37話 精霊の抜け道
―???-
日本人にとって大切なものとはなにか。
米、風呂、醤油、エトセトラ、エトセトラ……。まあ色々あるだろう。
だが俺は断言する。
それは、おこただ。
感じろ、この温もりを。刺さるような冷たさの中でこの布団の中だけは天国のようだ。花は1輪の時にこそその魅力を一番に引き出す。極寒の中でこそ炬燵は輝くのだ。
だが花束というのも乙なものである。相乗効果というやつだな。
その意味でおこたの上に置かれたミカンとぐつぐつ煮える水炊きは最高の脇役である。単独で完成しているはずのおこたをより魅力的な空間にしてくれるものだ。
俺は体を起こして水炊きから豆腐を皿によそった。皿にはポン酢が入っており、箸で豆腐を小さく割ると、ポン酢が豆腐にしみていくのが分かった。
口の中に入れる。
「はっ、はっ」
舌が焼けるように熱い、思わず口を開いて熱を逃がす。
だがそのあとに感じるのは昆布だしの上品な旨味とポン酢の爽やかな風味。そして何より食道を通るこの温かさ。
『ケント』
つかさず水菜も食う。出汁を含んだ水菜はシャキシャキと触感がよく、うまい。豆腐に水菜を巻いて食べればそれはもう最高だった。
鶏肉はほろほろになっているが、決してジューシーさが失われたわけではなく、噛むほどに滋味豊かな肉汁が舌上に広がる。
『ケント』
ああ、最高だ。なんでここにいるのかは忘れたが、別にいいや。
『ケント』
さっきから神様の声が聞こえる。俺はきっと天国にいるのだ。日ごろの行いが評価されたのだろう。
思えば、この異世界に来てからひどいことばかりだった。ゴミみたいなチートを押し付けられて、無機物の奴隷になって、冤罪で捕まって、牢獄の中でまた逮捕された。
しかも地味にハードモードでもないんだよな。生死を分けるラストバトルには興味ないが、ピンチが問答無用すぎて成長して解決とかができんし。
いやでも俺は信じてる。いつか絶体絶命のときにあり得ない成長する展開とかが俺に待っているのだと。
『ケント』
ずいぶんと神様は俺のことが好きみたいだな。性懲り無く呼んでやがる。でも、ごめんな。おこたが俺を放してくれないんだ。
『ケント!』
ん? ていうかこの声、どっかで聞き覚えがあるな。誰だっけ、確か……。
「ケント!!」
「はっ!」
気が付くと俺は氷が浮かぶ水たまりに全裸で浸かっていた。
―カンダラ市営鉱山 冬氷の間 精霊の抜け道―
どうやら俺は何かしらの精神攻撃を受けていたみたいだ。おそらくケム爺が言ってたことはこういうことだろう。石と凍えしかない。つまりどんな快楽があってもそれはまやかしだということだ。
「この洞窟ではその人が今いちばん望む物が見えるみたいだね。おそらく迷宮自体の仕掛けではなく、結界型の魔術だと思う」
「なななななるほどな、あああ危ないところだったぜ。あああありがとな、アアアアンドレー」
俺は毛布にくるまりながら礼を言った。体が芯から凍えている。ヤバイ死ぬかもしれない。
「ちちちなみにお前はなんか見たのか?」
アンドレー君はぶんぶんと頭を振った。
「もしかしたら人間にしか効かないのかも」
なるほどな。というか思ったんだが、松明様に支援魔術撃ってもらえればすぐ解決する気がするんだけど。俺は松明様にそれっぽい視線を送ってみるか。
……ぷい。
おっとそっぽを向かれてしまったな。いやまあ目がないのでどっちを向いているのかはわからんが。それでもちょっとショックである。
まあ松明様の言いたいことは分かる。自業自得と言いたいらしい。
「そういやアンドレー。ケム爺はどこだ?」
「ああ、それが僕もわからないんだ。ケントが回復したら探しに行こうと思ってて」
「了解だ」
そういうと松明様が火球(熱いだけの奴)を撃ってくれた。こういう時に話が分かるお方なのだ。
毛布を片付けて焚き火を消すと俺達は洞窟内の探索に出発した。
ケム爺は意外と早く見つかった。
だが俺達は見つからない方が良かったのかもしれないと思った。
そこに居たのは先程までの大魔法使いでは無かった。
「ケリオンさん……」
アンドレー君の顔が翳る。俺もこれが現実なのかと疑いたくなった。
だが現実だ。俺たちはこの事実を受け止めて前に向かわなければならない。
事実とは小説より奇なり。
人とは常に矛盾したものを飼っている。お互いがお互いを殺し合い、人というのはなんとか理性的なフリができるのだ。
だが、その均衡を崩せば人は簡単に獣になれる。
「ああ、尊い。尊みが強すぎてヤバイ。死ぬときはりんりちゃんのマジカルパンチに撃たれて死にたい。死にたいいい。ひょほっ、蔑み視線キタコレ! これだよ、やっぱ、普段はキャルンキャルンしてるりんりちゃんにこういう顔させてるんだっていう背徳感? 敗北感? たまんねえな、これ」
俺たちは全裸で転がりまわるケリオン・ハーモニウム推定60代を呆然と眺めた。
アンドレーが俺の肩に手をかける。
「ケント、僕たちは何も見なかった。そうしないか?」
俺は頷いた。
「ああ、そうだな。俺たちは何も見てない」
一度できた亀裂は大きく、断絶は埋まらない。
人とはこうも小さいものだったのだと、俺は涙した。
「死にたい」
ケム爺が毛布に包まりながら、青い顔でそう言った。
いやまあ気持ちは分かる。俺だってこの極限状態じゃなきゃ推しについて無限に話していた可能性もあるし、そう考えるだけで身が震えるからな。
だが、事前に忠告っぽいことをしておいて自分が引っかかり、しかも自分の趣味までバレたのだ。
人は3種類の趣味を持っている。履歴書に書く趣味と人に言える趣味と誰かに言えば社会から追放されかねない趣味だ。今回の場合、ケム爺はそのほとんどをぶちまけたと言える。
正直ドン引きである。
だが先ほど鋼の約束をした俺らはケム爺を無視して話を進めた。
「ケム爺、この洞窟はどういうものなんだ? アンドレー曰く迷宮の仕組みでこういう幻覚が見えるわけじゃないらしいが」
ケム爺はゆっくり言った。
「ここは、精霊の棲家じゃ。この結界も精霊たちのものじゃよ。外敵除けに今の術式を行使している。この抜け道は精霊たちが迷宮を自由に移動するために掘ったものじゃな」
なるほど、抜け道というわけだ。だが少し引っかかるものがある。
「だが、掲示板にはそんな情報は一つもなかったぞ。幻覚に騙されて凍死とか結構ありそうなのに」
「他の探索者はこんなところには行かん。危険すぎるからな。精霊の魔術を破るのは中々に難しい。どんなに優れた魔術師でも抜け出すのは不可能じゃ」
「じゃあ、なんで爺さんは俺たちをここに連れて来たんだ?」
爺さんは白髪を掻いた。
「わしは例外でな。精霊に知り合いがいる。だからいつもは結界に引っかからないようにしてもらえるのじゃが、どうやら今回は無理だった。おそらくいたずらじゃろ。奴らはそういうことをする。……まあ、いたずらにしては失ったものが大きかったがのう」
ケム爺は遠い目をして放心状態になった。
さて、精霊とな。この世界に来てから異種族に出会ったことはあるが精霊という種族に会ったことは無い。俺の知識だと精霊は純粋無垢な清い存在なのだが、この世界だとどちらかというと、妖精に近いのか? 妖精と言えば交渉内容によっては死もありうる存在だ。なるほど関わり合いたくないものだ。
俺はせっせとキャンプの準備をした。今日はこれ以上進めないだろう。
ケム爺も回復して少しは動けるようになったみたいだ。俺がオタクであることが良かったらしい。
夕飯は缶詰を適当に煮込んだシチュー。まずくもないしうまくもないといったところである。正直、体が疲れて何かを作ろうという気力になれなかったのだ。
そんなこんなでもう寝ようという時間になった。
「見張りは僕がやるよ。僕に睡眠はあまり必要じゃないからね」
そういってアンドレー君が手を挙げた。まあ、槍に眠りは要らないだろう。なので俺はそれに賛成しようとしたのだが。
「いや、夜中まではわしがやる。お前は若いんじゃから休んどけ」
とケム爺がいい、そういうことになった。ケム爺はアンドレー君を人間だと思っている。別にアンドレー君が槍だとバラしてもいいのだが、俺が上で犯罪を犯しているとバラすわけにもいかない。
というわけでそれを頼むことにした。
ちなみに松明様は先の様子を少し見てくるとおっしゃって一人で出て行かれた。というかアイシャを助けるためだけだったら松明様を先行させれば良くね? という画期的な案を思いついたのだが、どうやら松明様には考えがあるようで、断られた。
ちなみにケム爺は俺に向かって「お前は起きていろ」と告げたので、俺は強制的に起きることになった。眠いのに。
アンドレー君が寝付いたころ(一応眠ることはできるらしい)、ケム爺と俺は焚火を囲んで向かい合う。眠いのに。
「それで、爺さん。俺になんか用か? 眠いんだが」
「お前さん、異世界から来たんじゃってな。ということはこの世界についてほとんど知らんじゃろ?」
それはそうだが、なぜ今なのだろうか。眠い。
「いや気になることはあるが、眠いから明日でいいか?」
「いや、最低限のことを知ってもらわなければ困る。なにせ、これからわしの事情について話すからの」
いや、ほんとに何で今なんだよ。こっちは眠いって言ってるんだよ。朝から歩きっぱなしで疲れ切ってるんだよ。
まあそんな願いは届かずに、ケム爺は質問してくれとばかりにこちらを見る。
正直言えば、ケム爺が言いたいことも分からなくもない。これから俺たちはこの都市の中枢とドンパチやるつもりなのだ。この世界の情勢が分からなければ、正しい判断ができるわけもない。
だが、今じゃなくても良くないか。昨日とか話す時間がもっとあったと思う。それこそ松明様がいるときにやればもっと詳しいことを……あ。
そういうことか。つまり、ケム爺は松明様がいなくなるのを待っていた。
俺のそばには常に松明様がいた。買い物の時もそうだ。
この時点で話しかけてきたことから、ケム爺が松明様に話したくないことがあるのは確実。別に敵対する意思は無いのだろうが、この世界を詳しく知る者に知られたくない情報を話す気なのかもしれない。
だが、それには俺の持っていた松明が偉大なる大魔法使いであると気づく必要がある。巧妙に隠していたはずだが、さすが特別迷宮の指折りである。
「おい、もしかして気づいていたのか?」
俺はケム爺に問いかけた。一見意味不明だが、彼ならば意味が分かるはずだ。
ケム爺はふむと頷いてから言った。
「え?」
俺も返す。
「え?」
ん、どういうことかな。もしかしてこれ、伝わってない?
格好つけるだけ格好つけて相手に伝わらないとか……。
いや、いやいや。そんなわけがない。だって、ねえ。まさか。
松明様とか関係なく、なにも考えず、普通に話したいから、こんな状況で話を振ったなんて、そんなこと、あり得るのか?
いやいや仮にもケム爺は大魔術師だぞ。たとえ限界オタクであったとしても、そんなことあり得ないだろ。
だが、あり得たらしく俺はケム爺の自分語りを夜中まで聞かされた。驚くべきことにそのほとんどがマジカルりんりというイカれた魔法少女アニメについてであり、この世界について分かったことは、第3期が冬クールから放送開始であるということだけだった。
イタチ:マジカルりんりは連合国で人気のアニメです。毎週日曜の朝8時にやってます。
リアン:ああ、あれですか。偶に見ますけど、人気だったんですか。
イタチ:ちなみに少女向けとしていますが、主に大きいお友達の支えによって成り立っていますね。
リアン:それはなんか微妙ですね……。
イタチ:人気の理由は主人公のりんりが魔法少女の割には結構サイコパスなこととメインウェポンのアサルトライフルの時代考証がやけにきっちりしているところです。
リアン:それ、逆になんで日曜の朝8時にやってるんですか。




