第15話「学園祭は戦場!?娘の出し物に父、全力で手を出す件」
魔導学園-《セレフ・アカデミア》の広大な敷地は、一年に一度の狂乱――《蒼輝祭》の熱気に包み込まれていた。
中央広場を縁取る石造りのアーケードには、色鮮やかな魔導提灯が連なり、微弱なマナを帯びた朱や金の光が石畳を柔らかく照らしている。模擬店からは焦げた香辛料の匂いや、果実を煮詰めた甘い蜜の気が混じり合い、空中を漂っていた。行き交う生徒たちの歓声、魔導楽器が奏でる軽快な旋律、そして露店から上がる蒸気の音が重なり合い、学園全体が独特の昂揚感で揺れている。
そんな賑わいの中心からやや離れた特別校舎の一角。
使い込まれた真鍮の実験台と、青く明滅するマナ水晶の配線が網の目のように巡らされた部屋――《魔導工学研究会》の部室でも、熱を帯びた議論が佳境を迎えていた。
「いいか皆、今年の我ら《魔導工学研究会》の出し物は――魔導喫茶-《スチームパフェ》に決定する!」
研究会長が真鍮製の差し棒で黒板を勢いよく叩き、宣言した。
普段の彼らは、複雑怪奇な魔導回路の基礎理論を貪り、深夜まで演算用魔石の熱暴走と戦う理系オタク集団だ。薄暗い部室でハンダの煙と羊皮紙の匂いに塗れていたギークな面々が、今や全員、目を血走らせて腕を組んでいる。彼らの目的は単なる祭りでの出店ではない。“魔導技術と最先端甘味理論の融合”という、極めて学術的かつ自己満足的な実験場を構築することにあった。
「うちの売りは、既存の調理法を一切排し、高精度魔導機構によって物質の分子構成からダイレクトに生成する究極のスイーツよ! 見なさい、このアイスクリームを!」
副会長の女子生徒が、無機質な金属製の筒に魔導力を流し込む。シュコーッと乾いた排気音が響き、ガラス管の内部で幾何学模様の魔導陣が青白く発光した。管の先から、寸分の狂いもない綺麗な円錐形を描いて真っ白なアイスが絞り出される。金属質のトレイに落ちたアイスは、室内の温湿度に一切左右されず、完璧な形状を維持していた。
「原料は純粋な水と、空間から励起させた純粋な魔素だけよ! 乳脂も砂糖も不使用、だが脳に『最高級の甘味』と錯覚させる擬似信号分子を完璧に組み込んであるわ!」
「ふおお……時間が経っても一切溶けない……!?」「結露すら最小限に抑えられているなんて……完全に趣味全開だねこれ!」
部員たちが実験台を囲み、唾を飲み込みながら興奮の声を上げる。
まひるもまた、白衣の袖を折り返し、調整用ドライバーを握り締めながら満足げに息を吐いた。ここまでの調整には幾晩もの徹夜を要したが、仲間たちと共に「普通の学園生活」を謳歌しているという確かな手応えがあった。
――その時だった。
室内の温度が、唐突にコンマ数度ほど下がったような錯覚。
真鍮管を流れる魔導力の微振動がピタリと止まり、まひるの項の産毛がゾワリと逆立った。足音も、気配も、空気を揺らす揺らぎすら存在しない。ただ「それ」は、至近距離に忽然と出現していた。
「まひる、祭りか?」
「っ――!?」
背後から耳元に届いた低く静かな声に、まひるの肩が跳ね上がるように強張った。
手にしたドライバーを落としそうになりながら勢いよく振り返ると、そこには使い古された革のコートを羽織り、腕を組んで佇む実の父親――一真の姿があった。
「……来たな、災厄の源……」
まひるは半眼になり、引き攣った笑みを浮かべながら身構えた。一真の全身からは何ら殺気も魔力も漏れ出ていない。しかし、その無害に見える佇まいこそが、かつて幾つもの戦場を更地に変えてきた「規格外の怪物」である証拠だった。
「失礼な。年頃の娘がどのような文化活動に勤しんでいるか、親として興味を持つのは極めて健全な心理だろう」
「違う! 普通の親ならそうだけど、パパが関わると全部“軍事演習”に化けるの! 忘れたの!? 去年の地域清掃で『効率化』って言って熱圧縮魔導爆薬を持ち出そうとしたこと!」
「あの時は落ち葉の体積を最小化する最適解を模索しただけだ。結果的に未遂に終わった。学習はしている」
「結果的に止めたのは私なの! 心が休まらないのよ!」
一真はまひるの必死の抗議に対しても表情一つ変えず、静かに部室の中を見回した。その鋭い眼光が実験台の蒸気装置や、魔素分解ポッドを一瞬でスキャンしていく。
「心外だな。今回はただ、娘が所属する団体の喫茶の手伝いに来ただけだ。裏方として微力ながら労力を提供しよう」
「いや、それが一番怖いんだけど!? パパの『微力』は国家の安全保障条約を揺るがすの!」
まひるの悲痛なツッコミも虚しく、一真は当然のような顔で厨房スペースへと歩みを進めていった。
◆
そして――《蒼輝祭》当日。
「いらっしゃいませーっ! 魔導喫茶-《スチームパフェ》へようこそ!」
表のフロアでは、普段は人と目を合わせるのも苦手な理系メンバーたちが、慣れない給仕服に身を包み、必死の笑顔で接客を行っていた。理系オタクの情熱が実を結び、店内は珍しい魔導スイーツを求める生徒や保護者たちで早くも満席の賑わいを見せている。
しかし、そんな華やかな活気に満ちた接客エリアの真裏――厨房エリアでは、すでに静かな“異常事態”が発生していた。
「一真さん! 一真さん、ちょっと待ってください! 何作ってるんですかそれ!? 今日のメニューのどこにもそんな不気味な色のベースはありませんけど!?」
厨房に飛び込んできたまひるの目に飛び込んできたのは、不気味に七色へ発光する大型の試作型加圧釜と、その前で精密ドライバーを片手に真剣な眼差しでダイヤルを回す一真の背中だった。
「まひるか。騒々しいぞ。これは魔導ナノ粒子を応用した新素材の精製だ。口に入れた瞬間の体温変化と唾液成分の分解速度に反応し、味が『イチゴ』『極上カスタード』『濃縮熟成ワインの香り』へと三段変化する流体構造スイーツ――試作コード《パフェ・オブ・ヘヴン》だ」
「名前がもう物騒!! スイーツの命名に『ヘヴン』とか入れないで! 縁起が悪い!」
「さらに」
一真はまひるの制止を完全に聞き流し、金属製の小さなトレイを指し示した。そこには、見る者の視界を歪ませるような、奇妙な屈折率を持つ透明なゼリー状の物体が載せられていた。
「視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚――五感すべての神経伝達物質に直接介入し、脳内に『至高の幸福感』を誤認させる極限魔導概念スイーツ。コードネーム《GOD舌》も並行して試作している。これならば、どれほど舌の肥えた貴族であっても一瞬で恭順する」
「……ほら!! 『恭順』とか言ってる! 完全にスイーツにかこつけた精神制圧兵器でしょ、それ!!」
まひるは額を押さえ、頭痛に耐えるように天を仰いだ。だが、一真の手際があまりにも完璧すぎたため、一真の作った試作スイーツは、まひるの制止が間に合う前に誤ってフロアへと運ばれてしまっていた。
そして――それが、爆発的な大混乱を引き起こすこととなる。
「……うわっ、なにこれ……!? 一口食べた瞬間、頭の中でオーケストラが鳴り響いたんだけど!?」
「食べた瞬間、脳内に広大な銀河が見えたわ……! 私、今、宇宙とひとつになってる……!」
「おかわり! おかわりできますか!? このパフェ、三次元の言語を超越した概念で愛を告げられた気がするんです!! お金ならいくらでも払います!!」
一口食べた客たちの表情が一変した。瞳孔が大きく見開かれ、頬が蒸気のような赤みに染まり、うわ言のように歓喜の叫びを上げ始める。フロアは一瞬にして、未体験の甘美に魅了された信者たちの狂乱の場へと化した。
「おい、あの店やばいぞ!」「一口で天国が見えるスイーツがあるらしい!」「並べ! 売り切れる前に並ぶんだ!」
口コミはまたたく間に学園内を駆け巡り、《スチームパフェ》の敷地外には、校舎をぐるりと取り囲むほどの長蛇の列が形成された。他のどの模擬店も霞んでしまうほどの、圧巻の目玉出展となったのだ。
だが、その熱狂の渦のすぐ裏で、ひっそりと“闇の来訪者”が行動を開始していた。
「ふふ……ここが噂のカフェですか。異世界からの“転移者”が持ち込んだ技術を使ったスイーツ……実に興味深いですねぇ」
混雑する長蛇の列の影から、身軽な足取りで店内へと滑り込んだ一人の男。深々とフードを被り、光の届かない目元から冷徹な視線を走らせている。
男の正体は、レグナス王国情報局に所属する特務査察官。
表向きは学園祭の安全管理を装っているが、裏の目的は「異世界人の高度すぎる技術が、国家を脅かす禁術や兵器へ転用されていないか」の監視と摘発であった。特に、一真という男の存在は情報局の最重要警戒リストの筆頭に記されている。
(ふん、見たところただの怪しいスイーツ店だが……油断は禁物だ。あの男のことだ、甘味の分子構造に見せかけて精神汚染物質を仕込んでいる可能性も否定できない。国家の安寧のため、私が直接その危険性を確かめてやる……!)
査察官は暗闇からスッとテーブル席につき、冷酷な笑みを浮かべながら《パフェ・オブ・ヘヴン》を注文した。
運ばれてきたグラスの中で、七色に揺らめく不気味な流体。
査察官は懐から取り出した検知用の魔導銀スプーンを握り締め、慎重に一口分を掬い上げた。スプーンに毒素反応はない。だが、油断なく口中へと運ぶ。
(ふふふ……私の鍛え上げられた精神力と舌をごまかせると思うなよ。どのような洗脳魔術が仕込まれていようと、即座に見破って査察報告書を――)
――ポロッ。
査察官の手から、銀のスプーンが力無くこぼれ落ちた。
「……え」
口内に広がる、圧倒的な「相転移」。
温度、湿度、粘度、そして甘味の波が、完璧な計算のもとに脳幹を直接叩く。
イチゴの甘酸っぱさが一瞬で広がり、それが弾けたと思った瞬間、極上のコクを持つカスタードの渦が意識を呑み込む。さらに喉を通る瞬間、芳醇な熟成香が鼻腔を突き抜け、脳内のあらゆるストレスと疲労感を極限の弛緩へと塗り替えていった。
「……これ……す……すご……あ……ほぁ……」
査察官の瞳から光が消え、溢れ出る至福の涙が頬を伝う。
理知的な思考は完全に崩壊し、自制心も、国家への忠誠心も、すべての記憶が完璧な甘味の前に霧散した。
「(昇天)」
ドスン、と鈍い音を立てて、査察官は机に突っ伏した。
そのまま二度と起き上がる気配を見せず、ただ幸福に満ちた寝顔で静かな息を吐き続ける。
後日、王国情報局に提出された公式報告書には、ただ一行こう記されることとなる。
『当該出展物の査察は、担当者の「味覚崩壊に伴う一時的業務不能」により、不問として終了した』。
◆
やがて陽が傾き、空が茜色から深い群青へと染まる頃。長かった《蒼輝祭》も終幕を迎え、中央グランドの大ステージでは出展物の表彰式が執り行われていた。
何千人もの生徒や来場者がステージを取り囲み、眩いばかりの光を放つ魔法照明が壇上を照らし出している。
「――それでは発表します! 今年の《蒼輝祭》最優秀出展賞は――魔導工学研究会-《スチームパフェ》の皆さんです!」
司会者の高らかな宣言とともに、地鳴りのような歓声と惜しみない拍手が会場全体に響き渡った。
理系オタクの部員たちが感極まって抱き合う中、代表としてまひるが少し緊張した足取りで壇上へ上がる。表彰状を受け取り、マイクの前に立った彼女の視界には、無数の笑顔と温かな拍手が広がっていた。
「……ありがとうございます。この賞は、徹夜で準備してくれた研究会の皆の努力と……そして」
まひるはふっと息を漏らし、呆れと可笑しさが混ざったような笑みを浮かべた。
「――私のパパの、全力すぎる“暴走”あってこそのものです!」
まひるの正直すぎるスピーチに、会場からは一斉に大きな爆笑と、この日一番の温かい拍手が巻き起こった。
そんな喧騒の渦から遠く離れた、会場の最背後。
建物の影の中にひっそりと佇み、腕を組んで壇上の娘を見つめる男がいた。
一真は、歓声に包まれるまひるの輝かしい笑顔を瞳に映しながら、静かに口元を緩めた。
「……よくやったな、まひる。お前が望む“普通”の青春が、少しでも守れてたらいいんだが」
娘の成長と、その手が掴み取った平穏な一幕を心から喜びながら、父は誰に声をかけることもなく、影の中に溶け込むようにそっとその場を離れていった。
静かな親心に満ちた、完璧な立ち去り際――のはずだった。
「――パパ!! 厨房の後片付け、全然してないでしょ!! あの奥で赤く点滅してグツグツ言ってる爆発寸前の高圧鍋、何!?」
ステージの上から、遠くの影に向かってまひるの絶叫が響き渡った。
去りかけていた一真の足がピタリと止まる。彼は気まずそうに足を止め、ポリポリと気まずそうに首筋を掻いた。
「……すまん。ナノ粒子の自己崩壊処理を失念していた。あと三分で可視光線を巻き込んで爆発する」
「どこまで行っても“最強の厄災”だよっ!! 全員避難してーっ!?」
感動の表彰式は一瞬にして悲鳴と怒号の避難訓練へと早変わりし、まひるの怒声が秋の夜空高くにどこまでも響き渡っていったのだった。
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