原稿用紙は夢を語る
『今日が締切なんでしょ?』
という文章が白紙の原稿用紙に書かれていた。ソファで仮眠をしていて目を覚ましたら、いきなりこれだ。並木はその一枚を破り捨て、コーヒーを淹れに向かう。
一月ほど前、停電の時に原稿用紙を持ち出して書くと調子良く筆が進むことを発見して、それ以来、下書きを原稿用紙でするようにしていた。
百物語の企画も残すところあと二十話を切り、この調子で書き抜けたいと考えていたが、ここにきて突然のスランプに陥っていた。
『また煙草?』
目を落とした原稿用紙には、再び文字が書かれていた。
「うるさい」
そう言って一枚を千切り、足元のゴミ箱に投げる。
最近よくこうやって原稿用紙が語りかけてくるようになった。小さい頃には時々見られた現象だが、やはりこの百物語の企画に携わってから不思議なことが起こっているのだ。
並木は灰皿に煙草を置くと、鉛筆を手にして原稿に向かう。残りの掌編たちは全て、これまでの登場人物にある一つの決着を付ける為の物語だ。その意気込みで箇条書きにしたプロットにああでもない、こうでもないとメモを継ぎ足す。
その原稿の余白に『その結末はちょっと可哀想じゃない?』という書き込みが生まれた。自分で書いたものじゃない。原稿が勝手に書いたのだ。
「可哀想かどうかは読者が決める。大事なのはそれぞれの人物に作者が納得のいく結末を用意できるかどうかだ」
原稿が意思を持ち、話しかけてくるようになって、最初こそ驚いたものだったが、最近は寧ろ一つの人格としてちゃんと相手をしてやろうという気持ちが生まれて、つい話しかけてしまう。
『そんなこと言うけど、私にだって見たい夢がある。あなたが原稿に書くことは私の夢でもあるんだから』
そう太字で書かれると、突風が吹いたかのように一枚が捲れ上がり、次の原稿用紙から彼、あるいは彼女の夢が一気に書かれ始めた。
原稿が語ったのは物語、ではなかった。野球選手、ケーキ屋、パン屋に花屋に公務員、デパートの地下街の販売員にホテルマン。他にも医者に学者に哲学者。社長になって世界一高い自社ビルを建てたり、国のエージェントとして潜入捜査を行ったり、捕まって拷問を受けながらも自爆して秘密を保持したり。
それは夢だった。
それも、小さい日に並木少年が思い描いた夢の数々だった。
「どこからそんなもん引っ張り出してきたんだよ」
けれど原稿は沈黙する。
ここから先は今のあなたの夢を書くのだと、言わんばかりに。




