腫瘍
クリニックの玄関先を箒で掃いていると「レイちゃーん」と元気な声がして。男の子が走ってきて思い切り彼女に抱きついた。
「あら雄太君、また来たの?」
「どうも、いつもすみません」
続いて現れたのは出勤前のスーツ姿の彼の父親だ。宮野正行という名前と二児の親、それに家電メーカーの営業をしているということだけは知っていた。
「またお風邪ですか?」
「うん。かぜー」
そう言いながらも頬をすりつける雄太は元気そうだ。
「少し熱があるだけなんですが、妻が行ってこいというもので」
「そうですか。じゃあ、中に入って診察券を持ってお待ち下さい」
彼の口から出た「妻」という言葉が、少しだけ胸を痛くする。
レイコはこの澤井小児科クリニックで働き始めてまだ三ヶ月の新人だったが、雄太はその頃から何かとレイコに懐いていて、月に一度、多い時には二度三度と来院しては彼女にべったりとくっついて離れようとしなかった。まだ五歳の彼は臆面もなくレイコのことを「好きだ」と言い、将来結婚すると言ってきかない。そんな姿を微笑ましく見守りつつも、父親の宮野が「すみません」と照れたように謝るのが定形になっていた。
仕事を終え、スーパーに寄って買い物を済ませ、帰宅する。ワンルームのマンションには誰も待っている人間などおらず、レイコはベッドの上に服を脱ぎ散らかし、そのままシャワーを浴びに向かう。
右の胸の上に触れると、そこが少し硬くなっていた。
いつのことだったろう。その存在に気づいたのは。
触れても特に痛みはない。けれどそれが疼く瞬間があることを、レイコは知っていた。
――宮野さん。
今朝雄太と一緒に来院した彼の困り顔を思い出すだけで、そこがどうしようもなく疼いてしまう。酷いとそれは痛みに変わり、レイコは我慢しきれずに呻きを漏らす。
大丈夫。
呼吸を整えて落ち着きを取り戻すと、それはすっかり消えてしまう。
いつだって、何かを誤魔化しながら生きている。そんな自分が嫌いだった。
レイコが自分の気持を自覚するようになってから、一月ほど経った。
胸の上のしこりは拳大にまで成長し、それが薄っすらと人の顔のように見えてくる。
一度診てもらったが原因不明だが特に悪性のものではないらしく、酷くなれば切除するということでその時は落ち着いた。
けれど原因は分かり切っていた。
――宮野さん。
レイコは買ってきたナイフを、そこに当てる。少し力を入れると彼の顔によく似た腫瘍は赤い涙を流し始めた。




