11話 デイビッド・サイファー
パタン。
いつもの簡素な部屋に戻った神官は……服を着替えてベッドに座り込んだ。
「……すまない。……テレサ」
たった一人で
ここにはいないテレサへと懺悔するように呟いた。
――15年前。
デイビッド・サイファーという名の彼は、近衛一等騎士団の団長を務める凄腕の剣士だった。
誰もが認める素晴らしい人格者と評判で、皆が彼を慕っていた。
私生活も順風満帆で、エリザベスという名の婚約者がいた。
35歳で婚約者を持つというのは、この国ではかなり遅咲きの方ではあったが皆が彼を祝福していたという。
しかも……彼女の腹の中には子供が。
出産予定は年末だと助産医から聞かされていた。
毎日のように二人で名前を考えて、エリザベスの作る小さなレースの靴下を見ては頬を緩ませた。
「……動いた! ……ああ。待ち遠しいよ、君に早く会いたい。成人したら共に酒を飲み交わそう」
「……まぁ。デイビッドったら、気が早すぎるわ」
「性別はどっちかな?……どちらにしろ君に似たら美形になるだろう。コバルトブルーの吸い込まれそうな瞳だろうね」
「私はデイビッドに似た優しいグレーの瞳がいいわ」
エリザベスのお腹に優しくキスを落として彼は幸せそうに微笑んだ。
エリザベスが好きで植えた楓の葉が、夕焼け色にゆっくりと染まりゆき、サラサラと揺れて。
地平線に沈みゆく柔らかな陽の光を浴びる、エリザベスの瞳が宝石のように綺麗で。
デイビッドはこんなに幸せでいいのかと毎日不安に駆られるほどに。
3ヶ月後
突然悲劇は起きた。
通報を聞きつけ、現場に駆けつけた時にはもう……手遅れだった。
牡丹雪の降る中で、見慣れた彼女が眠るように横たわっていた。
かじかむ手を彼女へと当てる。
まだ……微かに温もりが残る柔らかな頬。
まだ、温もりはあるのに。
もうこの世のどこにも彼女はいない。
「……昨日、団長が夜勤の間に洗礼に向かったらしく。……結果その子は……聖女だったそうです」
「洗礼……どうして。明日行くって約束したじゃないか……しかも聖女だっただなんて……そんな……」
「……雪の降る中、ずっと立ち尽くしたままだったそうで……。その様子を不安に思った神父が、川の方に向かった時にはもう。身投げした後だったそうで……」
「この寒さで……ひとたまりも無かったと思います」
言いにくそうにデイビッドへと、状況を説明する部下たち。
濡れた栗色の髪を優しく避け、唇を噛む。
産後の肥立ちが悪く、大量出血が止まらなかったエリザベス。
何度か治癒の聖女に診てもらいはしたが、俺の金では大地までしか頼めず、応急処置止まり。
……再発を繰り返した彼女の命を心配した医師が下したのは……子宮全摘だった。
だからもう……二人の間には子供は生まれない、それなのに。
神はデイビッドから残酷にも最愛の二人を奪った。
現実を受け止められなくて。
またあの優しい声で名前を呼んで微笑んでくれそうな、ただ眠ってるだけにしか見えないエリザベス。
「こんな急に……君が星になってしまうなんて」
頬を伝う雫に、牡丹雪がフワリと溶けた。
この国を、最愛の人を守るために振るってきた剣。
それが正しいと信じて生きてきたのに。
何も分からなくなったデイビッドは降りしきる真っ白な雪の中。
冷たくなっていく彼女を抱きしめて、大声を上げ泣いた。
エリザベスが亡くなってから、1週間が経ったある日。
喪から明けたデイビッドは、辞表を受理してもらう為に国王の所へ向かう。
皆に引き止められたがもう、未練は無い。
失ったものは大きく……得たものは何も無かったからだ。
聖女。
国が掲げたその称号に未来の妻が殺された。
だからこそ。
デイビッドは神官になる事を決めた。
もしかしたら……我が子に一目会えるかもしれない唯一の職種だからだ。
唯一、我が子には特徴がある。直ぐに会えなくても続けていればいずれ一目見ることくらいは叶うはずだと。
その本心を隠したまま、国王に事情を説明し、辞表を出そうとすると、受理する代わりにとある大聖堂を任せたいと依頼された。
その大聖堂に移送される聖女の一人が特殊な名前持ちだと。
誘拐などから守れる体術に覚えのある者を探していたと。
その赤子は、歴史上最高位の名を持つ豊穣の聖女。
アステレサ・セレスティア。
「過去、星名が生まれる度に、国々は大きく荒れ、大戦が起きた。いいか、サイファー。アステレサはテレサと名を隠蔽せよ。我が国の軍事力はさほど高くはない。これが最善だと心得よ。星名に関する全てを国家機密とする」
「ですが……テレサだと、系譜なしとなってしまい、それはそれで前代未聞では……」
「かまわん。かの伝説、アステニア・タバサもファミリーネームはガゼルという生き物の意味だ。譜なしの噂が流れる方が良いだろう……得体のしれぬものは触れぬが一番だ」
「ですが……分かりました。漏洩しないよう徹底致します」
「くれぐれも特別視せぬよう、ほかの聖女と平等に見守れ……今のお前には辛いと思うが……お前にしか頼めぬ、任せたぞ、サイファー」
「……御意」
エリザベスの似せ絵の入ったペンダントを眺め……ベッドに沈んだ。
あれから15年。
聖女達の父親として、頑張ってきた。
ただ
アステレサの初めての任務には……正直、鳥肌が立った。
鼓膜が破れそうな程の怒号、狂気、戦乱を一瞬で平和な実りある土地に変える程の圧倒的な力。
何もなかったかのように。
亡者と化した兵士たちを極楽浄土へと導くように。
彼女はただ静かに微笑んでいた。
人とは思えないほど穏やかで
まるで目の前に豊穣の女神が降臨したのかと錯覚するほどに。
気付けば感動と、謝辞を跪いて述べていた。
彼女の凄さを、彼女自身に自覚して欲しかったのかもしれない。
髪色で忌み嫌われ、生まれてからずっと譜なしだと蔑まれることしか知らなかったテレサだからこそ。
本人は草が勝手に生えてくるから堪らんと嘆いていたが……今でも思い出して身震いが止まらない。
それなのに――
「結局……守ってやれなかった」
パチンとペンダントを閉じて、シャツの中に入れる。
勅使が報告した直後、テレサの身の振り方が決まってしまった。
デイビッドはため息をついて、少し煤けた天井に目を向け、思考する。
王国は以前より強固に彼女を囲いたくなったようだ。
鳥籠から一生出さない気だろう。
この国の生物兵器として。
戦争の抑止力として。
まだ幼い……15歳の、
恋すらまだ知らぬ、幼き少女の未来を潰そうとする国に腹が立った。
本当は第3王子などにラブレターなど書かせたくない。
でも勅使に冷たく
『宰相様からの伝言です。このまま体裁を立てて頂けぬようであれば、三年後に執り行うはずの結婚式を前倒しさせて頂きます。のとの事ですので、聖女様にそう念頭に置いて頂くようお伝えください。これは王命です……意味はわかりますよね?』
と脅されて、仕方なく催促した。
あの子の意志など関係なく……強要してしまった。
たかが第3王子と言うだけで、会ったことも無い男に……なぜテレサから体裁を立ててやらねばならないのか。
こちらから頭を下げて婚約した訳でも何でもないのに。
でも俺はしがない神官だ……
国からの命には逆らえない。
現役時代ほどの権力もなければ金もない。
その申し訳なさからか……
先程、一瞬本音が出てしまいそうになった俺に
テレサはただ、微笑んでいた。
どこか達観しているような、諦めを滲ませて笑う姿が目に焼き付いて離れない。
静かに目を閉じて、まだ瞼に残る残像を映し出した。
この国には珍しい
濡鴉色の美しい髪。
宝石のように美しい瞳。
「エリザベス……君ならどうしてた……?」
ここにはいない最愛の彼女へと問いかけながら、そのまま夢の中へと落ちていった。




