げた。見慣れた顔のはずなのになぜかドキッとしてしまう。
「コウちゃんさ、さっきどんな顔してたか気づいてる?」
「顔ってなんだよ?」
意味がわからず首を傾げると「そっか、気づいてないんだ」と言ってニコッと笑った。
「『オレのものに触るな』って顔してたんだけどな」
「はぁ?」
ムッとしながら「んな顔するわけねぇだろ」と否定するが、「無意識にそんな顔するコウちゃんもかわいいからいいけど」と返されて眉間に皺が寄る。
「言いたいことあるならはっきり言えよ」
「いいけど、怒らない?」
「内容による」
「えぇ~」
不満そうに口を尖らせながらも幸佑は楽しそうだ。
「コウちゃん、俺のことちょっと好きになってるでしょ」
歩いていた足がぴたりと止まった。「何言ってんだ」と答えた声はなぜか少し小さい。
「さっきのコウちゃん、嫉妬してますって顔してた」
「……んなわけあるか」
「ちょっと間が開いたってことは心当たりあるんでしょ」
顔を覗き込まれてそっぽを向く。
(嫉妬とか、何言ってんだよ)
心の中では否定しているのに言葉にできない。元セフレの様子にムカッとしたりイライラしたりしたことが蘇り、笑い飛ばそうとしたのに失敗してしまった。
「ま、コウちゃんは恋愛初心者だからねぇ」
「言ってろ」
「違うならもっとはっきりきっぱり否定するよね? なのに俺を見ようともしない。もしかして自分でも気づいてるんじゃない?」
「知らねぇよ」
「嘘。その顔は絶対に気づいてる。ねぇコウちゃん、ちょっとは俺のこと、気になってるよね?」
「うるさい。ほら、さっさと行くぞ」
これ以上あれこれ言われてたまるか。そう思ってさっさと歩き出す。これ以上何か言われたくなくて早足で歩いているのに、すぐに追いつかれてしまった。隣に並んだ幸佑は何も言わないものの、楽しそうな顔をしているのは予想がつく。
「やっぱりコウちゃんってかわいいよね」
「かわいいとか言うな」
「無理だよ。だってかわいいもん」
「二十歳過ぎた男子大学生にかわいいとか普通言わねぇだろ」
「ほかの人には言わないよ。俺がかわいいって言うのはコウちゃんにだけだから」
「かわいくなんかねぇよ。見た目は普通だしダサいし、さっきのヤツもそう言ってただろ」
「コウちゃん」
肩を掴まれて足を止めた。顔を覗き込む幸佑は少しだけ怒っているように見える。
「前にも言ったけど、自分を下げるようなこと言わないで。周りが何て言っても俺はコウちゃんがいい。コウちゃんしか好きじゃない。俺にはコウちゃんが誰よりもかわいく見えるし、かっこよく見える」
「……何言ってんだよ」
「あっ、赤くなった」
「見るな」
「えぇ~、いいじゃん。あっ、待ってよ。もうちょっだけ見せてよ!」
「うるさい、見せもんじゃねぇっての」
そのまま目的のパン屋に入り、無言でいくつもの総菜パンをトレーに載せた。レジに持っていくと当然のように幸佑が財布を出す。パン屋で金ぴかのクレジットカードはどうなんだと思わなくもないが、そもそもニートのくせにどうしてクレジットカードを持っているんだと突っ込みたくなった。
心の中であれこれ突っ込んでいるオレとは違い、レジの女性は最後まで幸佑に見惚れていた。幸佑のほうは慣れているのか気にしている素振りはない。
(ほら、誰もがおまえに夢中になる。性別なんて関係ない。それなのに、なんでオレなんかに……)
「オレなんか」と思ったところでグッと唇を引き締めた。「オレなんかって言わないで」という幸佑の声が頭の中で響く。
「コウちゃんってツンデレだよね」
耳元で囁かれて慌てて飛び退いた。「あはは」と笑う幸佑をひと睨みして店の外に出る。
「素直じゃないんだから」
「うるせぇぞ」
「ツンデレなコウちゃんも好きだけどね」
「ツンデレじゃねぇ」
「そうかなぁ。たしかに普段はそんなことないけど、恋愛に関してはツンデレだと思うよ?」
「違う」
「ほら、顔赤くしながらそんなこと言って、ツンツンのコウちゃんもかわいい。いつかデレなコウちゃんも見たいなぁ」
来た道を無言で歩く。ズンズンと早歩きで歩いているのに、隣でご機嫌な幸佑はのんびり歩いているように見えた。「足の長さ自慢してんのかよ」と無茶苦茶なことを思いながら、それでもズンズンと歩き続ける。
「コウちゃん、いい加減認めたら?」
「何をだよ」
「俺のこと、好きになりかけてるでしょ」
「……んなことねぇ」
「また間が空いた。頑ななコウちゃんも悪くないけど、素直なコウちゃんのほうがいいなぁ」
「意味がわからん」
「えぇ~、ほんとはわかってるくせに」
「うるさい」
「そうじゃなきゃあんなにムッとした顔しないだろうし、そうやってイライラしたりもしないよね?」
「だから違うって言ってんだろ」
「違わない。俺にはわかる。何年コウちゃんと幼馴染みしてると思ってんの?」
スーパーが近づいてきた。夕飯の材料を買うためスーパーに寄る話もしてある。迷いながらも歩みが遅くなるオレの腕を幸佑が掴んだ。
「俺はうれしいよ? 好きな人に意識してもらえるのはめちゃくちゃうれしい」
「だから違うって」
「俺のこと、男として意識してほしい」
耳元でそんなことを囁かれてぶわっと鳥肌が立った。「お、おま……」と顔を上げると、「あはは、顔真っ赤」と幸佑が笑い出す。
「ふ、ざけんなっ」
満面の笑みを浮かべるイケメンの額に強烈なデコピンを食らわせてやった。「い……ったいよ、コウちゃん」と涙目になる幸佑を無視してスーパーの入り口に向かう。
「俺、ふざけてないからね? コウちゃんと恋人になるの絶対に諦めないからね?」
無言でカゴを掴んだが当然のように幸佑に奪われてしまった。それだけでドキッとする自分に顔をしかめる。
「コウちゃんが俺を意識し始めてるってわかったのに諦めるなんて絶対にしない。何がなんでもコウちゃんの彼氏になる」
片手にパン屋の袋を持ち、もう片方の手にスーパーのカゴを持った状態で何を言っているんだと突っ込みたくなった。それでも何も言えなかったのはオレを見る幸佑がやたらかっこよかったからで、そんなふうに感じる自分に戸惑った。
「コウちゃん、早く俺の彼氏になってね」
ニコッと笑う幸佑に、たまたま居合わせた人たちが感嘆のため息を漏らす。中には頬を染めながら釘付けになっている人もいた。しかも男女問わずで年齢も関係ない。
これまでそうしたシーンを数え切れないほど見てきた。そのたびに「イケメンってのはすごいな」と感心した。いまもすごいなと思っているが、同時に違う感情がわき上がってきた。体の奥がむず痒いような、照れくさいような、それなのに浮き足立つような気持ちがして慌てて頭を振る。
「あれ? もしかして案外もうすぐだったりする?」
質問には答えず、周囲の視線を振り切るように店内に入った。




