第2話 命知らずのバカ
「んぁ……」
俺――早野 瑞紀は大きな欠伸を噛み殺しつつ、もぞもぞと布団の上で身体を捩らせる。
もはや必要など無いというのに、ダンジョン攻略の待ち合わせ時刻に調整して設定したアラームがこれでもかと鳴り響いた。
40年という長い月日のルーティンは、若返った身体でもどうやら劣ることはないようだ。
渋々俺は脚を大きく投げ出し、遠心力に身を任せてベッドから飛び降りた。
いつもより身軽になった身体は、驚くほどに自分の身体と馴染む。平時であれば消えることのない漫然とした全身痛が包み込んでいたというのに、今日はそれがない。
まるで踊りたくなるような気分の中、俺はそのままスマホのアラームをoffにした。
ベッドから降りれば、そこに広がるのは見慣れない部屋。
これまでの住まいを離れ、新たに借りたマンションの一室だった。
スマホをスリープモードにすれば、そこに映るのは無精ひげの伸びきったくたびれた中年男性ではない。
あどけなさの残る(……というよりは取り戻した、という表現が適切だろうか)若々しい顔付きの、中性的な雰囲気を醸し出した少年の姿だ。
「……おはよう、自分」
若返った自分自身の姿だというのに、どこか見慣れない他人を見ているような気分だ。
若者の間で流行ったVR機器の世界にでも入り込んだような気分だ。俺が顔を動かせば、スマホに反射した自分の顔も同様に顔を動かす。どうにも漫然とした違和感ばかりである。
改めて覚醒した俺は、未だ荷ほどきの終えていない段ボールの隙間を通り抜け、キッチンへと足を運んだ。
プラスチック製のコップを軽くすすぎ、雑に汲んだ水道水を煽る。
「んぐ……ふぅ」
生ぬるいカルキ抜きのされた水道水で喉を潤した後、俺は大気中に息を溶かした。
これから新たな生き方が始まるのだという実感が、イマイチ湧いてこない。
それもそのはず、実年齢にすれば56歳。環境の変化には随分と弱くなってしまった。
56年の人生を生きた上で、唐突に「今日からお前は違う生き方をしろ」と言われてもしっくり来ないというものだ。
挙げ句、S級冒険者特権で借りることが出来ていたアパートも、パーティから抜けると同時に追放されてしまった。
パーティとアパート、二重の意味で追放である。笑えはしないが、ちょっとだけ上手いことを言った気分だ。
S級冒険者という肩書きを奪われたのは、生活面においてもかなりの痛手というものである。
生活補助面という部分において、サポートの大部分を奪われた。
「……これから、どうするかな」
正直なところ、俺は冒険者という生き方以外を知らない。
S級冒険者というレッテルを奪われた以上、今の俺はフリー冒険者という肩書きのみだ。
”時間逆行”という最悪のデバフを喰らったことから、ステータスに関してはないも同然。ありとあらゆる環境が、俺にとって逆風となっている。
正直、元リーダーの遠瀬の力でも借りたいが……S級冒険者というのは多忙なものだ。
ただS級という格は名誉を与えるのみに留まらない。ギルド全体を鼓舞する役割を担っていたり、ダンジョンブレイクなどの大きなトラブルが生じた際には率先して前に出なければならない。
更にはあらゆる式典の際には、表だって演説するなど「それ冒険者の仕事ですか」と言いたくなるような仕事まで任される。
はっきり言って、プロパガンダの一種だ。S級冒険者という肩書きは、ただ憧れの的というだけで終わらないのが面倒なところである。
……ここで更に問題となるのは"俺も同様に元S級冒険者"ということである。
俺が若返ってステータスが壊滅的な状態となった、という真実を伝えることはギルドにとっても印象を悪くしかねない損害だ。
恐らく、ギルドの方針としては「S級冒険者、早野 瑞紀は名誉の戦死を遂げた」という形に持って行きたいだろう。アパートを追い出されたのも、恐らくその辺りの事情が絡んでいる。
裏事情を考えれば、カスという他ない。
正直複雑な胸中ではあるが……プラスに捉えれば「枷から解き放たれた」という状態でもある。
幸い、失業保険は出る上にS級冒険者時代に貰った給料だって、使わずに溜め込んでいる。というよりは使う機会が無かった、というのが正しいが。
「まあ、とりあえず……装備を揃え直さないとな」
俺は冒険者という生き方以外を知らない。
折角若返ったのに勿体ない気がするが、ツテを頼ることが出来ない以上は既存のやり方を倣うより他ないのだ。
これまで使っていた装備は、若返りと同時に使えなくなってしまった。
ステータス的な意味もそうだが、単純にサイズが合わない。
とりあえず引っ越し用段ボールの中からスナック菓子を見つけ出し、朝食代わりに雑に口に運ぶ。微かな塩っ気が舌を刺激した。
どこか心地よい味覚刺激を味わった後、もう一度水道水を煽る。
荷ほどきは……面倒だから、まだ良いか。
それから、雑に外出用のパーカーとズボンに着替えた。若返る前に買ったものだからか、やや腰回りがブカブカだった。こんな些細なことで、若返る前の生活のだらしなさを実感するとは思わなかったが。
「……行ってきます」
玄関に置かれたシューズボックスに配置した鍵をポケットに突っ込み、それからマンションを後にした。
ちなみに借りたマンションは、家賃5万程度の……まあ、一人暮らしするにしては「ちょっと贅沢かな」と思うレベルである。さすがに価値基準までは狂っていない……と信じたい。
荷ほどきはやる。
気が向いたら。
☆
冒険者という職業が世間一般的に広まるにつれて、ダンジョンビジネスが横行するようになった。
基本的には全国に展開する様々なギルドが主体となって市場を展開しているが、おこぼれに預かりたい一般企業も同様に冒険者向けの装備を展開していたりする。
俺が今回立ち寄ったのは、スポーツ用品店だ。
防御力という観点からすれば、確かに専門店には劣る。だが、機動性を最優先として考慮するならばやはりスポーツ用品店に軍配が上がる。餅は餅屋、というものか。
冒険者としてはほぼ0からのリスタート。
ならば、自分なりのベストを尽くしてこそだろう。
現時点でのアドバンテージと言えば、長年積み重ねてきた知識や経験のみだ。
まず俺は、ジャージを丁寧に並べ直している店員へと声を掛けることにした。
「……すみません」
「あっ、はい。どうなさいましたか」
「……冒険者用の装備を見たいので、ステータスを開かせて貰えませんか」
”冒険者”という単語を聞いた瞬間、店員の目元が微かに狭まった。
その微かに軽蔑が滲んだ視線の意味を確かめようと思ったが、ふと店内に設置された鏡から自身の姿を見た。
10代半ばという若返った姿を見て、俺は自分が客観的にどう見られているかを理解する。
(……ああ、俺って命知らずのバカに見えるのか)
なるほど、主観的視点と客観的視点の齟齬に関しては意識が抜け落ちていたようだ。
俺がどこか一人で納得している最中、店員はどこか呆れたように溜め息を零しながら姿勢を正した。
「……分かりました。ステータスの閲覧ですね、こちらにどうぞ」
「お願いします」
諦観の表情を浮かべる店員の後ろを付いていく。
冒険者として装備を揃える以上、まず確認するべきはステータスの傾向だ。
若返りという不測の事態を受けた以上、ステータスの傾向や伸びしろについて改めて確かめておく必要がある。
こうした冒険者専用装備を取り扱っている店舗では、必ずステータス閲覧装置が配置されているのが鉄則だ。
冒険者業に深く関心を持たない一般市民にとっても、ちょっとした娯楽として使えるという利点もある。集客に使えるのであれば、配置されるのは当然とも言えるだろう。
「……ど……の……」
店員に案内された先には、どうやら先約がいたようだ。
一人の少女が困ったような表情で、店員と言葉を交わしていた。




