第8話「町の酒場に行ったら“娘の戦闘力”が誤解された件について」
レグナス王国・第七区。王都の東側に位置するこの区画画は、夜の訪れとともに特有の熱気と喧騒に包まれる。そのにぎわいの中心に鎮座するのが、木造三階建ての老舗酒場――《トゥルーマ酒場》であった。
使い込まれたオーク材の重厚な扉を押し開けると、蒸し渡るような熱気と、肉を焼く香ばしい脂の匂い、そして酵母の香る深い麦芽酒の臭気が一気に鼻腔を突く。
天井の低い店内には、油を吸った太い梁が走り、壁にかけられた魔導ランプの橙色の光が、無骨な木製テーブルを囲む冒険者や商人たちの影を揺らしていた。カウンターの奥では、胸板の厚いドワーフの店主が丸太のような腕で巨大な木樽の栓を操作し、絶え間なくジョッキへ黄金色の液体を注ぎ込んでいる。フロアの隅からは、少々調音の狂ったリュートの弦の音と、吟遊詩人の掠れた歌声が、男たちの怒号のような歓声に混じって響いていた。
情報収集を兼ねた夕食をとるため、その喧騒の渦中に足を踏み入れた一真とまひるの父娘は、壁際の小さな丸テーブルに腰を下ろしていた。
まひるは着席するなり、木目の粗いテーブルの表面を指先で控えめに叩きながら、小さく溜息をついた。その視線は、一真が注文しようと手を挙げた木製のジョッキに向けられている。
「パパ、飲みすぎないでね。……ここ、厨房の奥チラッと見えたけど、衛生管理が相当怪しいから。お腹壊しても現代の胃薬とかないんだよ?」
「……了解した。十分に注意する。あと、万が一にも未成年の娘に酒を勧めようとする不届き者が現れたら、その場で物理的にぶっとばす」
「そもそも飲まないし! そういう極端なガードの固さが余計な目立ち方するんだってば……」
まひるは呆れたように肩をすくめ、肩に掛けたリュックサックを抱え直した。その中には、彼女の最大の武器であり、この世界における異質な魔術の触媒であるノートパソコンが収められている。
だが、異質な空気感というものは、隠そうとしても滲み出るものだった。
王都の荒くれ者が集う酒場において、整えられた現代日本の服をまとい、黒髪をなびかせる少女の姿は、どう取り繕っても浮いてしまう。
「おいおい……お嬢ちゃん。この町じゃちょっと見かけない顔だな」
不意に、頭上から影が落ちてきた。
振り返ると、肩当てに幾筋もの傷を刻んだ大柄な戦士風の男が、大きな木製ジョッキを片手に立っていた。無精髭を生やした顔に酒気を帯びた笑みを浮かべ、まひるを上から下へとじろじろと観察している。
「着ている服も珍しい仕立てだし……どこぞの国から来た旅の魔導士か? それとも研究機関の若きエリートってところか?」
まひるは一瞬身をすくめ、隣の一真の顔を盗み見たが、ここで波風を立てるわけにもいかないと思い直し、丁寧な苦笑いを浮かべて答えた。
「いえ……違います。ただの高校生です。異世界から……その、転移してきたばかりで……」
「……こうこうせい……?」
男はジョッキを口元に運ぶ手を止め、眉間に深い皺を刻んだ。その頭の中で、「コウコウセイ」という聞き覚えのない単語が、彼の知る知識の枠組みと急速に結合されていく。男の目が、カッと見開かれた。
「ああ……! あれか! 噂に聞く王立学院の『特級戦術科』みたいなヤツだな!? 若くして国家級の戦力として教育される、選り抜きの化け物集団のことか!」
「いや、ちが……っ、ただの一般の学校の生徒で――」
「しかも、魔導士の格好をしておきながら……待ちな、お前のその髪色と、隣にいる腕っぷしの強そうな男……まさかお前、昼間に中央広場で『あの超展開された古代魔法陣を物理パンチ一発で粉砕・構造破壊した男』の娘か!?」
「ちょっと待って! それ完全にパパ由来の誤解だよね!? 私自身は何も壊してないから!!」
まひるの叫びは、男の酒に酔った大音量の声によって簡単に吹き飛ばされた。
「おいみんな! 聞きな!! 今日の昼間、広場を騒がせたあの『魔法陣粉砕男』の娘がここにいるぞ!! ってことは、この娘の血筋も相当なチート級魔力持ちってことじゃねえか!!」
ドカン、と酒場全体が揺れるような歓声が上がった。
好奇心に飢えた冒険者や酔っ払いたちが、ワッと蜘蛛の子を散らすように二人のテーブルへと押し寄せてくる。
「マジかよ!」「あの恐ろしい衝撃波を出した奴の身内か!?」「どんなエグい魔法を使うんだ!?」
言葉による否定の余地は、完全に潰された。
押し寄せる男たちの熱気と期待の眼差し、そしてドワーフの店主までもがニヤニヤしながら腕を組んで見つめる視線に晒され、まひるは逃げ場を失った。
数分後――。
酒場の中央に備え付けられた、普段は吟遊詩人や踊り子が立つ木製の簡易ステージの上に、なぜかまひるはぽつんと立たされていた。
先ほどの戦士風の男が、酒樽の上に飛び乗り、大声を張り上げる。
「さあ野郎ども、静かにしやがれ! では、本日限定で特別に登場だ! 噂の謎の魔導士嬢――《まひる・ザ・デストロイヤー》による、コード魔法ショーの始まりだぁ!!」
「誰が“ザ・デストロイヤー”だァ!! 勝手に不穏すぎる二つ名をつけるな!!」
まひるのツッコミが酒場に響き渡るが、観客たちの興奮は最高潮に達していた。酒瓶を叩く音、口笛、拍手が木造の建物を細かく振動させる。
(うぅ……もう、何でもいいから何か見せて引いてもらうしかない……!)
まひるは観念したように息を吐き出すと、リュックサックから愛用の薄型ノートパソコンを取り出した。黒い金属調の天板が、魔導ランプの光を反射して鈍く光る。その未知の「魔導器」の登場に、客たちのざわめきがすっと静まり返った。
カチ、とディスプレイを開く。液晶画面の青白い光がまひるの顔立ちを照らし出した。
彼女の指先が、慣れた手つきでキーボードの上に配置される。
「ちょ、ちょっとだけだからね……。変な期待しないでよ……」
まひるは小声で呟きながら、画面上のコマンドラインに打鍵を開始した。
タタタタン、と軽快なタイピング音が静まり返った酒場に響く。
画面上で緑色の英数字が滝のように高速スクロールし、ノートPCの内部回路を経由して、周囲の大気中に漂う魔力粒子が電子コードへと変換されていく。
「魔導演算コード起動。……クラス定義:小動物型。描画・実体化プロセスの最適化。簡易召喚、実行――」
最後の『Enter』キーが、パシッと強く叩き込まれた。
次の瞬間、ノートPCのキーボードの隙間から、淡いエメラルドグリーンの光の粒子が溢れ出した。光はまひるの掌の上に集束し、空間の密度を急激に高めていく。
フッ――と一瞬の静寂の後。
ぽふっ
柔らかな空気の弾ける音とともに、そこには一匹の生き物が佇んでいた。
手のひらにすっぽりと収まるサイズの、球体に近いシルエット。綿あめのように柔らかく丸まった桃色の毛並みに、つぶらな黒い瞳。長い耳をパタパタと揺らしながら、それは可愛らしく鳴いた。
「ぴぃ」
静まり返っていた酒場に、一秒間の空白が訪れた。
そして――。
「「「「かわえええええええええええええええええ!!!!」」」」
地鳴りのような叫び声とともに、ガタタッ! と全員が一斉に立ち上がった。スタンディングオベーションである。ゴツい鎧をまとった男たちが、目を見開いて涙ぐみながら拍手を送っている。
「おい見ろよあの速度! 小動物の召喚術式を、詠唱も魔法陣の展開もなしで、あそこまで安定かつ高速で完了させただと……!?」
「それだけじゃねえ! 魔力のブレが一切ねえ、完全制御型だ! あの昼間の『無差別に破壊を撒き散らす暴走事件』の魔力とは全く別物だぞ!」
「ってことは……あえて暴走させずに、ミリ単位で魔力を抑え込んで召喚したってことか!?」
「マジかよ……つまり『暴走させる威力を持ったまま、完璧に制御している破壊者』ってことか!? 制御された破壊者……! あれが真のチートってやつか!?」
「何その無駄にカッコいいけど物騒な称号!? ただのペット召喚コードだよ!!」
まひるの悲痛なツッコミは、冒険者たちの身勝手な感嘆の嵐にかき消されていった。
その頃――。
狂乱する酒場の喧騒から遠く離れた最奥の隅っこで、一真は冷えた木製ジョッキを手に、一人静かにビールを煽っていた。
ゴク、ゴク、と喉を鳴らして安酒を流し込み、ぷはっと息を吐き出す。だが、その表情は疲労困憊そのものだった。
「俺の娘が……見知らぬ異世界の酒場で、完全な誤解によって『伝説の破壊者』として神格化されていく……。なんかこう、胸の奥あたりが異様にモヤモヤして、胃がキリキリ痛むな……」
デバッガーとして数々のシステムバグや仕様変更の混乱と戦ってきた一真だったが、この「人の噂と誤解による仕様の肥大化」ばかりは、拳で殴ってデバッグするわけにもいかなかった。
しかし、ステージの上を見やると、たくさんの人々に囲まれ、困惑しつつも少し誇らしげにピヨンを撫でているまひるの姿があった。
「ふふ……まあ、悪くないかも。異世界デビューって感じで」
観客の拍手に照れくさそうに頭を下げている娘の笑顔を見て、一真は小さく苦笑し、残りの酒を飲み干した。
◇
その夜。
酒場での大騒ぎをなんとか切り抜け、安宿の一室へと戻った父娘は、古びた木製ベッドの上に腰を下ろし、ようやく一息ついていた。
部屋の窓からは、王都の夜景と、夜空に浮かぶ二つの月が見えている。静寂が部屋を満たしていた。
まひるは靴を脱ぎ、ベッドの上で膝を抱えながら、フフッと小さく笑った。
「でもさ……やっぱりパパの、あの“拳デバッグ”のせいで、私の立場まで色々と変な方向に壊れていってる気がするんだけど?」
一真は壁に背を預け、腕を組みながら天井を見上げた。
「……フン。怪しい魔王軍のスカウトに追い回されたり、危険視されて命を狙われるよりは、変な噂で勘違いされているくらいの方が百倍マシだろ」
「それはそう」
まひるは短く答えると、クスクスと笑いながら、枕元にそっと手をかざした。
ノートPCを使わずとも、先ほど構築したばかりの簡易描画キャッシュが動き、小さな光とともにベッドの上にピヨンが姿を現す。
「ぴぃ……」
ピヨンは丸い身体を丸め、すやすやと心地よさそうに呼吸を始めた。まひるはその柔らかい背中を指先で優しく撫でながら、ゆっくりと横になった。
見知らぬ異世界、見知らぬ人々、そして理不尽な誤解。
けれど、こうして二人で笑い合い、穏やかな夜を迎えられる場所がある。
――異世界でも、ちょっとずつ自分たちの“居場所”ができていく。
それが、今のまひるにとって、何よりも愛おしく、うれしいことだった。
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