第18話「娘が王子様に告白された件について父が全力で止めに入る件」
石造りの歴史ある街並みに、魔導燈の柔らかな光が朝霧を払っていく。魔導学都レルファリアの朝は、本来であれば澄んだ空気と、早起きした学生たちが歩道を踏み鳴らす規則正しい足音に包まれる、平穏そのものの時間になるはずだった。
少なくとも、まひるが下宿先から学都のメインストリートへと足を踏み入れたその瞬間までは。
「まひる殿。お願いです、俺と結婚していただけませんか!!」
「……へ?」
耳を疑うような言葉が石畳の通りに響き渡り、まひるは足を踏み止めたまま硬直した。
まひるの目の前で、音もなく片膝をついた人物がいる。地面を打つ白革のブーツ、擦れ合う絹地の衣擦れの音。まるで一枚の絵画、あるいは幼い頃に開いた絵本からそのまま実体化して飛び出してきたかのような青年だった。
陽光を反射して眩いばかりに輝く黄金の髪。吸い込まれそうなほど澄んだ碧眼。身に纏っているのは、細やかな金糸の刺繍が施された白と紺青の絢爛たる礼装だ。腰の帯からは、宝石で飾られた繊細な細剣の鞘が下がり、朝の光を弾いてきらめいている。
その顔立ちは完璧な左右対称を描いており、一分の隙もない美形。どこからどう見ても、文句のつけようがない「王子様」であった。
――いや、単なる例えではなく、本当に本物の王子様だった。
「俺はレグナス王国・第二王子、エルヴァン・レグナス。まひる殿、あなたを見た瞬間、胸の奧で雷に打たれたような衝撃を感じたのです……! この魂の震えこそ、運命に他なりません!」
エルヴァンは右手を大げさに胸に当て、熱狂を帯びた瞳でまひるを見上げてくる。その仕草一つひとつが無駄に洗練されており、周囲の空気を勝手にドラマチックな舞台へと変えてしまっていた。
「いや、待って。初対面だよね!? ていうか挨拶と自己紹介の直後にプロポーズって、テンポが早すぎるというか、段階を飛び越えすぎじゃない!?」
まひるは引いた足の裏に伝わる冷たい石畳の感覚でどうにか正気を保ちながら、ぶんぶんと手を振ってツッコミを入れた。突如として叩きつけられた巨大すぎる好意に、心臓が警報のような早打ちを始めている。
「初対面だからこそ純粋な想いなのです! 理屈や時間を超越したひらめきこそが、真実の愛の証!」
(なんだこの異世界テンプレそのままの暴走王子は――!?)
まひるはこめかみを引きつらせ、頭を抱えそうになった。周囲を見渡せば、登校中の魔導士の卵たちや学都の住人たちが足を止め、遠巻きにこちらを注視している。ひそひそという噂話の波が、徐々に大きなざわめきとなって広がり始めていた。
その時。
困惑に立ち尽くすまひるの背後から、一切の足音を立てずに、巨大で不穏な影がゆっくりと立ち上がった。
「……娘を口説く前に、まずは俺を納得させてもらおうか」
低く、重厚で、絶対的な圧迫感を伴う声。
振り返らなくてもわかる。そこに立っているのは、トレーニング用の黒い半袖Tシャツに、使い古された迷彩柄のカーゴパンツという、魔導学都の景観から完全に浮き上がりまくっている異彩の男――まひるの父親、一真であった。
丸太のように太い腕には、激しい鍛錬の歴史を物語る筋が浮き出ており、Tシャツ越しでもわかる肉体の厚みが、背後の日差しを遮って王子の上に巨大な影を落としている。
「は、はじめまして。あなたがまひる殿の……お父上、ですか?」
エルヴァン王子はひざまずいた姿勢のまま首を上げ、思わずゴクリと喉を鳴らした。眼前に立ちはだかる男から発せられる、目に見えそうなほどの濃密な覇気に、本能的な危機感を覚えたらしい。
「ああ、父親だ。“空挺レンジャー・一真”。対テロ特殊任務班隊長」
一真は腕を組み、冷酷なまでに鋭い眼光で王子を見下ろした。その立ち姿は隙がなく、いつどの角度から攻撃が来ても即座に相手の関節を折り、無力化できる完璧な戦闘態勢そのものだった。
「……テロ? タイチョ……?」
王子は聞き覚えのない単語に首をかしげ、動揺を隠せない。
ここ魔導学都レルファリアや周辺諸国では、争いといえば「魔導士同士の決闘」や「魔獣の討伐」が主流であり、現代地球における組織的な軍事行動や「対テロ」といった概念は極めて薄い。相手が提示した肩書きがどれほどヤバい領域のものなのか正確に理解できないことが、逆に未知の恐怖となって王子の脊髄を駆け抜けていた。
「というか、パパ何でここにいるの!? ここ学都の中だよ!? 宿から普通に外を歩いてついてきたの!?」
まひるは恐怖に顔を強張らせながら、一真の袖を引っ張って叫んだ。一真は表情一つ変えず、ポケットから小型の液晶画面がついた黒い端末を取り出し、親指で画面を指し示した。
「GPSでお前の動きをリアルタイムで追っていた」
「いや怖っ!? 娘の行動ログをリアルタイム追跡するのやめて!? プライバシーって言葉知ってる!?」
実の父親による完璧すぎる監視体制にまひるが戦慄していると、通りを割って足音が近づいてきた。カツン、カツンと、硬いヒールが石畳を打ち鳴らす規則正しく気品に満ちた足音。
「やれやれ……また王子の“稲妻プロポーズ”か……」
ため息まじりの声と共に現れたのは、見事な銀髪を優雅にまとめた麗人だった。
濃紺のシルクドレスに身を包み、知性溢れる涼やかな瞳で弟を見下ろしている。レグナス王国第一王女にして、エルヴァン王子の実姉――ユリシア・レグナスである。
「弟が大変な失礼をいたしました、まひるさん。彼、昔から直感で動く癖がありまして……一度『これだ』と思うと、相手の都合も考えずにすぐ求婚してしまう悪癖があるのです」
「いやそれ、姉として放置しちゃ絶対にダメな危険案件だと思うんですけど……!?」
「ですが、実に珍しいことですわ」
ユリシアは口元に手を当て、どこか感心したようにまひるを観察する。
「これまで彼が声をかけた女性たちは、王子の身分に恐れをなすか、あるいは顔立ちに惑わされて愛想笑いを浮かべるばかりで、まともに相手にすらされませんでしたの。こうして真正面からツッコミを入れ、対等に会話を成立させているまひるさんは、ある意味で実に素晴らしい」
「フォローの方向性がいろいろとおかしいよね!?」
まひるの悲鳴のような叫びが響くが、周囲の野次馬たちの熱気は高まる一方だった。
「おい、見ろよ……あの娘、レグナス王国の王女様と対等に話してるぞ」「第一王子じゃなくて第二王子とはいえ、王族の求婚だろ?」「まさかあの子が、将来の王妃候補になるのか……!?」
通りに集まった魔導士の卵や学都の関係者たちが、羨望と好奇の混ざった視線をまひるに向け、ひそひそと囁き合っていた。
その日の夜。
学都の片隅にある、つつましくも清潔な自宅の食卓。中央に置かれた鍋からは、野菜と肉の甘い出汁の湯気が立ち上り、室内には芳醇な香りが充満していた。
しかし、まひるは温かいスープに手を伸ばす気力すらなく、テーブルに肘をついてぐったりと頭を抱えていた。
「まさか異世界にまで来て、突発的な結婚フラグに命がけで追われることになるとは思わなかった……」
「心配するな、まひる」
一真は目の前のアツアツの鍋を見つめたまま、地獄の底から響くような低い声で言った。
「相手が王子だろうが、どこぞの国王だろうが関係ない。俺の命がある限り、お前を政治の道具や男の気まぐれに渡す気は一切ない」
「ちょっとは渡す気持ってよ! 一生独身でいろってこと!? それはそれで嫌なんだけど!?」
親子のいつもの押し問答を、ゲストとして食卓の端に座っていたエルミナが、木製スプーンを手に持ちながら淡々と眺めていた。彼女は器から一口スープを運ぶと、静かな声で事実関係を整理するように告げる。
「……レグナス王国の法において、王族と民間人の婚姻には本来、国王陛下の正式な親裁が必要とされる。けれど、第二王子エルヴァン殿下は王位継承順位が低く、王家の勢力拡大を期待されていない自由枠。だからこそ……彼の本気度次第では、押し切られる可能性は十分にある。割とガチな案件」
「どこ情報!? ていうかエルミナちゃん、なんでそんな王家の内部事情に詳しいの!? そしてガチなのは一番困るんだけど!?」
まひるが頭を掻きむしって叫ぶ中、一真はおもむろに立ち上がった。
そして、ぐつぐつと煮立つ鍋の金属製のフタを、ガバッと勢いよく開けた。激しい湯気が一真の鋭い顔立ちを覆い隠す。
「明日から、対王族専用近接格闘訓練および要人警戒シミュレーションを実施する」
「だから! それやったら完全に国家間の戦争になるからやめてぇぇぇ!!」
同時刻。絢爛豪華な調度品で飾られた、レグナス王宮の一室。
壁に掛けられた巨大なタペストリーの陰で、第二王子エルヴァンは、姉であるユリシアから射抜くような厳しい視線を浴びていた。
「……まひるさん、誰が見ても明らかに困り果てていたでしょう。自分の唐突な感情だけで突っ走るその身勝手な振る舞い、いい加減にしなさい」
ユリシアは腕を組み、冷ややかな声音で弟を糾弾する。
「し、しかし姉上! あれは決して気まぐれなどではありません! 私の魂が、彼女こそが生涯の伴侶だと叫んでいたのです! あれぞまさに運命の出会い!」
「運命ではなく、単なるあなたの妄想と暴走です」
「ぬああああっ! 厳しい! 姉上の言葉が刃のように胸に刺さる……っ!」
エルヴァンは頭を抱えて頭髪をくしゃくしゃにし、豪華な絨毯の上で悶絶した。
異世界の王子の恋路もまた、前途多難な茨の道であるようだった。
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