生きること
「先生気をつけて下さいね」
と声を掛けた仲邑絵美に力なく手を挙げて応え、並木は喫茶店を出た。徹夜明けの視界に午後の日差しは眩し過ぎる。
並木が通りに出たところで対面の歩道を、裸足の女が駆けていた。被っていたナースキャップが突風で並木の足元まで飛んでくる。それを取ろうと手を伸ばし、並木は道路へと躍り出る。
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西園寺は議会を抜け出し病院へとタクシーで向かっていた。妻の容態が悪くなったと連絡が入ったのだ。娘の夕美にメッセージを送ろうとスマートフォンを手にしたところで、急激な圧力に自身の体が吹き飛ばされるのが分かった。
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景山は後輩刑事と共に事件現場に向かっていた。信号が黄色に変わり、アクセルを踏み込む。後輩は一瞬眉を顰めたが構わない。速度を上げて抜けようとした時、大きな音が響いた。
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ランドセルを背負った蒔島少年は、大きな音に視線を向けた。向こう側でタクシーが電柱に衝突している。近くにいた子連れの女性が倒れている人物に声を掛けていた。
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シンジはビルの屋上の縁に立ち、パトカーと救急車のサイレンが鳴り響く街を見下ろす。再出発と思って始めた荷物の配送の仕事で、かつて刑務所で同じ飯を食った男と再会したのだ。翌日には抜けたはずの組からのメッセージが携帯に残っていた。
結局どこまでも過去が自分を追いかけてきて、首を締める。
足元に置いた遺書の名前を確認すると、シンジは思い切り右足に力を入れた。
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「お兄ちゃん!」
レイコは今にも飛び降りそうになっているジーンズ姿の男性目掛けて、叫びながら走っていた。驚いた男性の足元にすがりつくようにして腕を伸ばすと、勢いのまま倒れ込む。
「レイコ、お前どうして」
「ケンジさんから聞いて。死ぬつもりなんでしょ?」
「一度でも泥水をすすったらもう真人間には戻れない。這いつくばって怯えながら生きていけっていうのか?」
「色々あったけど、今はデリヘルやってるけど、それでも生きてるよ。ちゃんと、生きてる」
「俺はお前とは違う」
「違わない! 同じ血が流れてて、今だってこんなに、熱い」
レイコが抱き締めると、シンジは諦めたように座り込み、笑い声を上げた。
「小さい頃から変わんねえなあ……ったく」
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並木は救急隊員に呼ばれる声で目を開ける。どうやらタクシーに轢かれたらしい。全身に痛みはあったが、五メートルほど離れた場所で自分を見ていた小学生がナースキャップを拾い上げたのを見て、何故か不思議と安堵した。




