第21話「お姫様と父、まさかの“護身術ラブコメ”展開に突入する件」
レルファリア王城・第一訓練場の朝は早い。
湿り気を含んだ朝の空気に、打ち打ちされる木剣の音や騎士たちの掛け声が反響する――はずの場所は、今や異例の事態に包まれていた。
昨夜、王都中央魔導塔を襲撃した地下犯罪組織“ノクターン”の精鋭部隊。
彼らは全員、一真の容赦なき近接格闘によって魔導石の頑丈な壁面へ深々と肉体ごと叩き込まれ、身動き一つ取れない状態で捕縛された。
今朝の訓練場脇では、王立工兵隊の技師たちがノミやハンマー、鉱山用の魔導ジャッキを手に、「ひいひい」と情けない悲鳴を上げながら、壁に埋まった黒装束の男たちを傷つけないよう“慎重に掘り起こす”という、あまりにもシュールで凄惨な救出作業が延々と繰り広げられていた。
「おい、足首の周りの石を崩すぞ! 刺激するなよ、骨が折れてるかもしれないからな!」
「くそっ、どんな腕力をすれば人間が岩盤に二重にめり込むんだ……! 魔法の痕跡が一切ないぞ……!」
技師たちの戦々恐々とした声が響く中、王城の白磁の廊下を、パタパタと軽快で、かつ切迫した足音が駆け抜けていた。
「まひる様! まひる様はいらっしゃいますか……っ!?」
輝く金髪を揺らし、シルクのドレスの裾を少しだけ持ち上げて走るのは、このレグナス王国の第一王女・ユリシアであった。
普段は知的で凛とした優雅さを崩さない彼女だが、今はその白皙の頬が鮮やかな朱に染まり、胸元に当てた手が小さく震えている。背後にいるはずの厳めしい近衛の侍女や護衛たちを撒いて一人で行動しているあたり、彼女の「本気度」は尋常ではなかった。
「ふぅ……ハァ……っ。お父上……っ!」
訓練場の入口にたどり着いたユリシアの視線の先。
そこには、朝の柔らかい日差しを浴びながら、黒のフィットTシャツ姿で腕や背筋の入念なストレッチを行っている一真の姿があった。広範囲な可動域を確保するためのミリタリー・フレックス運動。その背背筋の凹凸が動くたびに、肉体の圧倒的な強靭さが嫌でも伝わってくる。
「ん?……なんだ、王女か。朝から精が出るな」
汗をタオルで拭いながら振り返る一真。
その木陰で、折りたたみ椅子に深く腰掛け、朝のミルクティーを飲んでいたまひるは、ユリシアの尋常ではない熱気と赤らんだ顔を見た瞬間、全身の毛穴が収縮するような胸騒ぎを覚えた。
「あ、アカン……やな予感しかせぇへん……」
まひるの嫌な予感は、一秒と置かずに現実のものとなった。
ユリシアは胸の前で細い両手を力強く握りしめ、上目遣いで一真の真っ直ぐな瞳を射抜いたのだ。
「お父上! お願いがございますっ! わたくし、昨日のお父上の戦いぶり……あの悪徒どもを一瞬で無力化された圧倒的な身体運動を目の当たりにし、確信いたしました! あの無駄のない動き……あれこそが、わたくしが探し求めていた理想の“護身術”でございます!」
「理想のって……ユリシアさん、あれただの人間力技っていうか、物理的な破壊活動だったよ……?」
思わず口を挟むまひるのツッコミを、ユリシアの熱量が完全に置き去りにする。
「どうか! わたくしにもご指導を賜りたいのです! 一真流護身術の神髄、この身に叩き込んでくださいませっ!」
王国の第一王女が、黒Tシャツの男に向かって深々と頭を下げ、直伝を乞う。常識的に考えれば断るか、あるいは適当な武術師範を紹介して流す場面であった。
しかし――一真の黒い瞳が、カッと怪しいまでの光を帯びた。
「……よし、いいぞ」
「えぇぇぇっ!? 受けて立つの!? 考え直してパパ!!」
「そういえば、娘のまひるにも本格的な徒手格闘を教えていなかったな。良い機会だ。ユリシア、護身術の基本は『相手の力を利用した支点の形成』と『不可逆的な体幹の破壊』だ。まずは基礎の『逆手一本背負い』から叩き込む」
「ちょっと待って、技名からして『護身』の枠を盛大にはみ出してるんだけど!?」
まひるの悲鳴のようなツッコミも虚しく、二人は即座に訓練場の中央へと移動した。
一真の手によって、地面には衝撃吸収用の分厚い藁マットが敷き詰められる。
「いいか、ユリシア。相手が手首を掴んできた瞬間、引き込もうとするな。むしろ相手の間合いへ一歩踏み込み、肘関節の下に自分の肩を支点として滑り込ませる。同時に、腰を沈めて相手の重心を宙に浮かせるんだ。こうだ――」
「はわわわっ!? こ、腰が……身体が浮きますわぁぁっ!?」
「焦るな、軸をぶれさせるな。ここから遠心力と自重を乗せて――投げる!」
「――きゃああぁぁぁぁっ!?」
朝日が射し込む訓練場の大空に、金髪をなびかせた王女の華奢な体が美しい描線を描いて舞った。
空中での三回転半。受身すら取る余地を与えられない完璧な重心操作。
ドサッ! と、ふかふかの藁マットの上に背中から落とされるユリシア。
遠巻きに見守っていた近衛騎士たちが「ひぃっ! 王女殿下が投げ飛ばされたぁっ!?」と青ざめて腰を抜かしている横で、まひるは額を押さえて天を仰いだ。
「王女様が背負い投げの練習で空中三回転して着地する絵面、異世界コメディのバグとしても濃すぎるでしょ……」
だが、藁の中から起き上がったユリシアの表情には、恐怖も怒りも微塵もなかった。
むしろ、乱れた髪をそのままに、その瞳は輝かしく爛々と燃え上がっていたのだ。
「……す、素晴らしいですわ……! 相手の力を流し、一瞬で視界が反転するこの感覚……! お父上、もう一度! もう一度お願いいたしますっ!」
「……お父上?」
まひるの耳が、その決定的な単語を聞き逃さなかった。
「ねえ、またまたごく普通に『お父上』って言った!? 王女様!? 私の父親だよ!? あなたと一血の繋がりも二親等も掠ってすらないからね!?」
まひるの必死の指摘に対し、ユリシアは両手を胸の前でギュッと合わせ、耳の尖端まで真赤に染め上げながら、甘い溜息を吐き出した。
「……一真様のご指導を受けておりますと、胸の奥が……こう、温かく、確かな安心感で満たされるのです。わたくし、幼少より『王女』として厳しく育てられ、甘えることなど許されませんでした……。一真様のあの厳しくも包み込むような眼光……これが、父親というものの……愛情……なのでしょうか……っ」
「ラブコメの波動来たァァァーーーー!!? いやそれ、ただの巨大な父性への勘違いだから! 頼りになりすぎるおじさんに落ちかけてる乙女の構図だからぁぁぁ!!」
まひるの絶叫虚しく、広大な訓練場にはその後も「王女の身体が軽やかに宙を舞い、藁の上に吸い込まれる」という、あまりにも怪奇で微笑ましい光景が昼近くまで繰り広げられるのだった。
同日の午後。
王城の深部、厳重な魔法結界と近衛兵によって守られた「戦略特別会議室」。
重厚なオーク材のテーブルを囲むのは、胸元に無数の勲章を光らせた王国軍の最高幹部、魔導技師長、そして暗部を統括する重鎮たち。部屋の空気は重く沈み込み、テーブル中央に投影された立体魔導光像の地図が、青白く不吉な光を放っていた。
まひるは一真の斜め後ろの椅子に腰掛け、ノートPCを抱えながら、その重苦しい雰囲気に胃を痛めていた。
「……“ノクターン”の残党および、その上位組織の動きが急速に活発化しています」
黒いローブを纏った暗部総括長が、低い声で光像の地図を指し示した。
「王都レルファリアの外部――複数の有力商会、果ては地方貴族の裏ルートにまで、莫大な資金と高純度の危険魔具が流入している形跡が確認されました」
光像の上に、赤い光の点が次々と点灯していく。
それらはレルファリアを取り囲む主要な交易路や外郭都市の要所に合致していた。
「これは……まさか、レルファリアを物理的に包囲し、孤立させる気か?」
「いえ、現時点においては経済的な混乱と、内部への極秘潜入・工作活動が主体と推測されます。ですが……準備が整い次第、外部からの大規模な同時多発襲撃に踏み切る恐れが極めて高い」
「魔導の心臓部たる、この学都レルファリアを壊滅させるつもりか……!」
将軍たちが拳を握り締め、苦々しい表情で唸る。
そのやり取りを静かに聞いていたエルミナが、無感情な声でぽつりと呟いた。
「……魔導学都が、狙われている」
その言葉が引き金となり、まひるの脳裏に冷たい悪寒が奔った。
「……ねえ、ちょっと待って。私たち、今まさにその『狙われてる王都のど真ん中』に住んでるよね……? 私の学校も、下宿先も、全部ここにあるんだよね……?」
「――つまり、まひるに危険が及ぶ可能性がある、ということだな」
それまで腕を組み、静かに目をつぶっていた一真が、ゆっくりと瞼を開いた。
その瞬間、会議室内の温度が数度下がったかのような錯覚を覚えるほどの、圧倒的な威圧感と殺気が室内に満ちた。
「守る。まひるが暮らし、通うこの場所を……害なす者が現れるなら、何があっても根絶する」
一真の低く響く声には、一切の躊躇も迷いもなかった。
地図を睨みつけるその瞳は、すでに一人の父親としてではなく、戦場を支配する絶対的な「指揮官」のそれに変貌していた。
「一真殿……! あなたの個としての圧倒的戦闘能力、そして戦術的洞察力は、敵にとっても最大の誤算であり脅威です。ですから、この王都防衛作戦の要として……」
「俺が前線に出る。作戦の指揮も俺が執る」
「っ……!」
一真の即答に、参謀たちからどよめきと安堵の吐息が漏れる。
その横で、ユリシア王女は胸元に両手を当て、瞳に溢れんばかりの信頼と熱を宿して一真を見つめた。
「父上……! 正直、わたくしは不安でした……。ですが、父上がいてくだされば……わたくし、この国の未来を、そして父上を信じていられますわ!」
「いやだから『父上』呼びが定着しつつあるのをどうにかしてぇぇぇ!!」
まひるの絶叫ツッコミが入るも、ユリシアは頬を染めたまま「お父上……」と陶酔するように呟いている。王国の象徴たる第一王女が、完全に他人の父親に精神的依存を果たしている光景は、もはや恐怖すら感じさせた。
だが、一真はまひるの混乱をよそに、静かに娘の頭へと大きな手を乗せた。
ゴツゴツとした、しかし温かく力強い手が、まひるの髪を優しく撫でる。
「まひる」
「な、なに……?」
「お前を戦場に巻き込むつもりはない。だが、遠ざけもしない。お前の持つ『力』も、この作戦には不可欠だ」
「え……? 私の力……?」
一真は、まひるが大事そうに抱えていたノートPCと、ポケットから覗くスマートフォンに視線を落とした。
「お前のPC技術、そして現代の情報処理能力だ。この世界の魔導通信や転送術式の波形データ……お前の解析能力を使えば、敵の通信クラッキングや位置特定、防衛線の最適化が一瞬で可能になる。お前は俺の『最高情報参謀』だ」
一真の言葉に、まひるは息をのんだ。
単なる「守られるだけの無力な娘」としてではなく、現代知識を持った対等な「相棒」として、父親が自分を必要としてくれている。その事実が、胸の奥を熱く震わせた。
「いいか、まひる。ここからは親子揃って……本気を出すぞ」
一真の唇の端が、不敵な笑みとなって吊り上がった。
異世界に転移してから数日。破天荒な父と、苦労性の娘。
二人が真の「最強親子ペア」としてこの世界の命運を動かす時が、ついに訪れようとしていた。
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