第3話「魔法の街で、まさかのパソコン無双?」
サスペンションのついていない無骨な木製荷馬車は、予想を遥かに超える勢いで激しく上下に揺れていた。
車輪が街道の飛び石を拾うたびに、尻から背骨へと直撃する鈍い衝撃。木枠がミシミシと悲鳴を上げ、荷台に積まれた薬草の束や木箱が小刻みに跳ね踊っている。
「……ねえパパ、これ、絶対自分の足で走った方が体力的にも精神的にも楽じゃない?」
まひるは荷台の端に必死にしがみつき、振動で舌を噛まないよう歯を喰いしばりながら呻いた。
「俺個人としては、時速四十キロ程度の持続走なら何の問題もない。だがな、まひる」
対面に座る一真は、背筋をピシッと伸ばした完璧な姿勢のまま、揺れる荷台の上で微動だにせず座っていた。その眼差しは、前方で汗を流しながら必死に手綱を引く二頭の馬へと向けられている。
「暴走を止められた直後の馬に、俺が横を並走したらどうなる? 馬の精神的ストレスが限界突破して心臓麻痺を起こす。かわいそうだろ」
「あ、なるほど……パパの肉体が馬にとって恐怖の対象だからね。……って、そういう問題じゃない気もするけど!」
「ははは……東雲様のお強いことには感謝しかございませんよ。まさか暴走した馬車のハミを直接素手で掴んで押し止められるとは、夢にも思いませんでしたからな……」
御者台の横で汗を拭っていた商人風の男が、引きつった笑みを浮かべながら一真に深々と頭を下げた。一真が力ずくで馬車を制圧した瞬間、車内にいた商人たちは「巨大な魔獣に衝突された」と勘違いして失神しかけたらしい。
そうして馬車に揺られること約半日。
夕暮れの茜色の光が空を紫グラデーションに染め上げる頃、街道の先についに目的の構造物が姿を現した。
「うおっ……なんだあの建物群……」
まひるは思わず、ポケットからスマートフォンを取り出した。当然ながら画面の上部には『圏外』の二文字が虚しく表示されているが、カメラ機能は問題なく動作する。パシャリとシャッター音を鳴らし、レンズ越しにその景色を切り取った。
『学都レルファリア』。
周囲を無機質な白い巨石の防衛壁で覆われたその都市は、異彩を放っていた。
何十本もの細く美しい尖塔が空に向かって刺すようにそびえ立ち、建物同士を繋ぐ高所のアーチ状歩道には、青白い光を放つ帯状の刻印――魔導回路が網の目のように走り抜けている。
全体的な造形は重厚な中世ヨーロッパのゴシック建築そのものだが、そこに脈動する光の幾何学模様が合わさることで、まるでSF映画に出てくる近未来都市のような、奇妙で幻想的な美しさを醸し出していた。
「ようこそ、学都レルファリアへ!」
同乗していた見習い魔導士の少年・エルノが、少し誇らしげに胸を張った。
「この街は、世界中から優れた魔法学者や魔導技士が集まる研究の最高峰なんです! 新しい魔術体系の構築から、生活を豊かにする魔導装置の開発まで、すべてがここで行われているんですよ!」
「なるほどな……」
一真は目を細め、街の構造を自衛官の視点で冷静に観察しながら呟いた。
「要するに、ここが異世界の秋葉原ってことか。ジャンク市や技術系のマニアが集まる街だな」
「いやパパ、秋葉原はもっと電気街だしサブカルの聖地だよ!? 例えがかなり極端だと思う!」
まひるの呆れたツッコミを背に受けながら、馬車は長蛇の列ができている巨大な城門の前へと滑り込んだ。
レルファリアへの入城に際しては、厳重な身分確認と「魔力適性チェック」が義務付けられているという。
重厚な鎧に身を包んだ警備兵たちの前に進み出た際、一真は提示された書類(羊皮紙)の職業欄に対して、実に堂々とした達筆で文字を書き込んだ。
「職業:自衛官、と」
「……じ、じぇいかん?」
受付を担当していた若い女性魔導士が、首を傾げながら羊皮紙を見つめた。
「それは……どのような職業でしょうか? 東方の戦士職……あるいは近衛兵の一種かしら?」
「国家の防衛および災害派遣を主とする公務員だ」
「は、はぁ……」
理解しきれていない様子の受付嬢は、苦笑いを浮かべながら手元に置かれた透明な水晶板――『測定用魔導板』を一真の前に差し出した。
「では、こちらの魔導板に手をかざしてください。あなたの持つ素養と基本強度が数値化されます」
一真が言われた通り、無骨な手のひらをスッとガラスのような板の上に置いた。
その瞬間だった。
キーーン――!!
耳をつんざくような高い金属音が魔導板から鳴り響き、板の表面に刻まれたルーン文字が眩い赤色の光を放って明滅し始めた。光の点滅速度はぐんぐん上がり、やがてカチカチカチと狂ったクロック信号のように高速化していく。
「えっ……きゃあっ!?」
受付嬢が悲鳴を上げて思わず身を引く。周囲にいた警備兵たちが一斉に長槍の柄を握り直し、殺気立った視線を一真へと向けた。
魔導板の表面に、揺らめく光の文字が浮かび上がる。
【氏名:シノノメ・カズマ】
【職業:???】
【レベル:測定不能(規格外)】
【脅威判定:S級相当(即時警戒対象)】
「ひっ……レ、レベル測定不能……!? 脅威判定がS級の極大魔力反応……!? こんな数値、現役の宮廷魔導師様でも出たことがないわ!」
受付嬢の顔から血の気が引いていく。
「パパ……なにやらかしたの?」
まひるがひょいと魔導板を覗き込み、ジト目で父親を見上げた。
「落ちただけなんだがな。地球の空挺降下訓練と変わらん」
「うっかり異世界にS級判定の人間災害が降り立ってきたとか、この街の人たちからしたらホラー以外の何物でもないでしょ……」
一気に緊迫した空気が走ったが、ここで助けに入ったのがエルノだった。エルノが自身の所属する「第一魔導研究院」の学生証を提示し、ボアロードからの危機を一真に救われた経緯を必死に説明したことで、なんとか警戒は解除された。
「……わかりました。エルノ候補生の身元保証を前提とし、特例として滞在許可を出します。ただし、街の『研究院付属宿舎』から許可なく出ないでくださいね!」
厳重な警告とともに滞在証を受け取った二人は、エルノに案内されて重厚な石造りの宿舎へと足を運んだ。エルノ自身は魔導士育成機関の寮に戻らなければならないため、ここでお別れとなる。
「東雲さん、まひるさん、明日また様子を見に来ますね!」
エルノが手を振って去っていき、あてがわれた一室に入った瞬間――まひるはベッドに倒れ込むことなく、速攻でリュックから愛用のノートパソコンを取り出した。
「ふぅ……やっとWi-Fiがない環境の静寂に頭が慣れてきた」
パタンとディスプレイを開き、電源ボタンを押す。
慣れ親しんだOSが起動し、青い光がまひるの顔を照らした。当然ながらネットサーフィンもSNSもできないが、彼女のローカルストレージには膨大なソースコードと開発環境が詰め込まれている。
まひるが画面に表示させたのは、C++で記述された自作のプログラム――『疑似魔導式言語変換器』のコードだった。日本にいた頃、ファンタジーゲームの術式構造を現実のアルゴリズムに置き換えて遊んでいた趣味の産物だ。
「うーん……やっぱりそうだ」
まひるは画面の文字列を指で追いながら、小さく呟いた。
「さっき門で見せてもらった魔導板の光の走り方……あれ、構造が完全にプログラミングと同じなんだよね。呪文の詠唱が『関数呼び出し』で、魔力のストックが『スタック領域』。で、属性の変換と展開が『ヒープ領域』の動的確保……」
キーボードを叩くカチカチという軽快なタイピング音が、静かな部屋に響く。
「つまり、この世界の魔法って……『世界というオペレーティングシステムに対する、言語命令の発行』そのものじゃん」
娘がそんな技術オタク特有の深い考察をブツブツと呟いている横で、父親は部屋の隅の硬い石床の上に、持参した陸上自衛隊仕様の迷彩寝袋をサッと広げていた。
「まひる、もう寝るぞ。明日からは異世界の環境に適応するための野外順応訓練と、筋力維持トレーニングを始める。どんな環境に放り出されようと、基礎の維持こそが生存の絶対条件だ」
「……あのねパパ、せっかく異世界に来たんだから、明日は普通に街の観光とかしようよ。異世界のカフェとか行ってみたいじゃん」
「娘よ、備えあれば憂いなしだ。敵の奇襲はいつ何時やってくるかわからん」
「この部屋で一番の脅威はパパの規格外すぎる筋力だよ……」
あきれながらも、まひるはパソコンをスリープモードにしてベッドに入った。
そして、翌朝。
静かなはずの宿舎に、思いがけない訪問者たちがなだれ込んできた。
バンッ!
「あなたね!? 昨日の入城検査で、魔導板の測定限界を突破して異常数値を叩き出したっていう噂の人物は!?」
ドアを豪快に開けて飛び込んできたのは、白衣のような魔導衣を着た、目の下に濃い隈を作った男性研究員たちだった。後ろには困惑した表情のエルノも立っている。
「なんだ、朝の保全点検か?」
すでに着替えを終え、室内で腕立て伏せを千回ほどこなしていた一真が、汗ひとつかかずにスッと立ち上がった。
「ちょっとこれを見てちょうだい! あなたほどの絶大な素養があるなら、この不調な装置を動かせるかもしれないわ!」
研究員の一人が抱えてきたのは、金属と水晶、細かな銀の配線で組み上げられた、小型の金庫ほどの大きさの箱――『汎用型魔導コンピュート装置』だった。街の魔導回路の出力を制御するための基幹ユニットらしい。
「この装置、内部の魔力変換炉は正常に励起しているはずなのに、なぜか信号が端末まで届かないのよ! 理由がさっぱり分からなくて……!」
研究員たちが頭を抱えて捲し立てる中、一真は腕を組み、その装置の側面に設置された銀色の接続端子をジッと見つめた。
「……これ、ジャックの接続が逆じゃないか?」
「……は?」
研究員たちが一瞬、フリーズした。
「ほら、ここだ」
一真は太い指先で金属端子を指し示した。
「赤の識別ラインが入っている側が『入力』で、黒側が『出力』だろ。陸上自衛隊の野外通信機でもよくある初歩的なミスだ。お前たち、逆向きに力ずくで押し込んで接続しているぞ」
「えっ……いや、でもこれは古代の伝承通りに配置した回路で……」
「論より証拠だ」
カチャ。
一真が無骨な手つきで端子をカチリと抜き、正しく反転させてジャックに差し直した。
ブォォォン――!
直後、魔導装置の内部から心地よい駆動音が響き渡り、表面の水晶球が鮮やかな青色の光を強く放ち始めた。部屋の天井を照らすほど眩い正常動作の光だ。
「えええええっ!? 動いたぁぁぁっ!?」
「な、なにしたの!? 古代の呪文も唱えずに、触っただけで修復した!? どんな高等魔術を用いたんだ!?」
研究員たちが目を丸くしてガタガタと震え出す。
「いや……ただ配線の向きを物理的に直しただけなんだがな」
一真が困惑気味に肩をすくめる中、ベッドの上からその様子を見ていたまひるの目が、エンジニアとしての好奇心でギラリと光った。
「ちょっと待って……その装置の内部で流れてる制御信号のパターン……」
まひるはベッドから飛び起きると、スッと魔導装置の表面で明滅する光のシグナルを凝視した。
「これ……命令のヘッダー定義とループ処理の構造、JavaScriptの構文にめちゃくちゃ似てる……! 非同期処理のコールバック関数まで入ってるじゃん!」
「む、娘さん? 何を言っているのか理解できないが……」
「パパ! 私のノートPCのUSBケーブルと、この装置のデバッグ用端子、金属線で直結してみて!」
「よし、任せろ」
一真は作業工具代わりに腰のポーチから取り出したマルチツールを使い、まひるのUSB Type-Cケーブルの被覆を器用に剥ぐと、魔導装置の銅線端子へ見事に圧着(ハンダ付けなしの仮接続)してみせた。
「物理層の接続、完了だ」
「ナイスパパ! ローカル環境からシリアル通信プロトコル開くよ……ターゲット検出……よし、通った!」
まひるが高速でキーボードを打鍵する。
カカカカカコンッ!
ノートPCの画面上に、魔導装置内部のコード――魔法の構成要素が、テキストデータとして一気に吐き出された。
「うわ……なにこの非効率なコード! 無駄な入れ子構造が多すぎるし、メモリリークしまくってるじゃん! これじゃ処理落ちして止まるのも当たり前だよ!」
まひるの指先が、鍵盤を滑るように激しく舞った。
// 異世界魔導式の最適化リファクタリング
不要なループ処理の削除。
アロケーション(割り当て)の最適化。
構文の簡略化と、キャッシュ処理の追記。
わずか三分。
まひるが最後のエンターキーを力強く叩き込んだ。
タァンッ!
『コンパイル完了。ターゲット・リファクタリング成功』
ブシャアアアアッ!!
魔導装置から、先ほどの十倍近い密度の鮮烈な青光が噴き出した。宿舎全体が微振動し、部屋の外の街路灯が一斉に太陽のような眩しさで輝き始める。処理速度が従来の数百倍へと爆増した証拠だった。
「ひ、悲鳴を上げるほどの処理能力……!? 装置が……古代の完全版を超えて進化している……!?」
研究員たちはあまりの衝撃に膝から崩れ落ち、拝むようにまひるを見つめた。
まひるはノートPCの画面を閉じ、フッと得意気な笑みを浮かべて父親を見上げた。
「……ねえパパ」
「なんだ、まひる」
「私、たぶん……この世界でもプログラマーとして無双できる」
「うむ。俺も自衛隊の訓練教官として十分やっていけそうだ」
異世界の常識を物理(自衛隊)と論理(IT)で踏み荒らしていく東雲父娘の、波乱に満ちた新生活が、ここに本格的なスタートを切ったのだった。
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