満ちない月
日陰レイコが転校してきた初日の朝、一番に目にしたのは中学の教室の黒板にでかでかと白チョークで描かれた満月だった。それはどうやら自分を歓迎したものではなく、同じクラスにいた満嶋月という女子生徒に対するイジメの一環だと、後日知った。
彼女は日の当たらない場所にいつの間にか生えている菌類を思わせるような、じめっとした印象の女子生徒で、梅雨の時期でもないのに腰まである長い黒髪は癖がついて蔦のように絡まり合っている。貞子というあだ名もあったがそれよりも「満月」と、みんなは呼んだ。
彼女は机の上にゴミを置かれていようが、教科書や鞄を隠されていようが、体育から戻ってきたら制服がずぶ濡れだったりしていても、へらへらとしているだけだった。声を荒げることもなく、悲しんで泣き出すこともない。ただその状況を月のように黙って見つめているだけだった。
十月になって班替えがあった。
彼女は話してみると意外とお喋りで、声は小さく何を言っているか分からないこともあったが、それでも彼女の周囲とは異なる考えや態度をレイコは気に入った。
「ねえ、どうしていじめられていることを先生たちに言わないの?」
「まだ、満ちないから」
その返答は相変わらずで、レイコにはよく理解できなかったが、満嶋月は自分だけ楽しげに笑っていた。
それは月が綺麗に円を描いていた夜の、翌日のことだった。
放課後の教室に忘れ物を取りに戻ってくるとそこで満嶋月が一人、ノートを片手に黒板に何かを書いていた。彼女の几帳面な文字は一目でそれと分かるが、箇条書きにされていたのは生徒一人一人の名前と、その罪状だった。
田中が自分を見て笑った回数千二十四回。
太田が背中や肩を叩いた回数五百六十六回。
原島が靴の裏を踏んだ回数八十一回。
ほぼ全ての生徒の名前があった。
「ああ、心配しないで。あなたは地球の住人じゃなかったから。月は見えない」
彼女はそういって今までで一番の笑顔になると、足元に置いていたペンキの入った缶を教室にぶちまけた。笑いながら次々と赤、青、緑、黄色と、ペンキの帯が宙を舞い、それぞれの机や椅子を汚していく。
レイコはそれを見ながらただ綺麗だ、と思った。彼女の本当の姿、本当の気持ちが、そこでは輝いていたからだ。
翌日から彼女は自主休校をした。
転校したことを聞いたのはそれから更に一月後だった。
レイコはぽっかり空いた席を見ながら、彼女は次の学校でも満ちるのだろうか、と思った。




