第3話
あの未来を、アムネリスは鮮明に覚えている。
空は赤く焼けていた。
都市は崩れ、塔は折れ、
かつて人々が祈りを捧げた広場には、巨大な爪痕が刻まれていた。
ケルベロス。
三つの頭を持つ獣が吠えるたび、大地が震えた。
軍も。
王も。
誰にも、それを止めることはできなかった。
そして女王女神アムネリスは、
その獣の前ではなく――
四人のレジェンダリーの前に跪いていた。
「命令を」
自分の口から出たその言葉を、
彼女は今でも許せない。
女王女神。
世界を統べる者。
そう呼ばれながら、
許可なく城を出ることすらできなかった。
救う都市も。
見捨てる都市も。
戦う相手も。
すべてレジェンダリーが決めた。逆らえば、ケルベロスが動く。
一度だけ拒んだ。
その結果、自分以外のルミナイト族が消された。
そして――
最初からともに歩んできた相棒、『くず鉄』も消された。
それからアムネリスは逆らえなくなった。
生き残ったことが、何より惨めだった。
その夜。
アムネリスはクローゼットで首を吊った。
意識が途切れる、その寸前。
頭の中でノイズが鳴った。
鉛と鉄を擦り合わせたような、耳障りな音。
次に目を開いた時、
そこには何もなかった。
光も。
地面も。
空もない。
ただ暗闇の中に、一人の女が立っていた。
その輪郭は、アムネリスによく似ている。
だが、目だけが違った。
古く。
冷たく。
人間を見る目ではなかった。
「ようやく来なんしたか」
始祖女神。
アムネリスの女神としての力の源。
そして、
彼女が最も気に入らない存在。
始祖女神は薄く笑った。
「死なせるわけがありんせん」
「……死なせて」
「おや」
笑みが深くなる。
「ぬし、自分に絶望できる立場だと思いなんすかえ?」
アムネリスは剣を抜いた。
答える代わりに斬りかかる。
だが、刃は届かなかった。
手首を掴まれる。
次の瞬間、
身体が暗闇へ叩きつけられた。
息ができない。
指一本、動かせない。
精神の中でさえ、力の差は圧倒的だった。
「殺して」
始祖女神は愉快そうに見下ろした。
「阿呆」
そして、アムネリスの頬へ指を這わせる。
「ぬしの屈辱に歪む顔は、わっちには蜜の味でありんす」
「……最低」
「もっと見せておくんなんし」
アムネリスは睨み返した。
「だったら――」
息を整える。
「過去へ行かせて」
始祖女神の笑みが止まった。
そして、口元が歪む。
「代価次第でありんす」
始祖女神がアムネリスの顎を持ち上げた。
「その身体、わっちに寄越しなんし」
アムネリスの目が細くなる。
「断る」
「なら、話は終わりでありんす」
「他の条件を出しなさい」
「ありんせん」
沈黙。
七人の女神。
焼け落ちた都市。
レジェンダリーの前に跪く自分。
そして最後に――
『くず鉄』の顔が浮かんだ。
アムネリスは始祖女神を睨んだ。
「全部は渡さない」
始祖女神の表情が、初めて変わった。
「……ほう?」
「私が私である間は、私が決める」
「いずれ境など消えてしまいんす」
「その前に終わらせる」
「できなければ、どうしなんす?」
アムネリスは答えた。
「その時は、私の負けよ」
長い沈黙。
やがて始祖女神は笑った。
今までで一番、嬉しそうに。
「よろしゅうありんす」
その顔を、
アムネリスは心の底から嫌った。
「契約成立でありんす」
その瞬間。暗闇に一本の亀裂が走った。
光が差し込む。
世界が逆さまになる。
時間が巻き戻る。
崩れた都市も。
ケルベロスも。
レジェンダリーの前に跪いていた自分も。
すべてが光の向こうへ消えていく。
ただ最後まで、
始祖女神の声だけが残った。
「忘れなんすな、アムネリス」
「いずれ、ぬしとわっちの場所は――入れ替わりんす」
その声だけが、
今も耳の奥に残っている。




