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同じころ、場所は東京は新宿区にて――
江戸の時代から鎮座する蔦に覆われた牛込門と外濠の水辺の美しい飯田橋駅を通り過ぎて神楽坂に至る。
おフランスに似てるともいわれる洒落乙な雰囲気と、どこか祭りの通りのような懐かしい雰囲気のある坂の街。
名前のとおり『神楽』に由来するのだろう。
【神楽】
【神遊び】
……では、その【神遊び】とは何ぞや? という話である。
創造神たち――例えば、日本の八百万やギリシャ神話、北欧神話、それから一神の連中――いや、連中呼ばわりはまずいので、そのような創造神的な方々が世界を設計し、その行く末をギャンブルでもするかのように愉しんでいるのだろうか?
この不確定的に脆弱、ゆえに彩りある素晴らしき世界を――
ちなみに、最新の研究によるとギャンブル時の脳波と教会で祈りを捧げる時の脳波の形は似ているらしい。
これは、神々がギャンブル好きであるかもしれない充分な証拠である。
かのアインシュタイン博士は量子力学について、神々はサイコロを振らないと激おこしたとかしてないとかの話があるが――
まあ、そのような余計な話はおいて先に進めていく。
ここ神楽坂のメインストリート脇の、石畳の残る横丁にある洋館――ゴシック風、石造風のコンクリート製の和洋折衷の洋気味の洋館、『神楽坂怪奇調査コンサルタント事務所』へと入っていく――
***
――場面は変わって洋館の中、
「ぬふぁん……。チカレタ……」
と、ゴシック風の天井高く煉瓦の暖炉のあるハイカラモダンな洋室に、温くも情けない声が響……かなかった。
屁のような声の主はというと、この事務所所長の中年男、綾羅木定祐であった。
大正時代風の和装を、某銀とか玉とか作品名につく漫画の主人公のごとく、片方の袖は通さずに黒のハイネックのスポーツウェアが露わになった奇妙なファッションと、それから人を小馬鹿にしたような天パーと、これまた格好をつけてか銀のインテリ眼鏡などかけている風体であった。
そんな綾羅木定祐は机に肘をつき、考える人のだらしないバージョンみたいなスタイルで癖毛の先っちょをクルクルいじっていた。
変わり者かつ少々ナルシストまじり、そして性格もひねている上にやる気もあまり無いという、ダメ人間っぷりなものである。
定祐のクセ毛いじりは続く。ひねり、ツイストし、あげくはワシャワシャしながら下の資料と思しきA4用紙にフケを落とす。
紙を軽く曲げ、溜まる少量のフケ。
不潔でないか――?
「……むむむ」
とここで、定祐中年の不服申し立てたが入った。
誰が不潔とな? 考えてもみるがいい。昔の文豪の方がひどかったではないか?
特にかつての千円札の文豪、夏目漱石など鼻毛を原稿に挟んで遊んでいたというではないか?
それを顧みれば少量のフケなど可愛いものだろうに。
定祐はそのように思いながらA4用紙を眺めているうちに、“とある衝動”が生じていた。
「……」
神妙な顔で紙を見つめる定祐。
そして――、
「字が小さすぎて読めぬゎい……!」
と、唐突にしてこの中年はA4用紙を後ろに放り投げた。
舞う紙、散るフケ……
寒い一人芝居の、シュールにして静寂な余韻が漂う中、ギィ……と重厚なドアが開く音がした。
振り向くとそこには女の姿があった。
ミドルロングヘアに、襟元の赤いリボンが特徴的な白と黒のシックなカジュアル・フォーマル姿の新卒風の20代女子、助手の上市理可である。
その上市理可はジトっとした冷たい目で、いちおうは所長である綾羅木定祐の方を見ていた。
「朝から何しとらぁよ? 先生」
上市は方言の富山弁気味になりながら、放心気味に呆れてみせた。
その定祐はというと、「……」と無言でブスッと唇を尖らせつつ、「……フン、何を言うのかね? 君は」などと嫌味な表情で呆れている仕草である。お前が呆れるなというところであるが……
「――てか、何だろう? さっきの、何かのモノマネですか?」
上市はどこかで見たような記憶があった。
何かメガネらしきものの、話題になっていたCMであり、確か尻にやたらとこだわった演出があったような気がしたが。
「フン。――というか、コーヒーは買ってきたのかね?」
「はいぃ? いや、てか、人の問いに答えてくださいよ」
上市は某特命課の右京さんのようなイントネーションでイラっとする。
いや、質問を投げかけたのは自分であるが、まったくその答えになってないではないか?
人の話を1ミリも聞かないとはこのことである。
そう思いながらも時間のムダと諦め、「まあ、いいすよ。買ってきましたよ」と、自分もちょうどコーヒーを飲みたかったので、さっさとコーヒータイムに入ることにした。
***
――しばらくして、上市理可がコーヒーを用意してくる。
お盆には大正か昭和初期らしきアンティークカップにコンソメパンチのポテトチップスを、それから逆の手には蔓首のポットを持っていた。
綾羅木定祐はというと、相変わらず頬杖ついて面白くなさそうな微妙な顔でだらしなく佇んでいる。
上市は盆を置き、左手には空のカップを、そして右手は高くポットを掲げながら、これまた某右京さんスタイルでかっこつけながらコーヒーを注いでいく。
「また、どんな注ぎ方かね?」
「まあ、いいじゃないですか」
ムスッとした顔の定祐に、上市は答える。
しかし、なぜかわざわざこのスタイルで注ぐのか、謎である……。
なお、それなりに様になっているのだが、これができたからといって特に何の意味もないのである。
某ドラえ〇んの、のび太のあやとりがものすごく上手いとか程度のものだろう。
そうこうしているうちに、コーヒーの香りがほわんと漂ってくる。
コーヒーブレイクというが、そろそろ時刻も10時半を過ぎて11時になろうとするころである。
というよりも、そもそもこやつらは朝から仕事らしい仕事をしていない。
優雅にコーヒーと、ポテトチップスを頬張りながらネットサーフィンと、今日もとっくに動き出して忙しい世間を舐め腐ったコーヒーブレイクである。
「そういえば、そろそろハロウィンですよね」
「またあの騒々しいヤツか。まったく、そもそもが確かケルトの、死者の祭りとかじゃなかったか? 今となってはすっかりパリピの野次馬の極みの馬鹿げたイベントではないか」
定祐は嫌味と人間嫌いな性格がこもった顔で話しながら、「まあ、それは置いて、だ……」と何か話そうとして間を溜め、中途半端になったポテチをパリッと噛みかけた時、
――シュタッ! カタン!
「おぅわっ!?」
と、突如として眼前に現れた黒い影に驚かされ、思わずビクンとのけぞった。
机の上に、天板と同じく黒い色をした物体……
その物体Ⅹには猫耳のようなもの――いや、本物の猫耳がついており、なおかつモフッとして佇んでいた。
そうである、こやつは事務所に居候する黒猫こと、ベーコンであった。
「な、何しとんかねっちゃ! おい!」
「あっ、ベーコン!」
抗議の声をあげる定祐の横、上市がデレっとしながらベーコンに寄ってモフる。
その間も、定祐は面白くなさそうな顔で唇を尖らせてベーコン黒猫を睨み、同じくベーコン黒猫も仏頂面で定祐の方をジッと見ていた。
人間と猫が対峙して睨みあうという、恐らく日本でもトップクラスに不毛で無駄な時間――
黒猫はスンッと鼻で息を吹き、その内心、(ほんっと、ぶっ細工な顔だのう! このサピエンスのバカどもめが……!)と定祐、上市の人間コンビを見下しながら、丸まって顔を逸らした。
「フン、バカ猫め……」
「もう。何、低レベルな争いしてるんすか」
猫を罵る定祐に上市が呆れた。
同じレベルの者でしか争いは起きないとはよくいったものである。
なお、上市は自身も侮蔑されていることなど露も気づいておらず、知らない方が幸せだとはこのことだろう。
そのようにして、珍入者に話がかき消された格好であるが、
「それで、定祐先生。さっき、何か言おうとしてませんでした?」
「そうだ。うーむ……、何を言おうとしてたか……?」
定祐は上を見ながら首を傾け、自分が話そうとしてたことを思い出そうとする。
「ハロウィンの話、でしたよね?」
「ああ、そのハロウィンのことと関係あることなんだが……」
「それって、もしかして、先生……」
「ああ、昨夜のな――」
二人が頭の中で思い浮かべることが重なりかけるところで、本日の二度目……、そうは問屋が卸さないできごとが起きる。
――ほわん……
と、突然どこかから仄かな香りが漂ってきた。
「んん?」
上市が鼻をヒクっとさせた。
何の匂いだろうか? 何か、油の香ばしく食欲を感じさせる匂い。単品で食べてもよし、うどんや蕎麦にのせてもよしの狐色のアレ――
そこまで浮かんだところで、
――サッ!
「ひゃっ!?」
と、上市は突如として何かの影によって視界を塞がれた。
その反動からか、「おぅわっ!?」とバランスを崩し、あろうことかそのままドスン! と盛大に尻餅をついてしまう。
「おっふぅー!!!!!」
「お、おい! 何しとんかねっちゃ!」
洋間に響く断末魔のごとき上市の悲鳴に定祐が駆け寄り、そのいっぽうのベーコン黒猫は(ええい、やかましいのう! このサピエンスども!)とムカッときた様子で退散してしまう。
同時に、上市の黒スカートがめくれてオレンジ色のパンツがあらわになる。
「――痛った、たたたぁ……。もう……」
上市理可は手をつきながら、顔をあげる。
いったい何が? と思いきや、そこにはひょこんと、今度は猫耳ならぬ狐耳らしきものが視界に入ってきた。それも、重力に逆らった形で頭上から逆さにである。
「んあ? な、何――」
上市が後ずさり気味に何か言いかけたのと同時――、狐耳は長い黒髪とともにふわりと舞い、床に降り立った。
「――おい、化け物」
綾羅木定祐の慣れたような声がした先、そこには妖艶な狐耳の女と思しき姿が凛として佇んでいた。
そうである。こやつこそ、先ほどの駅前で揚げを売っていた狐耳の者であり、この『怪奇〇〇』とやたら長ったらしい事務所の怪奇要素の一つにして副所長の肩書をもつ実質ボス、神楽坂文であった。
──続く