影のない男
「影のない男の話、知ってる?」
四人部屋の病室の一番窓際のベッドで、皆戸梨衣はそう言って夕美に笑いかけた。
「またいつもの?」
高校二年生になって同じクラスになり何かと気が合って話すようになった梨衣は、空想好きの少女だった。
「作り話じゃないよ。ほんとの話。影がない男の人を見たら、その人の影まで消えちゃうんだって。それで影が完全に消えるとその人自身がこの世界から消えちゃう」
「消えちゃったら、誰がその話を教えてくれたの?」
「あ……」
冷静に欠陥を指摘すると梨衣は口を押さえた。互いに目を合わせてから声を殺して笑い合う。
「次はいつ学校に来られそう?」
「あー、私がいないと夕美、喋る友だちいないから」
「そんなことないけど」
「いいってことよ。でもね、昨日の検査結果次第では入院長引くかもって先生言ってた」
三十分ほどおしゃべりをしてから、学校のプリントと先生からの手紙を渡し、病院を後にする。
廊下では見舞いに来ている人や看護師、医師といった病院のスタッフとすれ違う。彼らの何人かは夕美のことをちらちらと見てきた。それは彼女の目の色が黄金色をしているからだ。
と、上から下まで黒一色の男性だった。ロングコートで更に黒の皮手袋までしている。ただ顔面は人形のように白い。それは闇に浮かぶピエロを思わせたが、男は何も言わないまま、夕美から遠ざかっていってしまう。
その男性の足元だった。
影がない。
夕美は次の週末も同じように見舞いに訪れた。
彼女は元気そうな素振りを見せたが、やや顔色は悪く、話している途中で疲れたからとベッドに横になった。
その帰り道、夕美はまたあの黒服の男と遭遇した。男は夕美のことをじっと見て、何も言わずにすれ違っていった。そしてやはりその男には影がなかった。
その後も梨衣の退院は延期され、幾度となく病院に見舞いに行くことになった。
夕美は「そのうち退院できるよ」と口にはしていたけれど、梨衣の影が徐々に薄くなっていることに気づいていた。
それから三ヶ月ほどで彼女は面会謝絶になり、ひっそりと息を引き取った。
夕美は火葬場で彼女だったものが焼かれるのを待ちながら影のない男のことを考えていた。
あれは彼女の作り話ではなく、本当に体験した話を法螺話にしたものだったんじゃないだろうか。夕美は自分の影を見て、薄くなっていないことを確認する。
じっと足元の影を見ていると、その影がふっと笑った気がした。影は梨衣だったのだろうか。




