第20話「王都に迫る黒き影。父、ついに国家戦力に認定される件」
レグナス王国の首都、魔導学都レルファリアの早朝。
朝靄がうっすらと石畳の街路を覆い、遠くの魔導鐘が清涼な音色を響かせる。焼き立てのパンの香ばしい匂いが漂い、早起きの職人や学生たちが穏やかな日常の始まりを噛みしめながら行き交っていた――本来であれば、それはどこまでも平和で無害な一日になるはずだった。
だが、街の繁華街から一本外れた、日差しすら届かない人気の絶えた裏路地。
湿った苔と古びた石壁の匂いが充満する暗がりの中で、深いフードを被った数人の影が、息を潜めて不吉な密談を交わしていた。
「……“ノクターン”の本格的な侵攻作戦は今夜だ。標的は王都中央にそびえる中央魔導塔。昨日、王立鉱山から極秘裏に搬入された例の〈黒雷の核結晶〉……あれを奪取する」
「フン、国の連中や近衛騎士団どもは鼻高々に厳重保管を誇っているが、我ら暗躍のプロにとっては赤子の手をひねるようなもの。奴らが平和ボケした眠りから覚めぬうちに、闇はすでに王都の深層まで根を張っているのだからな」
低いダミ声に応じるように、闇の奥からもう一つ、金属が擦れ合うような冷酷な笑い声が漏れた。
「さて……我らの前に立ちふさがる愚か者がいれば、片っ端から骨ごと噛み砕き、消し去るまでだ」
不気味な殺気を漂わせる暗殺者たち。
しかしこの時、彼らはまだ露ほども知らなかった。
この王都には――“愚か者”や“王国の騎士”といった概念を遥かに超越した、理外の“最強の父”がすでに牙を研いで存在しているという事実に。
同じ頃。王城の北側に位置する、広大な敷地を誇る近衛騎士団訓練場。
「――甘い! 次! 君、ナイフの保持角度が浅い! 順手で握るな、逆手で柄を包み込み、手首の可動域を限界まで確保しろ! 魔導火器の射撃姿勢もそうだ、威力に気を取られるな! 反動を受け止める体幹の安定こそが命だ! あと足の幅が狭い、あと三センチ開けろ!」
「は、はいっ! 申し訳ございませんっ、教官!!」
「す、すごすぎる……なんて無駄のない洗練された身体運動なんだ……!」
朝日に照らされた砂煙の上がるグラウンドで、王国が誇る最精鋭・近衛騎士団のエリートたちが、全身汗だくになりながら泥にまみれて絶叫していた。
白銀の甲冑は脱ぎ捨てられ、全員が揃いの簡易錬成服姿。息を荒らげ、膝をガクガクと震わせながらも、眼前で鋭い眼光を放つ男の指示に必死で食らいついている。
教官役として鋭い怒号を飛ばしているのは――もちろん、一真だった。
黒のフィットTシャツに迷彩柄のカーゴパンツ、手首にはパラコードブレス。数日前に王宮の晩餐会で料理長たちを屈服させた男は、翌日から「近衛騎士団の防衛ラインと初動体制の質が低すぎる」とブチ切れ、勝手に訓練場へ乗り込んで直接指導を開始。今日で早くも三日目が経過していた。
「……ねえ。なんでパパが王国のトップエリート騎士たちを犬みたいにしごいてるの……? いつの間に国家の指導教官に就任したの……?」
訓練場を見下ろす大きな楠の木陰。
そこには折りたたみ式の豪奢な椅子とテーブルが持ち込まれ、日傘をさした第一王女ユリシアと、小さなパイプ椅子に座るエルミナ、そして頭を抱えるまひるの姿があった。
「素晴らしい……実に素晴らしい技術と指導論ですわ、まひるさん」
ユリシアは優雅にハーブティーのカップを傾けながら、熱っぽい瞳でグラウンドの一真を見つめている。
「無駄な魔力消費を抑え、純粋な物理運動と人間工学に基づいた近接格闘術……我が国の騎士団に最も欠けていた『実戦における生存率の向上』が、一真殿の手によって数時間単位で底上げされております。……わたくしも是非、後で直々に護身術の指導を……!」
「絶対にダメです!! ユリシアさんの立場での護身術って、絶対関節技で相手の首をへし折る『軍事殺人訓練レベル』のやつに変化するから絶対やめて!!」
まひるの必死の制止も、訓練場全体を支配する一真の絶対的な熱量にはかき消されていくのだった。
同日の午後。王城の最上階に位置する、重厚なオーク材の扉で閉ざされた軍事最高会議室。
円卓を囲むのは、胸元に無数の勲章を光らせた王国軍の最高幹部や将軍たち。その重々しい空気のただ中に、まひると一真は呼び出されていた。
「一真殿……単刀直入に申し上げます」
白髪の髭を蓄えた王国軍総司令官が、一真に向かって深々と頭を下げた。
「正式に“魔導特別対策要員”および“最高防衛顧問”として、我がレグナス王国に籍を置いてはいただけないでしょうか」
「……つまり?」
一真は腕を組んだまま、ピクリとも表情を変えずに淡々とした声で返す。その鋭い眼光は、最高幹部たちが放つ威厳など一瞬で呑み込んでいた。
「実は……最近、王都周辺において極めて不穏な動きが急増しているのです」
将軍の一人が、青ざめた顔で羊皮紙の資料を広げた。
「“ノクターン”と呼ばれる地下魔導犯罪組織……彼らは従来の法律や決闘のルールに縛られず、殺傷兵器や呪導術を平然と使用する凶悪集団。正直に申し上げれば、平和な治世に慣れきった現在の魔導騎士たちでは、後手に回る可能性が極めて高く……」
「要するに、面倒な害虫駆除を俺に押し付けたい、ということか」
「い、滅相もございません! あくまで頭を下げてお願い申し上げている次第です! 条件や報酬は一真殿の望むままに……!」
将軍たちが揃って腰を低くし、冷や汗を流しながら拝み倒してくる異様な光景。まひるはあまりのプレッシャーと事態のスケールの大きさに、胃がキリキリと痛むのを感じていた。
「……パパ、断るでしょ? 私たち、別にこの国の軍人になりに来たわけじゃないし、そんな危ない面倒ごと――」
まひるが袖を引っ張って辞退を促そうとした、その瞬間。
「――引き受けよう」
「えっ!? なんで即答!? 考える間すら置かないの!?」
一真は静かに立ち上がり、分厚い拳の関節をゴリ、と力強く鳴らした。その瞳の奥には、冷酷なまでに研ぎ澄まされた軍人の光が宿っていた。
「……娘の通う学都や生活圏に不確定な危険要素が存在すること自体が容認できん。娘に害が及ぶ可能性があるなら、根っこごと、組織ごと叩き潰すだけだ」
「いや、もう言ってることの規模が個人の父親じゃなくて『国家の武力行使』レベルなんだよ!!」
まひるのツッコミを置き去りにして、会議室の大人たちは「おおお……!」と感涙を流し、一斉に割れんばかりの拍手喝采を贈った。
「さすが一真殿! 国王陛下の御明察は正しかった……! これで王都の平和は約束されたも同然だ!」
まひるは諦めと脱力感から、ガックリと椅子の上に崩れ落ちるしかなかった。
その日の夜。深い闇に包まれた、王都中央の「中央魔導塔」。
塔の最下層にある重厚な保管庫では、青白い不気味な光を放つ〈黒雷の核結晶〉の搬入作業が、厳重な警備のもとでひっそりと行われていた。
だが、周囲の防衛結界が突如として歪み、闇の中から影のように黒装束の集団が滑り込んできた。
「……ふん、侵入完了だ。通信を遮断し、見張りを無力化しろ」
『こちら、塔周辺警戒部隊! 敵襲、敵襲――ギシャッ!?』
魔導通信機から上がる悲鳴がプツリと途絶える。ノクターンの襲撃部隊は不敵な笑みを浮かべ、保管庫の重厚な魔法鍵へと手を伸ばした。
「よし、完璧だ。あとはこの結晶を奪い去り、王都を恐怖に――」
――ズドォォォォォン!!!!
襲撃犯の言葉は、衝撃波とともに吹き飛んだ。
爆発の音ではない。厚さ一メートルを超える魔導石で補強された塔の外壁が、物理的な圧倒的破壊力によって打ち砕かれ、巨大な拳とともに内側へ向けて豪快に崩落したのだ。
「な、何事だぁっ!? 爆撃か!? 結界はどうした!?」
もうもうと立ち込める粉じんの中、舞い散る石屑を踏み越えて、一人の男がゆっくりと姿を現した。
暗闇の中で不気味に赤く光る暗視ゴーグル。黒のTシャツ。腕組みをしたまま立つその巨躯は、まさに悪夢そのものだった。
「――はい、待ったぁ」
「なっ……何だお前は!? どこから入ってきた!? 何者だ!?」
戸惑いと恐怖で武器を構えるノクターンの構成員たちに対し、一真は暗視ゴーグル越しに冷酷な視線を投げかけた。
「お前ら、俺の娘が暮らす街で犯罪行為を働く前に、父親である俺の許可は取ったか?」
「は……? な、何を狂ったことを言っていやがるこいつは……!?」
「――取っていないな。ならば、申請は即座に却下だ」
その一言が終わるより速く、風を切る音が響いた。
一真の足が硬質土の床を破壊しながら踏み込まれる。次の瞬間、先頭にいた男の視界から一真の姿が消えていた。
「ガハッ……!?」
自衛隊徒手格闘――近接捕縛術。
一真の手腕が蛇のように男の襟首と腕を極め、一切の猶予を与えずに石壁に向かって叩きつける。ドゴォン! と鋭い衝撃音が響き、男の身体が壁にめり込んだ。
「ひっ……!? ひるむな! やれーっ!」
「無駄だ」
暗闇の中で繰り広げられたのは、戦闘ではなく純粋な「制圧作業」だった。
関節を折り、可動域を殺し、投げ飛ばし、次々と壁や床の石組みの中へと力任せにめり込ませて動殺していく。刃物も魔法も、一真の体幹と間合いの見切り点の前には一切の価値をなさなかった。
翌朝。王都全体は、早朝から前代未聞の騒然とした熱気に包まれていた。
王都中央魔導塔への襲撃犯――犯罪組織ノクターンの精鋭部隊、全員捕縛。
防衛側の被害、ゼロ。
魔導塔の損傷は壁の一部に留まったが、その捕縛方法が「犯人たちを肉体ごと壁に深くめり込ませて完全拘束した」という、前代未聞かつ極めて物理的な手法であったと報道されたからだ。
朝の街頭で配られた『レグナス王国新聞』の号外。その一面には、巨大な太文字でこう打たれていた。
『正体不明の“黒T戦士”、魔導犯罪組織ノクターンを一夜で完全壊滅!』
朝の眩しい光が差し込む下宿先の食卓で、号外の記事を見つめながら、まひるは深い深いため息をついて頭を抱えた。
「……ねえ、エルミナちゃん。うちのパパ、もはや異世界コミカルのバグとかそういう次元じゃなくて、この世界のルールそのものを上書きして書き換えてない……?」
隣で静かにトーストをかじっていたエルミナは、琥珀色の瞳を号外に向けた後、淡々と、けれど確信を込めて呟いた。
「……お父様は、バグではない。……お父様ご自身が、この世界の『新しい絶対ルール』になった。……とても、安全」
「安全かもしれないけど、私の胃腸が絶対保たないからねぇぇぇ!!」
娘の平穏と学都の安全を守るため、国家戦力へと昇格(?)した最強の父親は、今日も今日とて庭で「次なる脅威」に備えた筋トレに励むのであった。
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