第14話「学園潜入!?娘の平和を守るため、父、女子寮の警備員になる件」
魔導学都レルファリアの中央にそびえ立つ、魔導学園-《セレフ・アカデミア》。
王国レグナス全土から選りすぐりの神童や貴族の矜持を背負った若者たちが集うその場所は、先端魔導技術の実験場であり、同時に厳格な規律によって守られた絶対の聖域でもあった。
だが——その聖域の秩序は、一人の転校生の編入によって早くも未知の振動を起こし始めていた。
「……パパ。一応確認だけどさ、私、昨日も一昨日も『余計なことはしないで』って念を押したよね?」
放課後、夕陽が茜色に染め上げる女子寮の敷地内。
まひるは両手を腰に当て、目の前に立つ高大な影を見上げながら、疲弊しきった声で問いかけた。額には微かに青筋が浮かんでいる。
「仕事だからな。これもすべて、娘の身の安全を完璧に担保するための措置だ」
「女子寮の“夜間警備員”っていうポジションが、どういう理屈で“娘の安全のため”に直結するわけ!? 絶対変な噂が立つでしょ! 『あの転校生の父親、過保護が極まって寮に住み着いた』とか言われたら私、明日からどんな顔して登校すればいいの!?」
まひるの切実な抗議を、一真は一切の動揺を見せずに受け流した。
「学園の理事会および警備統括部からの正式な書面による依頼だ。この女子寮周辺で、ここ数日“人型に類似した正体不明の影”が目撃されているらしくてな。従来の一般警備隊では感知すら困難な高等遮蔽魔法が使われている。……学園長自ら『貴殿の力が必要だ』と頭を下げてきた」
「いや、確かにパパの索敵能力と腕力なら、相手が魔王だろうが異世界から来た伝説の勇者だろうが一撃で粉砕できるだろうけどさ!」
「過剰な評価だな。俺はただの一般人だ」
「……先月、巨大な竜種を素手で叩き落として『害鳥駆除だ』って言い切った過去をお忘れですか!?」
まひるが指差した先——そこに建つ女子寮-《フローラ・ドミス》は、まさに白亜の城砦と呼ぶにふさわしい優雅さを誇っていた。
敷地内を埋め尽くすように咲き誇る深紅と純白の真魔導バラ。その芳醇な香気が風に乗って漂う中、建物全体は淡い桃色の防護結界に包まれている。言うまでもなく『男子禁制』の絶対領域であり、通常であれば男子生徒どころか、男性保護者の立ち入りすら面会室の一角に厳しく制限されている場所だった。
「なんでそんな絶対防御の聖域に、パパが堂々と仁王立ちしてるのよ……」
「形から入るのも重要だと思ってな。専用の制服も手配された」
一真がそう言って胸を張ると、身に纏った漆黒の布地がサァと擦れる重厚な音を立てた。
彼が着用していたのは、学園が用意した警備制服——のはずだった。
しかし、一真の体格に合わせて裁断されたそれは、黒の詰襟に重厚な金糸の刺繍が施され、両肩には無駄に厳めしい飾緒(飾りのついた縄)が垂れ下がっていた。足元を固めるのは、鈍い光沢を放つ漆黒の軍用革ブーツ。
「……それ、完全に『敵国の軍総司令官』の装いじゃん!! 警備員っていうか侵略者だよ!?」
「動きやすくて気に入っている。肩回りの可動域も確保されているしな」
「デザインの圧が強すぎるの!!」
——そして、警備初日の夜。
太陽が完全に沈み、群青色の夜空に二つの月が浮かぶ頃。
まひるは二階の自室で、重厚な木製デスクに向かい、明日提出の『基礎魔導回路の構造解析』の課題に取り組んでいた。羊皮紙の上を走るインクの音がカリカリと静かに響く。
そこへ、コンコンとドアを軽やかに叩く音がした。
「まひるちゃん、起きてる? ちょっとノートの貸し借りしたくて……」
顔を出したのは、同じ階に住む編入同期の少女・セシリアだった。彼女が部屋に入りかけた、その時である。
開け放たれた窓の外——寮の前庭から、静寂を切り裂く重厚な足音が聞こえてきた。カツン、カツンと、硬いブーツが石畳を踏みしめる規則的な音。
「おや? こんな夜更けに外にどなたか……新しい警備の方かしら?」
セシリアが何気なく窓の外を覗き込み、一瞬で固まった。
まひるは嫌な予感がして、ペンを置いて廊下へと飛び出した。寮の玄関吹抜けからは、夜風とともに、低く落ち着いた一真の声が響いてきていた。
「ん? ああ、夜間の見回りだ。こんばんは。……一真と申します」
「あ、あの……か、かずまって……もしかして、今日編入してきた『あの』まひるちゃんの……?」
「父だ。娘がいつも世話になっている。よろしく頼む」
「「「お父様でしたかーーーーっ!?!?」」」
玄関ホールに集まっていた女子生徒たちの、悲鳴に近い絶叫が木造の天井を揺らした。
その夜を境に、「最強の父親が女子寮に常駐している」という衝撃の噂は、落雷のような速度で学園全体へと広まっていった。
翌朝には尾ひれが十重二十重に重なり、生徒たちの間では「王国の秘密特務機関から派遣された神話級の暗殺者」「かつて単身で魔神の軍勢を潰した伝説の将軍」「実は王都を影から支配するフィクサー」など、一真の正体を巡る妄想が恐ろしい精度で膨れ上がっていくこととなる。
深夜二時。
外界の音が途絶え、バラの香気だけが濃密に立ち込める寮の裏庭。
一真は、静寂に包まれた樹影の中に佇んでいた。
彼の視線は、暗闇の空間——何もないはずの空中の「一点」に冷ややかに注がれている。
「……出てきたらどうだ。隠れるつもりなら、まずはその浅い呼吸の音を消す訓練からやり直してくることだな」
一真の低く透き通った声が闇を割った。
次の瞬間、空間がゆらりと揺らぎ、漆黒の液体が滲み出るようにして“何か”が姿を現した。
ボロボロの黒い外套を羽織った、人型の魔物。顔の半ばを覆う影の奥で、気味の悪いふたつの赤眼が、ギラリと不吉な光を放っている。周囲の防護結界をやすやすとすり抜けて侵入してきた、密偵型の高位魔獣だった。
『……キキ……貴様が新しい警備か……。人間にしては、只者ではない気配だな……』
魔物が殺気を孕んだ耳障りな声で囁く。
「人間にしては、か。……動くぞ」
「——!?」
魔物が反応する隙すら与えられなかった。
一真が言葉を口にした瞬間、彼の姿が空間から雲散霧消した。
疾風すら置き去りにする超絶的な踏み込み。一真の足元で石畳がわずかに軋む音すら立てる前に、彼の身体はすでに魔物の懐深くへと滑り込んでいた。
空挺レンジャーとして極限まで削ぎ落とされた無駄のない身体操作。空気抵抗を最小限に抑えた拳が、音速の壁を軽々と突破し、圧縮された真空の刃となって魔物の胸腔を穿つ。
——ズドンッ!!
空気が爆ぜる鈍い音が、局所的に破裂した。
「……動いたのは、俺の方だったがな」
『な……が……見え……な……っ』
魔物の体が空中でくの字に折れ曲がり、その全身を構成していた黒いモヤが激しく霧散していく。
一真の右手は、すでに魔物の胸の奥深く——核となる漆黒の『魔核』を正確に捉えていた。一瞬の指先の力加減で、魔核はパリンと乾いた音を立てて砕け散る。
「娘が暮らす場所に汚い手を伸ばすなら、風になって消えてもらうしかないんでな」
砕けた魔核の破片が夜風に舞い、光の塵となって消滅していく。
一真はポケットから一枚の白いハンカチを取り出すと、一切の血も汚れもついていない己の指先を念のために軽く拭い、再び漆黒の制服の襟元を正した。その一連の動作には、数秒前の凄惨な破壊の余韻など一切残っていなかった。
翌朝。爽やかな秋晴れの空が広がる学園内では、ひとつの大きな話題が持ちきりになっていた。
「ねぇねぇ、知ってる? ここ数日、女子寮の周りをうろついてた『不審な影』の情報、今朝になったら完全に消えたんだって!」
「えっ、本当!? 昨日の夜、警備員さんが追い払ったのかなぁ……」
「そんなわけないでしょー! だって、あの警備員さんって、ただの『まひるちゃんの保護者の方』なんでしょ? きっと影の方が雰囲気に気圧されて逃げ出しただけだよ!」
「……ただの保護者ねぇ……」
校舎へ続く大階段の途中。
級友たちの会話を小耳に挟みながら、まひるは胃のあたりを押さえて複雑極まりない溜め息を吐いた。昨夜、裏庭から聞こえた微かな『大洞窟が崩落したような重低音』の理由を、彼女だけは正確に理解していたからだ。
まひるは周囲の目を盗み、校門の脇で仁王立ちしている父親へとスーッと歩み寄った。
「……パパ。お願いだから、もうちょっと普通にしてよね。目立ちすぎだから」
「了解した。万全を期すため、今日からは“忍び装束”に着替えて暗躍に切り替えよう」
「そういうところが全然普通じゃないんだよ!!」
秋風が吹き抜ける学園の校庭に、まひるの悲鳴のようなツッコミが木霊した。
こうして、最強の父・一真は、娘の学園生活を陰から(そして過剰に)守る“伝説の寮警備員”としての地位を不動のものとしたのだった。
学園全体を巻き込むさらなる大嵐が巻き起こるのは——まだ、もう少し先の話である。
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