第6話「娘のコードが暴走して、魔法がバグったので、パパが拳で直しました」
学都レルファリア・西地区に位置する「第七特別演習棟」。
普段は高位魔導士たちが大威力呪文の展開発現をテストするための、耐魔石材で補強された防音構造ドームである。
――ズズズズズン!!!!
だがその日、重厚な石造りの外壁の一部が、内側からの異様な圧力に耐えかねて豪快な音を立てて吹き飛んだ。
「ぎゃあああああ!? 止まらないっ! コマンド受け付けない! コードループが止まらないよぉぉっ!」
白衣の袖をまくりあげた東雲まひるが、飛び散るレンガの粉塵の中でキーボードを激しく叩きつけながら絶叫していた。
画面上のターミナルには、赤文字のエラー警告と無限にスクロールするログが超高速で流れ続けている。
[WARNING]: Stack Overflow in summon_entity()
[CRITICAL]: Mana stream resonance exceeding 400%. Re-entering loop...
「誰だよ! 無限召喚トリガーの解除条件をコメントアウトしたやつはぁぁっ!」
「ご、ごめんなさいまひるさん! デバッグ中に条件判定のロジックをテストしようとして、一時的に『//』で無効化したまま戻すの忘れて……っ!」
毒舌天才少年のリク=フォルトが、いまや顔を蒼白にしてメガネをガタガタさせながら頭を抱えていた。
「言い訳はいいからデバッガでプロセス殺して! タスクマネージャー開いて!」
「無理だ! 処理速度が魔素の励起サイクルを超えていて、入力割り込み(中断信号)が一切通らない!」
二人の頭上では、すでに幾何学模様の魔法陣が過熱し、眩い黄金色の光を狂ったように明滅させていた。そこから吐き出されているのは――
「ぴぃ!」「ぴぴー!」「ぴいぴいぴぃ!」「ぴよよよよっ!」
光り輝く鳥型の魔法生物-《ピヨン》。
一羽一羽は手のひらサイズで愛らしい姿をしているが、それが一秒間に数百羽という異常なペースで幾何級数的に湧き出し続けているのだ。
「うわああああっ!? なんだこれ、フワフワだけど重い! 息が、息ができないぃぃっ!」
筋肉魔導士のギムが、部屋を埋め尽くした数千羽のピヨンに全身を覆われ、まるで光る羽毛の津波に呑み込まれたようにのたうち回っている。
「あらあら〜、すごいですねぇ。お部屋の中がキラキラした鳥さんで満タンになっちゃいました〜」
魔法陣描画士のエステラだけが、のんきにスケッチブックを抱え、空中に舞う膨大な羽毛と光の粒子をうっとりと眺めていた。
「のんきに感心してる場合じゃないでしょエステラさん!」
まひるは足元まで押し寄せてきた《ピヨン》の波を蹴散らしながら、ノートPCの液晶を睨みつけた。
「このままじゃ魔素発振コアの演算容量がパンクして、演習棟ごと熱暴走で吹き飛ぶっ! っていうか、すでに制御不能で大暴走してるじゃん!!」
飽和した高濃度魔素がバチバチと静電気のような音を立て、空気全体が焦げ付いたオゾン臭で満たされていく。
学都レルファリアの第七演習棟は、今や未曽有の「フワフワな破壊的パニック」に包まれていた。
*
その頃。隣の区画に位置する学都警備隊の全天候型屋外訓練場。
「……ん?」
上半身裸で二〇〇キロの鉄条バーベルを黙々と持ち上げていた父・東雲一真の、野生の勘――自衛隊陸上総隊直轄・第1空挺団で培われた異常な直感がピクリと反応した。
ガタッとバーベルを地面に叩きつけ、汗を拭いながら窓の外へと視線を向ける。
数百メートル先にある第七演習棟の屋上付近から、異常なまでの密度の光の粒――そして空を覆い尽くさんばかりに雲霞のごとく湧き出す無数の光の鳥たちの群れが見えた。
「……あいつ、またやらかしたな」
一真の目が鋭く細められた。
息を吸い込み、足元の迷彩服と戦闘靴をわずか三秒で完璧に着込む。
空挺レンジャー、パパ出動。
一真はドアを使わず、二階の窓枠を蹴って外へと躍り出ると、石造りの建物の突起や樋を極限のパルクール動作で踏み台にし、圧倒的なスピードで演習棟へと向かって爆走を開始した。
*
演習棟の屋上。吹き抜けの天井から空へと溢れ出そうとしていたピヨンの群れを前に、まひるたちが絶望しかけたその時――。
ドサッ!!
屋上の縁を乗り越え、風を切って舞い降りた男がいた。
緑の迷彩服、鋭い眼光、そして圧倒的な存在感。
「まひる! 状況報告!」
颯爽と立ち上がった父の姿に、まひるは涙目で叫んだ。
「パパ!? 魔法がバグって! コードのループが止まらないの!」
「仕組みを簡潔に言え!」
「無限ループ! 呼び出し関数が自分自身を再帰的に呼び出し続けてて、スタックがオーバーフローして、トリガーの条件分岐を完全に無視してピヨンが無限召喚されてるの!」
「一ミリも分からんが――」
一真は足元で暴走し、激しく青白く発光している魔導板と、その中心に据えられた魔素発振コアへと視線を固定した。
「要するに、その発信源を“止めりゃいい”ってことだな?」
「え? いや、ソフトのバグだから物理的にどうこうじゃなくて――って、ちょ、待っ――」
まひるの制止の声が届くより早く。
一真は低く姿勢を落とすと、地面の石畳を砕くほどの脚力で一気に間合いを詰めた。
右拳を引き絞る。
腰の回転、背筋の引き込み、拳の握り込み。陸上自衛隊で叩き込まれた最も効率的かつ破壊的な徒手格闘のフォーム。
「正拳突き――デバッグ打撃っ!!」
――ドゴォォォォォン!!!!
衝撃波が大気を揺らし、防音ドームの残った壁面すら振動した。
一真の拳が叩き込まれたのは、過熱した魔素発振コアの真横――魔導板の基盤フレームだった。
魔力を持たない一真の物理的な質量打撃は、超音波のごとき衝撃波となって魔導板の結晶格子を完璧に揺らし、流れていた魔素のパルス信号を強制的に位相ズレさせた。
結果として、物理的な衝撃による回路の強制リセット(ハードウェア・割り込み)が発生したのだ。
ギュゥゥゥゥ……と、悲鳴のような高周波音を立てて魔法陣が歪み、明滅していた黄金色の光が急速にしぼんでいく。
「な、召喚の制御ループが……収束してる!? ええっ、まさか、パンチでコードのスタックが解除修正された!?」
まひるは目を見開き、信じられない思いでPCの画面を見た。
スクロールを続けていたターミナルがピタリと止まり、『Process Terminated by External Signal』の文字列が静かに点灯していた。
「……これが、パパ流の“デバッグ”だ」
一真はふっと息を吹き、引き締まった拳を軽く振った。
行き場を失った万単位の光の鳥たちは、「ぴぃ……」と名残惜しそうに一声鳴くと、まるで綺麗なタンポポの綿毛のようにふわっと舞い上がり、異世界の青空へと溶けるように消えていった。
*
惨劇のあと。静けさを取り戻した校舎の屋上。
ひっくり返った実験機材と羽毛の破片が散らばる中で、父娘は手すりに寄りかかっていた。
「……パパさぁ、もっとこう……“手段”を選ぼうよ。毎回毎回、物理で解決しないでよ」
呆れたように肩をすくめるまひるに、一真は腕を組んで眉をひそめた。
「いや、俺から言わせればまひるの“魔法バグ”のほうが遥かに怖い。爆発や砲撃なら自衛隊の訓練で想定済みだが、空飛ぶ光る鳥の大群に押しつぶされて窒息死する訓練なんて受けてない」
「うるさいなぁ、こっちはちゃんとした論理で攻めてるんだから! ていうか、私の作ったピヨン、一羽一羽はすごく可愛かったでしょ!?」
「たしかに一羽なら可愛かった。だが、数千羽に増殖して部屋を埋め尽くすのはただの悪夢だ」
「ぐぬぬ……」
手すりの横で、リクとギムが「やっぱり東雲さんのパパはバケモノだ……」と震えて小さくなっている。
――異世界における最大の危機、それは何よりも“父娘の会話が根本的にかみ合わないこと”かもしれない。
*
その日の夜。
学都から与えられた宿舎の食卓には、芳醇なスパイスの香りが漂う特製カレーライスと、羊皮紙に書かれたプログラムの修正メモが並んでいた。
一真が自衛隊の野外炊事ノウハウを活かし、異世界の現地食材(ナツメグに似た香辛料や現地の根菜)を工夫して再現した「東雲家特製ミリタリーカレー」である。
「むしゃむしゃ……次は、絶対に例外処理のエラー検出式を組み込む。あと、キー入力でいつでも強制割り込みできる緊急停止コード」
「ほう。その緊急停止コードとやらは、“パパが殴る”じゃないんだな?」
スプーンを口に運びながら尋ねる一真に、まひるはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「フフン、甘いねパパ! もうそれすらも関数にしてライブラリ化しとくから!」
「……関数?」
「そう。『kill_process_kazuma()』って名前で登録しておくの。これを呼び出すと、パパの正拳突きと同等の物理的衝撃パルスを擬似発生させて回路を強制シャットダウンさせる仕組み!」
「マジか。俺の拳がプログラムのコードにされたのか」
――どうやらこの異世界では、徐々に“パパ由来の物理バグ対策”が標準的なライブラリとして定着しつつあるらしい。
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