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御曹司なのに不採用!? ~冷徹女社長と始めるゼロからの恋と成長録~  作者: 優里


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孤独な瞳








優里からのデレ発言以来、

蓮の優里への過保護モードは社内で大暴走を始めていた。


彼の溺愛はすでにコメディの領域に突入していた。

蓮の内心は最高潮にハイテンション。


(もしかしていまめっちゃいい流れなんじゃない!? 優里は俺の過保護を拒絶しない! これってつまり、俺の愛を受け入れているってことだろ!? そうだ、今がチャンスだ! 次のステップに進むんだ!)


蓮は優里が資料をチェックしている隙を見計らい、決意を固めた。


(ここだ! 静かなオフィス、二人だけの世界…… この熱い想いを伝えるには、キスしかない!)


蓮は周囲の視線など完全に無視し、

優里のデスクの前に立ち、少し前かがみになった。



彼の顔は優里の顔に吸い寄せられるように近づいていく。



優里の長いまつげ、わずかに開いた唇。


蓮の心臓は破裂寸前だった。


あと数センチで、愛と妄想が結実する


その時だった。


リーン、リーン、リーン!


優里のスマホが、鳴り響いた。



「あ、ごめん。 ちょっと失礼」


優里は何の動揺も見せず、

素早く顔を逸らし、スマホに手を伸ばした。


蓮は優里の動きを予測できていなかった。

そのまま慣性の法則に従い、頭を前方に突き出す形になる。



「あっ……」


優里の顔があった場所には何もなく、

蓮の勢いはそのまま、

背後にあったパーテーションの壁へと向かった。



……ゴツッ!!


鈍い音が、静まり返ったオフィスに響き渡った。


蓮は勢い余って壁に激突し、

額を抑えながら、その場にへたり込んだ。



優里はスマホで冷静に通話しながら、

チラリと蓮の様子をみて、少し口角をあげた。



(ぬわぁ~!!わざとだな!ぜったい、ぜーったいわざとだ!!)


おでこを押さえながら、ほほを膨らませている蓮。



「はい、……蓮くん? ああ、彼は今、壁と交信中ですので大丈夫です」


蓮のオフィスでのキス計画は、

壁ドン(物理)という最低最悪の形で失敗に終わったのだった。


蓮は壁に背を押し付けたまま、動けずに顔をしかめる。


(なんで俺…いっつもこうなるんだ…!)



鈍い音を立てて壁に激突し、

額を抑えてへたり込んでいる蓮を無視して、

優里は冷静に通話を終えた。



優里はスマホをデスクに置くと、

まだ痛みに顔を歪めている蓮に目を向けた。



「あんた、何してんの? パーテーション壊さないでよね」


「う、うるせぇ……! これは不可抗力だ! 優里の可愛さの慣性によって……」


優里はため息をつきながら、何でもないことのように告げた。


「今日、優也が台湾に帰るって」


「……えっ?」


(え…!?兄さん、帰っちゃうの!?たったの2週間しかいなかったんだ…!)


一瞬、蓮の妄想と痛みが吹き飛んだ。



優也

優里の兄にして、蓮の「愛の試練」の立会人、

そして「理想の義兄ランキング」で

蓮の脳内全国一位を獲得した男だ。



「海外事業部のエースだからね。一時帰国でたまに2週間だけ帰ってくるの。今日でその2週間が終わるんだって」


(兄妹揃ってエリートなんだな……。 優里は社長、兄はエース……。 俺はというと、壁に激突する御曹司……)


蓮の心中に新たな自嘲が生まれるが、

それ以上に強い焦燥感が湧き上がった。



優也は、優里の過去の傷を蓮に語り、

蓮の愛の覚悟を問うた人物だ。



あの時、蓮は優也に

「優里を受け止めきれない」と誤解されたまま、

中途半端な形で決着をつけてしまった。



このままでは、優也の台湾での評価が

「妹に近づく中途半端な男」になってしまう!


蓮はへたり込んでいた体を無理やり起こし、

優里に詰め寄った。



「お、お兄さんに帰国前に会えないかな? どうしても伝えたいことがあって」


蓮の目は真剣だった。


優里への愛の決意と、

優也への名誉挽回の決意が綯い交ぜになっていた。


優里は蓮の真剣な表情を見て、再び首をかしげた。



「え? なんで? この前ご飯食べたじゃん」



(俺、兄妹の時間に割り込むなんて最低だ…でも優里を守るんだ!いや、どうしよう、どうしよう!!)


優里の素っ気ない反応に、

蓮の心はまたしても折れかけたが、

彼は優也に伝えるべき「決意」のために、

優里の袖を掴んで必死に食い下がった。


結局、蓮の尋常ではない熱意に根負けした優里は、

渋々蓮を連れて空港へと向かうことになった。



空港の出発ロビーは、再会と別れのドラマが渦巻く場所だ。



その喧騒のなか、

蓮は、海外事業部のエースらしい、

颯爽としたスーツ姿の優也を見つけた。


「お、優里、来たか。」


「なんでこんなヤツまで連れてこなきゃいけないのよ」


優也は優里の隣に立つ蓮を見て、ニヤリと笑った。


優也は優里の肩を叩くと、優しげに微笑んだ。


「優里、お兄ちゃんはもうチェックインしなきゃいけないから。蓮さんと男同士の立ち話があるんだ。ちょっと待っててくれるか?」


優里は「はぁ?」と眉をひそめたが、

兄の真剣な目を見て、

「わかったよ」と不満そうにどこかに向かった。


二人が残される。


優也の表情から遊びの色は消えていた。

優里を想う兄の真剣な気迫が、蓮を射抜く。


「さて、本題に入ろうか、蓮さん」


蓮の心臓は警鐘を鳴らす。

これが愛の最終面接だ。


優里を悲劇から救う覚悟、

そして兄に誤解されたまま終わらないための最後の機会。


蓮は全身の力を込め、優也の目を見つめ返した。



「それで?話って?」


蓮は言葉を詰まらせ、深呼吸する。

胸のなかの感情が渦巻き、理性はどこかへ消え去った。


「俺、俺…」


その瞬間、口から出た言葉は完全に予期せぬ方向へ。


「俺と付き合ってください!」


(……違うぅぅ!! 緊張しすぎで優里の兄さんに告白するって、何やってるんだ俺!! バカか俺は!!)


優也は驚いた様子を一旦見せるが、

すぐに大笑いする。



「あっはは!面白いなぁ~、蓮さんは」


蓮は顔が真っ赤になり、頭を抱えたまま立ち尽くす。


(落ち着け、落ち着け…! 今、全力で誤解されてる! やばい!)



優也の笑い声が響くなか、

蓮は顔の熱を抑えられずにいた。


優也は笑いを収めると、真剣な瞳で蓮を見つめた。


「さて、本題に入ろうか、蓮さん。妹のことが好きだと。それはわかった。だが、君の今までの遊び半分の生活や、御曹司という立場を考えると、僕には信じきれない部分もあった」


蓮の心臓がざわつく。

優也の言葉は、蓮の最も痛いところを突いていた。


「違います! 最初は正直、ただの興味だったかもしれません!」


蓮は背筋を伸ばし、

空港の喧騒を遮断するかのように、声を張り上げた。


「でも、あの子と過ごすうちに、変わったんです! 優里は俺の知っているどの女性とも違った! 俺のふざけた妄想や行動を、いつもスパッと切り捨てる冷徹さと、その裏にある真面目さ。他人のために深夜まで資料を作る優しさ。俺を御曹司とも、財布とも見てないあの冷めた目。全てが、俺の人生の何もかもをひっくり返したんです!」


蓮は熱に浮かされたように語り続ける。

優也の鋭い視線は、蓮の嘘を見抜こうとしている。


「俺は、優里がいないと本当にダメなんです! 仕事で成果を出しても、優里の笑顔がなきゃ意味がない! 優里に冷たい目で見られるだけで、生きている価値がないと思うくらいに! 俺のクソみたいな遊び人生を終わらせてくれたのは、優里なんです!」


蓮の言葉には、一切の飾り気がなかった。


御曹司のプライドも、理性も、すべてが剥がれ落ち、

優里への純粋で、

あまりにも重すぎる愛情だけが、むき出しになっていた。


蓮の胸の奥で、ぐっと抑え込んでいた想いが、

言葉となってあふれ出した。


「俺は…ただ好きなんです、優里のことが。本当に、心の底から、誰よりも…!」


優也は少し眉を上げ、真剣な目で蓮を見据える。

蓮は視線をそらさず、震える声で続けた。


「優里と一緒にいるだけで、俺は自分が変われるって思えたんです。あの子の笑顔を見るだけで、どんなくだらないことも頑張れる。俺の人生、あの子のためなら全部賭けられる」


空港の雑踏が遠のき、時間が止まったかのように感じられた。

蓮の瞳には、真剣さと焦燥、

そして守りたいという決意が滲んでいる。


「俺、元々は何も本気になれないダメなやつでした。女遊びも、仕事も、何もかも…ただの遊びだった。でも、あの子だけは…違う。優里だけは、俺を本気にさせてくれた。傷つけたくないんです。俺の気持ち全部、優里に注ぎたい…!」


優也は蓮の言葉に少し笑いながらも、静かに頷いた。


「なるほど…。」


その声には、軽さはない。


肩書や御曹司としての余裕を抜きにして、

純粋に蓮の覚悟を受け止める響きがあった。


「妹のことを、ここまで本気で思ってるんだな、蓮さん」

「……わかった。君がどれだけ本気か、よく伝わったよ、蓮さん。まさか、星野グループの御曹司が、ここまで一人の女性に溺れるとはね。その遊び人だった過去も、優里に会うための伏線だったのかもしれない」


優也は深く頷いた。

彼の目には、もはや疑いの色はなかった。


「妹を頼む。あの子は強いようで脆い。その馬鹿みたいな熱意と優しさで、優里を本当に幸せにしてやってくれ」


蓮の胸が熱くなる。

優也からの公認という名の「託された愛」。


蓮は優也に深く頭を下げた。



「ありがとうございます! 必ず、必ず優里を幸せにします!」


兄の理解を得た蓮の愛の炎は、さらに激しく燃え盛った。


優也に愛を認められ、

優里を託されたという使命感に燃える蓮。


その熱い決意が最高潮に達した瞬間、

優里がふと目の前に現れた。


「…どうしたの、真剣な顔して」



その声を聞いた瞬間、

蓮の心のなかで堰を切ったように感情があふれ出した。


優也に語った熱い決意は、

もはや制御不能な衝動となっていた。


「優里…絶対に誰にも渡さねぇ! 俺が守るんだ!」


突然の叫びに、

優里はポカンとした顔で立ち止まる。


「え…?なにそれ…」


蓮はそのまま駆け寄り、

優里の肩を掴んで、顔を近づける。


空港のざわめきも、優里の困惑も、

蓮の視界には入らない。


「守りたいんだ! 誰がなんと言おうと、絶対に守る!」


優里は少し引きながらも、冷静に言う。


「…やめてよ、周りに人いるんだから」


しかし、蓮の妄想と愛情が止まらない。


(ここで守らなきゃ…! このまま誰かに奪われるなんて…!)


「危ないとこ、俺が盾になる! そばから絶対に離れない!」


周囲の人々は怪訝そうな顔で二人を見ている。


空港の喧騒に混ざって、

蓮の熱血叫び声が響き渡った。



「は、はなしてよ! 重い! 本当に重い!」


優里は笑いと呆れが混じった声を出す。


「重い? そんなもん、俺の愛に比べれば軽いもんだ! この手で絶対守る!」


その言葉に、優里はため息をつきながらも笑顔を見せる。


「…ほんと、過保護なんだから」


蓮の顔は真剣そのもの。

周囲は白い目で二人を見つめるが、

蓮にはもう何も見えない。


優里の存在だけが、蓮の全世界を埋め尽くしていた。


「…もう、やめてってば!」


優里が叫ぶが、蓮はその言葉さえ愛おしそうに聞こえる。



こうして空港の一角で、

蓮の溺愛・過保護モードが炸裂。


周囲の白い目を完全無視し、

優里を守るための妄想と現実が入り混じる、

カオスなコメディが幕を開けたのだった。





「わかったから! もう十分! 離してってば!」


蓮は名残惜しそうに優里の肩から手を離したが、

顔はまだ赤いままだ。


その時、蓮の脳内でわずかに理性の回路が繋がった。



(いかん! 俺は今、優也さんから優里を託された男であり、御曹司としての教養も持っているはずだ! 兄妹が久しぶりに会っている時間を、俺の妄想と溺愛で阻害するなんて、常識的にありえない!)



蓮の底知れないバカさの裏には、

英才教育で叩き込まれた常識と教養が確かに存在していた。


「すまない、優里! 俺の愛が暴走した!」


「知ってるよ」


「いや、そうじゃない! 優也さんは今日帰国するんだろう? 兄妹水入らずの貴重な時間を、俺が邪魔しちゃいけない!」



蓮はスーツの埃を払い、

一瞬で御曹司としての冷静さを取り戻した。


彼の表情は真剣だった。


「俺は、優也さんに優里を託された男として、最低限の配慮をする。 男同士の話は終わった。 優里、優也さんと最後の挨拶をしてきなさい」


蓮は優里の背中を押し、

優也のいるチェックインカウンターの方を顎で示した。


優里は蓮の突然の常識的な態度に驚いた様子だったが、

すぐに表情を和ませた。



「……わかった。 ありがとう」


その素直な感謝の言葉に、

蓮の心臓はまたしてもバズーカ砲級の衝撃を受けたが、

今度は耐え抜いた。


「俺はあそこのカフェで待っている。 優也さんとの時間を大切にしろ」


蓮はそう告げると、優里に背を向け、

さっさとカフェへと向かった。


(これでいい! 兄妹の時間は神聖なものだ! 俺は愛の戦士として、ここで優雅にカフェオレでも飲みながら優里を待つ!)



空港のカフェで、蓮は窓の外の飛行機を見つめながら、

「優里の良き理解者」としての新たな自分に陶酔していた。




優也はカフェへと去っていく蓮の背中を見送った後、

優里に向き直った。


優里は未だに蓮の過剰な行動に呆れた表情をしていたが、

少しだけ頬が紅潮していた。



「やれやれ。うちの妹も財閥の御曹司に好かれて大変だな」


優也は苦笑いを浮かべた。


彼の目には、蓮のあまりに純粋で、

あまりに重すぎる愛情が、

確かなものとして映っていたからだ。


優里は肩をすくめた。


兄が蓮と二人きりで何を話していたのか、優里には知る由もない。


ただ、蓮の熱狂的な叫びが、

優里の心にわずかな波紋を広げていたのは事実だった。



「大変なのは私じゃない。あの人の妄想の相手をする私のストレスがどれほどのものか」


優里は自嘲気味に笑った。


しかし、その笑いの裏には、

長年積み重ねてきた冷めた諦めが横たわっていた。


「本当にそう思ってるのか? あの男、本気だぞ」


優里は兄の言葉に顔を伏せた。


彼女の心のなかには、深く、根強く刺さっている。

他人から向けられる嫉妬や悪意、

そして容姿や立場を利用しようとする男たちの視線。


それらが積み重なり、優里の心を固い殻で覆い尽くしていた。


「本気? そんなの一時的なものに決まってるでしょ」

「あの人だって一緒だよ。最初だけ情熱的で、周りに自慢できたら、そのうち飽きる。飽きたら、私を重荷に感じて、静かに離れていく」


優里の声には、一切の感情がなかった。


まるで過去に何度も見てきた光景を淡々と語っているかのようだ。


「彼の愛なんて、そのうち冷める。 ただそれだけ」


優里の瞳は冷たく、透明で、

愛の終わりを最初から知っているかのようだった。


彼女にとって、蓮の激しい愛情は

「いつか冷める熱」でしかなかった。



誰にも心を許さず、自分から突き放される前に壁を作る。

それが、優里の長年の生存戦略だった。


優也は妹の痛ましいほどの諦めを感じ取り、

何も言い返せなかった。


ただ静かに、優里の肩を抱き寄せた。



優也がパスポートと荷物をカウンターに預ける間、

兄妹の間には静かな時間が流れた。


優里は無言だったが、

その視線は優也のスーツの袖口から離れなかった。



手続きが終わり、

セキュリティチェックへと向かう直前、

優也は優里に向き直った。



「さて、そろそろ行くぞ」


「……うん」


優也はいつものように笑った。


「蓮さんの件は任せろ。あんなに真っ直ぐな奴も珍しい。優里の冷たいガードをぶち破るには、あのくらいの馬鹿力が必要なのかもしれないな」


優里は微かに眉をひそめた。


「余計なことしないで」


「わかってるよ。でもな、もし何かあったら、迷わず連絡してこい」


優也の言葉には、

妹を気遣う兄の愛情が深く込められていた。



優里は冷たい鎧を一瞬で剥ぎ取った。


彼女の表情は、

オフィスや蓮の前で見せるものとはまるで違う、

柔らかく、幼いものに変わった。


「……なんかあったら連絡して、じゃないでしょ」


優里は優也の胸に、小さな拳を軽く当てる。


「ちゃんと、毎日連絡してよ。倒れたりしたら許さない。向こうの食事は合わないって言ってたんだから、ちゃんと無理しないで。体調悪くなったら、すぐ帰ってきて」


その口調は、まるで兄を心配する妹そのもの。


優也は優里の言葉に満面の笑みを浮かべ、

優里の頭を優しく撫でた。


「はいはい、わかってるよ、お嬢様。優里こそ、無理するな。自分のこと、ちゃんと大事にするんだぞ」


優里は優也の手を払い、

照れ隠しをするようにもう一度顔を伏せた。


「わかってる……早く行って。飛行機に乗り遅れる」


優也は名残惜しそうに優里から離れ、

セキュリティチェックへと颯爽と向かった。


その背中が見えなくなるまで、

優里はその場を離れなかった。





蓮は、空港のカフェで一人、冷めたコーヒーを飲んでいた。


先ほどの優里への爆発的な溺愛宣言とは打って変わり、

今は静かで深い孤独感に苛まれていた。


窓の外の飛行機の離陸音が、

優里との距離を象徴しているかのようだ。


(優里を守る。誰にも渡さない。そう決めた……優也さんも認めてくれた。それなのに、なんでこんなに心がざわつくんだ……)



過保護モードで感情を爆発させている間は幸福だった。


しかし、一人になった今、優里の存在の重さと、

過去の自分との決定的な矛盾が、蓮の胸を締め付ける。



蓮はグラス越しに、自分の顔を見た。

そこに映るのは、優里に出会う前の、虚ろな御曹司の顔だ。



彼は星野グループの跡取りという肩書きを笠に着て、

長い間、女遊びに明け暮れていた。



「欲しいものは手に入る」

それが彼の人生のルールだった。


高級車、ブランド時計、そして美しい女性。

すべてが一瞬の快楽と退屈しのぎのためだった。



夜な夜な、都心の会員制バーや華やかなパーティーに繰り出し、

蓮の周りには常に女性がいた。


彼女たちの熱い視線も、甘い言葉も、

御曹司の肩書きに向けられていることを、

蓮は冷めた目で見ていた。



金色のネオンとシャンパンタワーのきらめきに囲まれ、

隣にはいつも違う女が座っていた。


「レン様〜、次どこ行く?」

「おまえに任せるよ。どうせ俺の金目当てだろ?」


軽薄な笑みを浮かべながらも、心のどこかで冷めていた。

何ひとつ彼の心を満たさなかった。


女たちは「御曹司」としての彼を求め、

彼自身を見ようとしない。


「レン様と付き合ってるの」というステータスが欲しいだけ。


彼もまた、その期待に応えるかのように夜を使い潰し、

週が明ければまた別の女と同じ遊びを繰り返す。


「……つまんねぇ」



深夜の窓に映る自分に吐き捨てるようにつぶやき、

結局また、次の夜も同じように繰り返す。


そんな日々に終止符を打つことになるとは、

その頃の蓮には想像すらできなかった。




そして今。



「書類の修正、これでいいと思う?」

仕事中に真剣な目で俺に意見を求めてくる優里。

その視線に、俺は何度も射抜かれてきた。


蓮のなかで、

くだらない夜遊びの記憶が砂みたいに崩れていく。


軽薄な笑みで誤魔化してきた日々も、

名前を覚えないまま遊んだ女の顔も。


全部、優里の一言に、

優里の仕草に、かき消されてしまう。



本当は、怖いんだ。

俺みたいな人間が、あの子のそばにいていいのかって。


御曹司って肩書きに甘えて、

女を取っかえ引っかえして、

空っぽのまま生きてきた俺が。


でも、もう逃げられない。

優里を見ていると、心臓が勝手に暴れるんだ。

気づけば手が震えて、声がうわずる。


「俺……あの頃みたいに、嘘の笑いで誤魔化したくない」

「優里の前では、本気でいたいんだ」


たとえ過去が汚れていても。

優里と出会った今の俺は、もうあの頃の俺じゃない。



優里に出会って、俺はやっと、

本気で誰かを好きになれたんだ。




蓮が冷めたコーヒーと過去の虚無との

激しい葛藤を繰り広げていると、

カランというドアベルの音と共に、

優里がカフェに戻ってきた。



「お待たせ」


その声はいつも通りクールだが、

兄との別れを終えたばかりの微かな余韻が漂っていた。


蓮はすぐさま立ち上がった。


彼の脳内では

「長旅のお兄様に寂しさを覚える優里を、俺が慰めるロマンチック展開」が

一瞬で展開されかけたが、

優里の表情を見て理性を取り戻す。



「行こ。 もう用は済んだでしょ」


「ああ、いや…… ちょっと付き合ってくれ」


蓮は優里の手を引いた。

行き先は、煌々と夜景が広がる、展望テラスだった。



テラスは、出発を待つフライトと、

それを眺める人々で賑わっていた。


宝石を散りばめたような夜の滑走路を背景に、

飛行機を見送るカップルが溢れていた。


彼らは寄り添い、囁き合い、時折キスを交わしている。


(ちくしょう…… ここ、愛の最終決戦場かよ!)


蓮の心中は嫉妬の炎に焼かれそうになったが、

隣の優里はそんな周囲の熱を完全に無視していた。



優里は腕を組み、ガラスの向こうの夜空を見つめている。


彼女の瞳は、イチャつくカップルではなく、

ただ一つの目的、兄の乗った飛行機を探していた。



「どこにいるんだろう。もう飛び立ったのかな」


その声は妹としての素直な寂しさを帯びていた。



蓮は優里の肩にそっと触れた。


「大丈夫だ、まだ飛んでない」



英才教育で世界中の空港を利用し、

自家用ジェットにまで乗り慣れている蓮は、

離陸のタイミングや航空会社の尾翼のマークに詳しかった。


「ほら、あれだ。 あの一番奥で、誘導灯の光を浴びてるやつ。あそこから滑走路に入る」


蓮に指差された先を、優里は目を凝らして見つめた。


そして、優也の乗った飛行機は夜の滑走路を走り出し、

夜空へと優雅に舞い上がっていった。



優里はその姿が夜の闇に完全に消え、

星と見分けがつかなくなるまで、

微動だにせず見守っていた。



その時、夜景の照明に照らされた優里の横顔に、

蓮は見たことのない表情を見た。


それは、哀しみでも怒りでもない。


孤独。


人々の温もりや羨望から遠く離れた場所で、

自分に向けられた嫉妬にたった一人で耐え、

耐え抜いてきた者の表情。


まるで、兄の存在だけが彼女の唯一の絶対的な安息の地であり、

その安息が今、遠く離れていくことへの切なすぎる別れだった。


(俺は、この顔を知らない…… 優里の傷は、こんなにも深いのか)



蓮の胸の奥が、再びギュッと締め付けられた。


溺愛や妄想を超えた、純粋な「守りたい」という衝動が、

夜景のテラスで確かなものとなった。



優也の乗った飛行機が夜空に消え、

優里の横顔から孤独の影がゆっくりと薄れていくなか、

テラスの周囲は熱を帯び始めていた。



蓮は優里の深い孤独に心を奪われていたが、

周囲の騒めきで現実に引き戻される。


(あれ……? なんか、やけに視線が熱いな)



夜景と照明に照らされた蓮と優里は、

まるで映画のワンシーンのように絵になりすぎていた。


蓮は財閥御曹司の整った顔立ち、

優里は社長としてのオーラを纏った圧倒的な美貌。


その二人が寄り添う姿は、

周囲のカップルたちの羨望と嫉妬を一身に集めていた。



蓮は、優里を見つめる他の男たちの熱狂的な視線に気づいた瞬間、

過保護モードの嫉妬心が大爆発した。



「おい、そこのジャガイモども! 優里を見るな!」


蓮は低い声で周囲の男たちを牽制するが、

その言葉は優里への溺愛によって歪んでいた。


(オマエらはただのジャガイモじゃ! 優里は俺だけのものだ!)


しかし、優里は優也を見送った安堵からか、

蓮の暴走にはどうでもよさそうに夜景を眺めている。


その無関心な態度が、かえって蓮の魅力を際立たせてしまう。



周囲のカップルたちはざわめき、その均衡が崩れ始めた。


特に、カップルの女子たちの視線は、

優里を守ろうと必死な蓮の姿に釘付けだった。



「ちょっと、あのスーツの人、かっこよすぎない?」

「は? 俺の方がかっこいいだろ!」


「あんなに真剣に愛されてみたい」

「おい、どこ見てんだよ!」


蓮と優里の美貌は、

意図せずして周囲のカップルたちを破局に追い込もうとしていた。


蓮は周囲の空気が完全に険悪になっていることを悟り、

思わず苦笑いを浮かべた。


(な、なんだこれ…… 俺たちがいるだけで、テラスが地獄絵図じゃねぇか)


優里はようやく周囲の騒ぎに気づいたが、

冷静な一言で状況を締めくくる。


「蓮、あんたのせい。 騒がしすぎる」


「俺のせい!? 違うだろ! 俺たちの美貌が、周りのレベルの低さを際立たせすぎたんだ!」


そう言いながらも、蓮は優里の隣で、

この破壊的な状況を愛しく思っている自分を否定できなかった。


優里という絶対的な美の存在が、

世界を乱し、自分を狂わせる。


蓮はそのカオスさえも愛していたのだった。



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