別れた日の午後
マンションの玄関にある三段だけの階段を登る時に右のヒールが引っかかってしまい、思い切り膝を擦り剥いた。それが彼と別れた日の午後に起こった最初の不幸だった。
痛い右足を引きずって自宅に戻ると、レイコは秋物のチョコレート色したコートを脱いで床に投げ置き、そのままベッドに倒れ込む。
約一年間の付き合いを振り返ってみてもそれほど後悔する部分はない。それでも別れるだろうという予感は当初からあった。具体的に何がとは言えない些細なすれ違いの積み重ねなのだろうけれど、その予感は現実となり、今日会う約束をして、そこでお互いに別れるという合意が得られた。
大きな傷もなく別れられたことは双方にとって良かったのだろうが、もう少し自分に執着してくれるかと期待した分の残念さは時間を経るほどにレイコの体に疲労となって伸し掛かっていた。
空腹を自覚して、一旦体を起こす。キッチンに何か買い置きがないかと探した。冷蔵庫はやけ酒でもする用に日本酒のボトルが冷やしてあった以外は朝食べ残したトーストの残りと、ベーコンエッグがひと切れ、オレンジジュースはペットボトルの下の方に僅かに残っているだけだ。炊飯ジャーは空っぽで、戸棚には塩味の煎餅が二袋ある以外にお菓子は見つけられない。
思えば彼は準備を怠らない人だった。デートはスケジュールを前もって決め、レイコが急患で仕事の時間が伸びた時にも対応できるようにプランBやCまで用意してあった。
ただその完璧さが時に居心地悪かったことも事実だった。レイコに強要こそしないものの、明らかに抜けていることで苛立ちが見て取れたし、レイコの仕事の休みが不安定なことも彼にとってはいくらかのストレスになっていたそうだ。
「あっ……」
それは彼が家に来た時に持ってきた、インスタントのコーンポタージュだった。箱の中にはちょうど一人分だけ残っていて、どうしようか一瞬だけ迷ったが、構わないと判断してそれを取り出す。
結局お揃いのマグカップとかは購入しないままだったと、自分のお気に入りを手にして、そこに袋の中身を開けた。
ポットの下に持っていき、ロックを解除してボタンを押したがお湯どころか水すら出てこない。蓋を開けてみると中身はやはり空だった。
水道の蛇口を思い切り捻ってポットに水を満たすと、それが湧くのを待ちながら、カーテンを開けて窓の外を見つめる。
まだ日は高く、どうして別れるのを夕方にしなかったのかと後悔をした。




